「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(3)

これは以下の日記の続きです。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060924/oota202
 
これは、沖縄タイムス5月1日〜6日(5日は休載)に掲載されました「「沖縄戦」から未来へ向って」(曽野綾子)という、渡嘉敷島・赤松隊をめぐるテキストに、太田良博氏が応えたものです。
愛・蔵太の少し調べて書く日記:「沖縄戦に“神話”はない」
愛・蔵太の少し調べて書く日記:「「沖縄戦」から未来へ向って」
オリジナルは1985年5月11〜17日(12日は休載)、沖縄タイムスに掲載されました。
連載第3回です。

「限定した事柄」
 
曽野綾子さんの「お答え」に答えることにする。まず、曽野さんのジャーナリズム批判から始めよう。「新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない」と私は書いたのである。この文章をよく読んでみたらわかる。この文章の分析はしないことにするが、私は、一つの条件を前提として、限定した事柄について言っているのである。新聞社があやまちをおかすことはないなどとは言っていない。
曽野さんは、この文章にとびついてきた。そして、世の主婦をバカにしたような文言をはさみながら、「太田氏のジャーナリズムに対する態度には、私などには想像もできない甘さがある」と、見下したようなことを言う。「鉄の暴風」で、私の書いたものが、伝聞証拠によるものだ、と曽野さんが「ある神話の背景」のなかで言うから、そうではないと言っているにすぎないのだ。それだけのことが、どうして、「ジャーナリズムに対して、想像もできない甘い態度」ということになるのか、さっぱりわからない。
私の前述の文章を、別の言葉で、具体的に言えば、新聞は、記者が取材してきたものを、デスクという関門でチェックして編集されるが、その形式が、そのまま「鉄の暴風」の執筆や編集にも移されたということである。執筆が牧港氏と私、監修が豊平良顕氏(当時、常務)、つまり、牧港氏と私は先輩記者の豊平氏に対して、豊平氏は社に対して責任をもつ、つまり、一つの関門があって、私の勝手にはできなかったということである。
 
「鉄の暴風」は真実
 
ここでは、「鉄の暴風」が、曽野さんが言うように伝聞証拠で書かれたものか、そうでないかが重要な論争点である。「鉄の暴風」は伝聞証拠で書かれたものではない、直接体験者から聞いて書いたものだ、と私が言うと、こんどは、「新聞社の集めた直接体験者の証言なるものがあてになるか」と言い出す。子供が駄々をこねるようなことは言わないでほしい。おなじ直接体験者の証言でも、新聞社が集めたもの(「鉄の暴風」は信用できないが、自分が集めたもの(「ある神話の背景」)は信用できるのだ、と言っているのだろうか。
曽野さんは、新聞社がもち出す直接体験者の証言が、いかにアテにならないものかという引用例として、朝日新聞社の「誤報問題」なるものをもち出している。
「極く最近では、朝日新聞社が中国大陸で日本軍が毒ガスを使った証拠写真だ、というものを掲載したが、それは直接体験者の売り込みだという触れ込みだったにもかかわらず、おおかたの戦争体験者はその写真を一目見ただけで、こんなに高く立ち上る煙が毒ガスであるわけがなく、こんなに開けた地形でしかもこちらがこれから渡河して攻撃する場合に前方に毒ガスなど使うわけがない、と言った。そして間もなく朝日自身がこれは間違いだったということを承認した例がある」と、曽野さんは書いている。
 
