「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(4)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060920/sono03
 
これは、沖縄タイムス1985年4月8日〜18日に掲載されました「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博)という、渡嘉敷島・赤松隊をめぐるテキスト(曽野綾子『ある神話の背景』に対する反論として掲載されたもの)に、曽野綾子氏が応えたものです。
愛・蔵太の少し調べて書く日記:「沖縄戦に“神話”はない」
オリジナルは1985年5月1日〜6日(5日は休載)、沖縄タイムスに掲載されました。
連載4回目です。

多数の島民が証言
 
つい先日、ベトナム戦争の時、一人の市民をピストルで射殺した軍人の記録フィルムをテレビで見た。その軍人の名前ははっかり分かっていて、彼は今アメリカでレストランを経営しているという。
それを撮影したアメリカ人のカメラマンの発言は、しかし実にみごとなものであった。彼は自分がそのような決定的瞬間を撮ることで、その殺した側のベトナム軍人の生涯に、一生重荷を負わせてしまったことに責任を感じていた。カメラマンは、自分もあの場にいたら多分同じ事をしたろうと思うから、という意味のことを言ったのである。
これこそが、本当に人間的な言葉であろう。そしてこの赤松隊の事件を調査した時も、同じようなすばらしい言葉を、私は渡嘉敷島の人々から聞いたのだ。つまり村の青年の中にも、
「総(すべ)て戦争がやったものであえるから、そういうことはなすり合いをしたくないというのは、私の考えです。そういう教育を受けたんだし」
と私に言った人がいたのである。
太田氏は、しきりに自分は伝聞証拠ではなく、体験者からの証言で書いたと言うが、私が現実に、島の人たちから聞いた赤松氏に対する見方を、太田氏は今回も全く無視している。島の人の中には、もちろん私などには会いたくない、という人もいたはずである。しかしその半面、私の『ある神話の背景』を読んで頂ければ分かることだが、決して一人は二人ではない多数の人々が、生死を共にした赤松隊の人々に会うことや、彼らとの戦争中の体験を私に語ることを、少しも拒まなかった。
 
著述業者なら盗作
 
彼らは集団自決のことに関しても、実に正確に、理性的に、あるがままを私に語った。はっきりしないことははっきりしないこととして、その間を見てきたような話でつなげたりはしなかった。しかしそのような人々の発言を、太田氏は全く無視する。それはあまりに失礼な態度ではないのだろうか。
太田氏は私が、渡嘉敷島の事件を証言する渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』と渡嘉敷村が出版した『渡嘉敷島における戦争の様相』の二つの資料のある部分が、太田氏の筆になる沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』からの引き写しとしか思えないことについて「この三つの資料は、文章の類似点があるとはいえ、事実内容については、大筋において矛盾するところはないのである。それは当然のことで、『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものでないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって『鉄の暴風』の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである」と書いているが、この三つの四郎に、独自の調査によって書かれたとは思えない程度の文章の類似性が見られることはどうしようもない。
もしこれが、私たち著述業者のしたことで、原作者(一番発行日が古いもの)から著作権の侵害として訴えられた場合、当然、盗作と認められる程度のものである。しかしもちろんこれを書いた人たちは、私たちのような専門家ではないし、悪意や自分の利益のためにしたことではないことも明らかなのだから、私も少しも避難するつもりはない。
 
上陸は3月27日
 
しかし私は再び太田氏に問いたい。米軍が島に上陸した日、といえばそれはおそらく島民にとって、忘れようとしても忘れられない日であったろうが、その日を三つの資料が三つとも三月二十六日とまちがって記載するということも自然なのだろうか。初め私はこの事実に気がついた時、上陸が二十六日の夜中で、もう二十七日になっていても分からないような時刻ではないか、と思った。しかし調べてみると、上陸は三月二十七日の、午前九時〇八分から四十三分の間、つまりまぎれもない朝なのである。そのような大事な日時というものは、独自の調査をして行けば(かりに一つが、思い違いや書き間違いをしたとしても)三つがそろって誤記するということはほとんどあり得ないものなのである。
私はもはや一々太田氏の内容に反論する気になれない。初めに言ったように、私はだれに限らず、だれかが正しくて、そうでない人は、徹底して悪いのだ、という論理をただの一度もとったことがないのである。赤松氏に作戦上の問題がない、ということもない。住民も動転していた。それは私たち日本人皆が持っていた当時の判断の形式であった。
ただ、ある人間だけをよしとし、反対の立場に立つ人は悪人だとする判断は--もちろんそういう判断を好む人がいても、私はそれに対して何も言うつもりはないが--それは、そのひとはとうてい大人の判断をもって人間を見ることのできない性格なのだ、とひそかに思うだけである。なぜなら、自分がもしその立場に置かれたら、ひょっとして自分も同じことをするのではないか、と思える人と思えない人とは、善悪を超えて異人種だということを、私も長い年月の間に分かるようになったからである。

『鉄の暴風』を含む三種の記述がそれぞれ「米軍が上陸した日」を間違えているという記述の事実は確認していないんですが、それぞれを見てから何かを言うかもしれません。「体験者からの証言」によってしか作られることのない「歴史」というのは、世の中にはけっこうあるとは思いますが、その「事実確認」や、別の視点からの「公的文書」などもあるので、証言を通してほぼ「歴史的事実」と言っても問題のなさそうなものができることは確かです。
問題は、記述者がその「事実」に近いものを記述物として書き上げる段階で、どれだけ誠実であることができるか、ということでしょうか。「悲劇」を書きたいとか、「人を感動させる読み物」にしてみたい、と思った時点で、「事実」に対する記述者の誠実さはかなり削がれると、ぼく個人は思ってしまうのです。別の「誠実」さも、それによって生じるかもしれませんが。
 
「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子沖縄タイムス)リンク
1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060918/sono01
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060919/sono02
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060920/sono03
4:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060921/sono04
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
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これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060922/sono05