現実の会話はキャッチボールだが小説の場合は違う。キャッチボールみたいな小説を書いていないか?

こんなところから。
九尾のネコ鞭:「会話はキャッチボール」の本当の意味

そして会話はキャッチボールなのである。つまりそこに目標などない。ダラダラと続けることが大事なわけであって、間違っても取りにくい球を投げてはいけないのだ。相手が返せるような球を投げあって、ただひたすら時間を潰す。これこそが会話と言う奴なのだ。

そこで、こんなのとか。
FLA魂:「キャッチボールは友情を冷めさせる」

二人以上の登場人物に台詞をやり取りさせるときに、出来る限り気を使って守っているルールがあります。
それは、
「キャッチボールは出来る限りしない」
事。これを意識していると会話のやり取りが自然になると思っています。脚本の段階で台詞のリズムを作るには、多少ぎこちなくてもこのスタイルで書いている事で結果的に、会話がだれずにすむ事が多いです。最終的な作品では、台詞以外に画面に凝縮された補足情報がたくさんありますし、少々の飛躍も構わないかと。

エルモア・レナードやその他、一部の「オフビート」と称される、会話部分のヘンな作家がどうして「うまい」といわれるのか、たいていのテレビドラマの会話はどうしてつまらないのか、その理由を考える素材になりそうです。
小説のうまい人は、会話のやりとりをこう書く人なんだろうな。

<バラバラの会話>
男「お前達は一体?!」
悪者「オモシレェなぁ。必死な奴は。」
男「俺は関係ない!こ、殺すつもりか?」
悪者「・・久しぶりに見たよ。あんなに怒ってるボス。」

(2006年6月25日)
 
これは以下のテキストに続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060706#p1