富山真順さんが朝日新聞その他で話したことについて

以下のような記述が、ぼくのコメント欄でありまして、
「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)を電子テキスト化する(1)

# イッセイ 『相変らず、曽野綾子を弁護する事に終始して、曽野綾子チルドレンの面目躍如である。

>「誰が手榴弾を渡したか」のほうが気になるのはぼくだけでしょうか。

自決場において、防衛隊員が手渡した手榴弾も多い。村長・巡査もそうだが、防衛隊員の多くが中国戦線などで従軍を経験して来ており、軍人精神を叩き込まれている地元在郷軍人だった。その連中が、現場で自決を主導した事は間違いない。
だが、渡された手榴弾はそれだけではない。前に紹介した朝日1988.6.16の記事読んだろうか。予め1945.3.20頃に、役場・兵事主任を通じて20数名が集められて、赤松隊の兵器軍曹が一人二個ずつが配られ、「一発は敵に投げて、もう一発で自決せよ」と命令された、と当時の兵事主任富山真順氏が証言している。戦闘前にすでに50数発が住民の手に渡された勘定だ。

上のテキストで、太田良博が一番問題にしている事は、曽野綾子は手榴弾に関して太田の疑問にまったく答えてない事だ。
何故答えないのか?
実は、曽野綾子は、「ある神話の背景」発表前1969年、渡嘉敷島富山真順に面会して色々話を聞いていると、富山真順が1985年頃に、安仁屋政昭氏に証言している。曽野は法廷の場で、記憶に無いと言ってるが「兵事主任」の存在を知らないはずはない。「集団自決の真実」(ある神話の背景)197ページに、隊員の談として「兵事主任」の文字が出ているからである。』 (2006/09/23 12:55)

ちょっと興味を持って、イッセイさんの以下の言葉を手がかりに、少し調べてみたんですが、
沖縄の人は「降伏勧告状」を持たせたアメリカ軍のことを何も言わないんだろうか(コメント欄)

# イッセイ 『>uprどの
ここの管理人の「『も、問題の矮小化だからねっっ!』と、真っ赤になって怒るみたいです。」

のくだりを読んで、彼が「そっち系」の日本人だと云う事が分かったということですが、貶められる沖縄の人間である私の立場からすれば、彼のコメントの付け方を一読すれば、直感的にこの者がそっち系だと分かるものであります。

豊富なデータを持ち出してるかのように見えても、そのデータの取り上げ方は極めて恣意的です。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201#c
[土俵をまちがえた人1] の項で、
小生が、手榴弾の手渡しについての朝日新聞記事を挙げて、これに対しての管理人の見解を質したのに、これを無視しています。また、太田良博の手榴弾配布に付いての、曽野綾子の無回答を非難している事に付いては、ナンのコメントも付けてません。これが恣意的でなくて何でありましょうか?
渡嘉敷村役場の元「兵事主任」の証言というものは、「巡査」の赤松隊長自決命令に関わる証言と同じくらいに、集団自決事件において重要なものです。曽野綾子はその「兵事主任」からも、当時取材をを行っているのです(安仁屋政昭「裁かれた沖縄戦)。それを「集団自決の真実」(ある神話の背景)には、全く記述してないのです。

曽野綾子チルドレンのこの管理人は、都合の悪い処にはコメントをせずに、自分の都合の良いままに、相手に調べにくいデータを要求するばかりです。つまり私の言う「言葉遊び」、貴殿の言う「ゲーム」です。
また、ひとり二役を演じている可能性も在ります。

>私としてはブログ主さんに気分良くゲームにさっさと勝ってもらって、次の好奇心の的を見つけてもらいたい。

私のデータの挙げ方が少ないからといって、簡単にゲームに勝てる相手とは云えないでしょう。』 (2006/10/02 14:09)

# lovelovedog 『「手榴弾の手渡しについての朝日新聞記事」に関しては、「朝日1988.6.16の記事」を読まないと言及が難しいし、「太田良博が一番問題にしている事は、曽野綾子は手榴弾に関して太田の疑問にまったく答えてない事」については、曽野綾子さんの法廷証言を電子テキスト化する過程で言及しようかと思っていて、どちらも読んだり電子テキスト化する時間がなかなか取れなかったのでした。コメントを放置しているような形になってまして申し訳ありません。早急に何とかしたいとは思いますが、時間がかかりそうです。ところで、

実は、曽野綾子は、「ある神話の背景」発表前1969年、渡嘉敷島富山真順に面会して色々話を聞いていると、富山真順が1985年頃に、安仁屋政昭氏に証言している。

という情報の元テキストは何ですか。「沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか/安仁屋政昭著・日本近代史の虚像と実像3」だとしたら、また資料を読むのに時間がかかりそうですが。ただ、曽野綾子さんは「会わない」と言い、富山真順さんが「会った」と言っている状況では、証言以外の「客観的に判断できる、具体的な証拠」がないとぼくには判断は難しすぎます(と、「http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201#c」のほうにも書いておきます)。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/oota201#c」のイッセイさんの書き込みは、ちょっと見落としていたのでした。一応、コメント欄に書き込みがあると「はてな」のほうからメールで知らせてもらえるんですが、そのメールを見落としたみたいです。他にもそのようなのがあれば再度書き込みへの言及をいただけるとありがたいのです。

