教科書検定での「集団自決」に関するマスコミ報道のまとめ・2

 これは以下の日記の続きです。
愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 教科書検定での「集団自決」に関するマスコミ報道のまとめ
 
 だいぶ時間が経って、各社の社説その他も出そろったので、まとめて置いておきます。
政府「軍命」隠滅か沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 26面)

政府「軍命」隠滅か
 文部科学省は歴史教科書検定で、「集団自決」の記述を「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」として、各教科書会社に書き直しを命じた。「誤解」の主要部分は日本軍の関与の有無。だが、その変更理由の根拠は弱く、政府による「日本軍の関与」隠しと受け取られかねない検定結果となった。
 文科省が記述変更の理由に挙げたのは、係争中の民事訴訟の証言と学説状況の変化の二点。
 特に重視したと思われるのは、大阪地裁で係争中の訴訟での元戦隊長の証言。同省は「本人(元戦隊長)から軍命を否定する意見陳述がなされている」として、これまでの検定で認めてきた「日本軍によって強いられた」などの記述の排除に動いた。
 国自身が当事者ではなく、判決も出ていない訴訟での証言という不確定要素に加え、原告、被告双方からの意見ではなく、原告だけの主張を取り入れ、教科書に反映させる姿勢には疑問を抱かざるを得ない。
 これまで同省は、教科書検定では係争中の問題を断定的に扱うことを控えてきた。今回は自らこの姿勢を崩したことになる。
 文科省は早くも、四年後の次回検定について、状況の変化がなければ今回の基準を踏襲すると「宣言」した。
 一方で、教科書会社側も同省の意向を推測し、自主規制する傾向が強まっている。今回、日本軍「慰安婦」に関して、過去に検定意見が付いた「日本軍の関与」に触れた記述は申請図書段階からなかった。
 昨年の高校歴史教科書でも、採択率最大手の山川出版が申請段階での「日本軍の集団自決の強要」部分の記述を、最終的に自主削除する動きがあった。
 このため「軍命」を薄めることに成功した同省が、次回検定で沖縄戦のさまざまな実相についても否定的見解を示してくることが予想される。(社会部・金城雅貴)
 
文科省の見解
「バランス欠く」と判断
 「集団自決」への検定意見で文部科学省は、「軍命の有無」をめぐる論争につながる記述を廃していく方向性を明示した。「軍命があった」という通説に反論が出ている現状を踏まえ、「従来の説のみによる記述に検定意見を付さないとバランスを欠く」と判断した。
 「集団自決」の記述に検定意見を付した背景としては、沖縄戦をめぐる出版物で軍命を出したと批判された日本軍の元戦隊長が出版社を相手に提訴するなど、「軍命の有無」をめぐる論争が起きていることが挙げられる。文科省側は「カチッとした公的文書が残っておらず、現にそれが争いになっており、従来の片方の主張のみに検定意見を付さないとバランスが取れない」と説明する。
 「集団自決」をめぐる説の主な変遷を文科省は次のように認識している。
 「自決せよ」との軍命を初めて記述したのは沖縄タイムス社の「鉄の暴風」(一九五〇年)で、聞き取りを基に軍命があったというニュアンスで書かれた。これがさまざまな形で引用されるようになった。
 七〇年の「沖縄ノート」(大江健三郎氏)が、「鉄の暴風」を“孫引き”し、軍命を下したといわれる元戦隊長を批判した。
 これらに対し、七三年の「ある神話の背景」(曽野綾子氏)が軍命の真実性に疑問を投げ掛けた。また、座間味の「集団自決」に関する女性の証言を基にした「母の遺したもの」(宮城晴美氏)は、「いろんな理由があってそう証言せざるを得なかったが、それは誤りである」という内容になっているとする。
 こうした出版物を並べて、文科省は「軍命について説は判然としない」との結論を引き出した。
 他方、文科省の担当者は「軍命の有無よりも、日本軍の存在が『集団自決』にいや応なしに追い込んだ」とする著作物があることにも着目しているという。「狭い島で米軍が突然上陸し、守ってくれるはずの日本軍は兵力、装備がなく、住民は逃げ場を失った。住民が極限的な精神状態に置かれ、『集団自決』へと追い込まれたという点で、軍命の有無を超えた立場で記述されている著作物もある」としている。
 