毒ガス報道論議
 
そのことについて、私は、こう思う。朝日の写真を一目見ただけで、それが毒ガスでないことが分かったという「おおかたの戦争体験者」の証言そのものが、怪しい。彼らが、すぐ、毒ガスかどうかが分かるということは、日本軍がたえず毒ガスを使用していたということを意味する。毒ガスはジュネーブ条約で使用を禁止されており、使用したことが分かれば世界中の避難をうける。めったに使えない化学兵器である。戦場で毒ガスを実見したものは戦場体験者でもなかなかいないのではないか。一般兵が知っているのは防毒面の着けかたぐらいのものである。毒ガスというのは、相手が使えば、こちらも、といった“準備秘密兵器”だから、兵一般が毒ガスの知識を持っているわけではない。
特別に「ガス兵」としての訓練をうける者はたしかにいた。実は、何カ月か、私はその「ガス兵」の訓練をうけたことがある。その訓練は、相手からガス攻撃をうけたときの防御措置が主なる目的であった。ほとんど忘れてしまったが、ガスの種類と、その時の空気の状況によっては、煙状のものが高く立ちのぼることがある。それでも白黒写真ではガスかどうか判定はむずかしいのではないか。また、開闊地でも使えないことはない。早朝など、気流の上下交代とか、空気の密度の関係などで、目には見えないが、地上低く、天井のような空気の層ができ、煙は一定の高さ以上に上昇しないときがある。そういう場合には、ガスが使われる可能性がある。
見方軍隊が前進攻撃する前方にガス弾を射ち込むはずがないというのは、まったくの無知である。そのときは、味方の軍隊には防毒面の着用を命ずるからである。新聞を批判する側の直接体験者の証言なるものも、かならずしもあてにはならない。
朝日新聞が、はじめからガス弾でないと分かっていて、例の写真をかかげたのなら、それは「虚偽の報道」ということになる。だが、知らないで、それをガス弾の写真と信じてのせたのであれば、それは「誤報」である。
たとえ、客観的事実とはちがっていても、報道の真実からはずれているとは思えない。

「世の主婦をバカにしたような文言」というのは「もしこの文章が、家庭の主婦の書いたものであったら、私は許すであろう」(という部分だと思いますが(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060920/sono03)、一応その前後も含めて読めるようにしてありますので、バカにしているかしていないか、は各人が判断してみてください。
「朝日の毒ガス写真」は、結果的に「誤報」ということがすでにわかっている状態なので(なのかな? 違っていたら教えてください)(http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060920/sono03)「「おおかたの戦争体験者」の証言そのものが、怪しい」と言い切っている太田良博さんの、その部分の曽野綾子さんに対する批判テキストは、ぼくには力が弱いように思え、結果的に「鉄の暴風」の記述の「直接体験者の証言」の「怪しさ」を招いているようにも、ぼくには思えました。
「彼らが、すぐ、毒ガスかどうかが分かるということは、日本軍がたえず毒ガスを使用していたということを意味する」
ええーっ!?
ちょっと長くなりますが、その件に関して言及しているテキストをもう少し拾ってきますね。
煙幕が毒ガスに化けた化学戦の怪

朝日新聞』八四年某月某日(後述の訂正記事にこの日付なし!) の奇妙な 「毒ガス」現場写真を見た数日後、 情報通のある友人が、 1.毒ガスの比重は重いこと、 2.毒ガスは山地で閑いられるのが多いこと、3.毒ガスを用いる際は味方の兵士が被害を受けぬよう十分注意すること、などは最小限の基礎知識、 と教えてくれた(私は昔友人たちと共訳した 『中国軍事教本---人民戦争の軍事学」龍渓書舎、 一九七六年、 を思い出し、第七章第三節「化学兵器の防護」をめくってみた。この箇所の訳者は畏友鈴木博で、現在は北京放送の「外国人専家」である。以上余談)。

「日本軍がたえず毒ガスを使用していた」ではなく、「毒ガスの知識」「煙幕の実践における使用」の二つがあれば、「毒ガスの実践における使用」がなくても、煙幕と毒ガスの区別はつくと思うのですが(「毒ガスの知識」は、自分たちが使う場合に限らず、敵に使われた場合のためにも必要です)。もちろん「日本軍がたえず毒ガスを使用していた」という可能性は否定できるようなことではありませんが。
あと、ぼくには「証言者の個別化」、つまり、名前を出さない場合があるにしろ、誰の発言なのかたどることが比較的簡単なケースの多い『ある神話の背景』のほうが、「誰が見たのか不明な情景の記述」の多い『鉄の暴風』よりも、「証言としての確かさ」を感じてしまったのですが、これは「新聞社だから信じる・信じない」「一個人の調査だから信じる・信じない」とは別の次元の問題です。
 
「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)リンク
1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201
2:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060924/oota202
3:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060925/oota203
 
なお、曽野綾子『ある神話の背景』は現在、『「集団自決」の真実』という題名で復刊され、新刊書店・ネット書店で手に入れることができます。
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これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060926/oota204