また、ひとり二役を演じている可能性も在ります。

それはないのでご安心ください、と言ってもそれを証明するのが難しいな。まぁ訴訟レベルのものがありましたら、「はてな」のほうでそれを証明する材料を出す(「はてな」運営者はそれを持っている)ので、ご安心ください。』 (2006/10/02 20:55)

# イッセイ 『>という情報の元テキストは何ですか。「沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか/安仁屋政昭著・日本近代史の虚像と実像3」だとしたら、…

それは、「安仁屋政昭 編・裁かれた沖縄戦」はじめに(前書き)の14ページにすでに書いてる。どこか別の所にも書いてある。今、時間無くてページを示せないが。その本持ってたらすぐに調べられるはずだ。』 (2006/10/03 00:21)

で、いろいろ調べてみたんですが、この太田良博さんと曽野綾子さんの論争が沖縄タイムスに掲載された「1985年5月」の時点では、兵事主任の「富山真順」さんの証言、というものがそもそも確認できませんでした。お二人の論争の電子テキストの中にも、「兵事主任」「富山真順」という名詞・固有名詞は発見できませんでした(これは検索してみるとわかります)。
イッセイさんが「富山真順が1985年頃に、安仁屋政昭氏に証言している」というので、それはどこの何に掲載されたテキストなのか、もう少しくわしいことをお伺いしないといけないのですが、ぼくが調べた限りでは、その「証言」が「1988年」の「教科書裁判の沖縄出張尋問」以前にあった、ということは確認できませんでした。
孫引用になりますが、こんなものとか。
記憶の隠れ家:集団自決 産経新聞平成15年(2003)4月7日記事 安仁谷教授

次に紹介するのは、[沖縄戦は「軍民一体」でたたかわれたか/安仁屋政昭著・日本近代史の虚像と実像3]の中の一節。

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 人工六十万、軍隊十五万程ありて、初めは軍に対して皆好意を懐き居りしも、空襲の時には一機飛び立ちたるのみにて、他は皆民家の防空壕を占領し、為に島民は入るを得ず、又四時に那覇立退命令出て、二十五里先の山中に避難を命ぜられたるも、家は焼け食糧はなく、実に惨澹たる有様にて、今に至るまでそのままの有様なりと。而して焼け残りたる家は軍で徴発し、島民と雑居し、物は勝手に使用し、婦女子は陵辱せらるる等、恰も占領地に在るが如き振舞いにて、軍規は全く乱れ居れり。指揮官は長某にて、張鼓峰の時の男なり。彼は県に対し、我々は作戦に従い戦をするも、島民は邪魔なるを以て、全部山岳地方に退去すべし、而して軍で面倒をみること能わざるを以て、自活すべしと公言し居る由。(細川護偵「細川日記」昭和二〇年一二月一六日付)

 沖縄戦では、各地で「集団自決」がおきたといわれているが、これは中南部の激戦地と周辺離島にかぎられている。「日本軍と住民が同一地域に混在」した地域でおきている。住民の「集団死」は、日本軍の圧倒的な力による強制と誘導によって発生した。
 渡嘉敷島の「集団自決」事件を取材して「ある神話の背景」というノンフィクションを書いた曽野綾子氏は、教科書裁判の国側証人として出廷し、「住民は自発的に死んだ」と主張した。軍による自決命令はなかったことを強調して皇軍を擁護した。曽野綾子氏の取材に協力した渡嘉敷村の元兵事主任富山真順氏は、教科書裁判の沖縄出張尋問が終わったあと、次のように述べている。
「玉砕場のことは何度も話してきた。曽野綾子氏が渡嘉敷島の取材にきた1969年にも、島で唯一の旅館であった[なぎさ旅館]で、数時間も取材に応じ、事実を証言した。あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になっていわれるとは夢にも思わなかった。事実がゆがめられていることにおどろいている。法廷のみなさんに真実を訴えるためにも、わたしの証言を再確認するしだいである」
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とりあえず、この『日本近代史の虚像と実像3』を読むことはぼくにはできなかったのですが*1、「朝日1988.6.16の記事」と安仁屋政昭『裁かれた沖縄戦』の当該部分は見つけることができたので電子テキスト化してみます。
…すみません、このテキストはもう少し続くのです。
で、イッセイさん、ご覧になっているようでしたら大変申し訳ありませんが、太田良博さんと曽野綾子さんの論争が沖縄タイムスに掲載された「1985年5月」以前に、どこかで掲載・発表された、富山真順兵事主任の証言、というのはありますか。
 

*1:ぼく個人の判断としては、「○○氏が××と言っている、と△△氏が言っている」という伝聞情報、今回の場合は「富山真順氏が××と言っている、と安仁屋政昭氏が言っている」という伝聞情報は採用しずらいのですが(→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061004/hidoi)この件に関する富山真順さん自信による記述・手記が存在しないので仕方ありません。