[視点]
真実のわい曲許せず
600人死亡の惨劇消えぬ
 二〇〇五年六月、日本軍「慰安婦」問題を教科書から削除させる運動を続けてきた自由主義史観研究会が、次なる標的として、沖縄の「集団自決」に関する記述をあらゆる教科書や出版物から削除させる運動に着手した。その後、元軍人らによる「集団自決」訴訟、また家永教科書訴訟で国側証人だった作家曽野綾子氏が書いた「ある神話の背景」が再出版された。そして今年、高校歴史教科書検定は、「集団自決」における日本軍の関与を消し去ってしまうという新基準を示した。
 米軍上陸前から、日本軍は、住民に対して「女性は強姦され、男は戦車でひき殺される」というデマを流し、捕虜になる恐怖をたたき込み、厳重に保管していた手りゅう弾を「いざとなったら死ぬように」と配った。慶良間諸島の各地で住民が、口にする事実はまぎれもなく日本軍の関与を示している。
 沖縄戦の実相を象徴する「集団自決」。軍関与を否定する動きは、今後、沖縄戦全体を否定する動きにつながっている。
 有事の際の国民協力を定めた国民保護法の成立、防衛庁の省への格上げ。有事への備えは着々と整いつつある。その時に、銃後も前線もなくなり、当時の県民人口四分の一に当たる十二万人を失った沖縄戦の記憶、「軍隊は住民を守らない」という教訓は、今の日本には邪魔なだけだということを一連の動きは示している。
 「集団自決」を語る住民の言葉は重い。ある男性は、目撃した光景を、あたかも六十二年前に戻ったように語る。カミソリを持つしぐさ、首筋からの血しぶきがサーッと降りかかり、全身真っ赤になったこと。「目の前にその場面があるんです」。鼓動が乱れる、息をのみ、目には涙があふれている。身を削るように語り続けるのは、証言後は同じようにぐったりしていた母親が「生き残った者の使命だよ」という言葉があったからだ。
 慶良間諸島の「集団自決」では約六百人が亡くなった。死者の沈黙、家族を手にかけたゆえの沈黙、犠牲となった人数の数倍も数十倍も沈黙がある。その沈黙を利用して「集団自決」の真実をねじ曲げようとする動きを許すことはできない。(編集委員・謝花直美)

 前にも書いたことですが、やはり、左寄りの人たちに「で、軍の命令としての集団自決は、あったんですかなかったんですか」と聞くと現在は「も、問題の矮小化だからねっっ!」と、真っ赤になって怒るみたいです。
 沖縄の話なので、やはり「沖縄タイムス」と「琉球新報」が記事として多く取り上げています。
沖縄戦 ゆがむ実相沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面)

沖縄戦 ゆがむ実相
 高校教科書に掲載された沖縄戦の「集団自決」の実態が国によって隠された。文部科学省は、今回の教科書検定で「軍命の有無は断定的ではない」との見解を示し、過去の検定で認めてきた「集団自決」に対する日本軍の関与を否定。関与を記述した部分の修正を教科書会社に求めた。同省が変更理由に挙げたのは「集団自決」をめぐる訴訟での日本軍の元戦隊長の軍命否定証言と近年の「学説状況の変化」。文科省の姿勢に、県内の関係者からは「沖縄戦の実相の歪曲」「殉国美談に仕立て上げている」と批判が出ている。
 沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教授は「検定意見で日本軍の『集団自決』への関与がぼかされたが、軍隊が誘導したのが実態だ」と沖縄戦の実相を指摘する。その上で「国によって沖縄戦が書き換えられた。これまでの研究や調査を逆転させようという政治的意図を感じる」。
 「『新しい歴史教科書をつくる会』や『集団自決』訴訟の原告側支援者が文科省に内容の訂正を申し入れた結果だ」。大江健三郎岩波書店沖縄戦裁判(「集団自決」訴訟)支援連絡会の小牧薫事務局長は、日本軍の関与を薄める内容に変更された理由を推測する。「今後、沖縄戦そのものが削除される恐れがある」と危惧する。
 沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会事務局長の山口剛史琉球大学助教授も「『集団自決』訴訟の事実認定と証人尋問がこれからという段階で、極めて一方的だ」と文科省の姿勢に首をかしげる。「被告側は逆に『軍命があった』という証拠を出して反証している。それを一切無視した形で、かなり意図的なものと言わざるを得ないと思う」と語る。
 法律家の三宅俊司弁護士は「学者が客観的調査で調べた事実があるのに、裁判で争いがあるからといって、教科書に出さないのはおかしい」と、軍命を否定した検定の在り方を批判する。「教育は事実を教え、それを評価できる能力を育てることのはず。これでは思想統制だ。国民の教育権を侵害することになる」
 沖縄歴史教育研究会の代表を務める宜野湾高校教諭の新城俊昭さんは「『強制』という軍の関与を示す言葉が抜けると、住民が自ら死んだという殉国美談になる」と懸念する。「学校現場では沖縄の実相を教えることが難しくなると思う。それだけに今後はますます教師の技量が問われることになる」と指摘した。
 林博史関東学院大教授(現代史)は「当日に部隊長が自決の命令を出したかどうかにかかわらず、全体的に見れば軍の強制そのもので、これを覆す研究は皆無といえる」と指摘。八○年代の教科書検定以降、「各教科書は、研究成果を踏まえて軍に強いられた自決であることを書いてきた。それを今回は、日本軍による加害性を教科書から消し去ろうとした。事実をあいまいにする政治的なひどい検定だ」と批判した。
 
「あれは軍命だった」
座間味・戦争体験者ら怒り
 沖縄戦時下、日本軍の軍命と誘導による「集団自決」で百七十七人が亡くなった座間味村では、軍の関与を削除した検定に怒りの声が上がった。
 日本軍と米軍の攻撃の中に取り残された中村一男さん(73)の家族は、日本軍に配られた手りゅう弾で「集団自決」を決行しかけた。「日本軍は各家庭に、軍が厳重に保管していた手りゅう弾をあらかじめ渡し、米軍の捕虜になるぐらいなら死になさいと話していた」とし、軍命否定は「歴史を歪曲することだ。私たちが戦争体験を語るのは事実を伝え、むごい戦争を二度と起こさないため。(国は)事実は事実として後世に伝えてもらいたい」と話した。
 集合場所とされた忠魂碑前へ向かうが断念、その後も「集団自決」しようとする家族を止めた宮里薫さん(74)は「書き換えで、軍命でなくなったのはおかしい。あれは軍の命令だった」と憤った。
 「僕の家族にも一発の手りゅう弾があった。軍のものだから、民間が勝手に取ることはできず、渡されたのは住民は死ねということだ。軍命がないというのは、住民の実感に合わない」と批判した。
 
軍関与削除「喜ばしい」/戦隊長側、法廷で発表
 【大阪】沖縄戦時に慶良間諸島で起きた住民の「集団自決」をめぐる訴訟の第八回口頭弁論で、戦隊長側の代理人が、三十日夕に文部科学省が公表した教科書検定の内容を法廷で事前に“発表”する一幕があった。識者からは「見過ごせないルール違反だ」との声が上がっている。
 代理人は口頭弁論終了間際の午後二時前、「本日、文科省が検定意見を付し、多くの教科書がこれに応じて記述を修正したと聞いた」と述べた。
 今回の教科書検定で、文科省が「日本軍による」など「集団自決」の主語を削除するよう教科書会社に求めたことを指摘。「真実が明らかになり、正しい記述がされるのは喜ばしい」とし「本件訴訟でもそのことを法廷で判決すべきだ」と述べた。
 裁判を傍聴した琉球大の高嶋伸欣教授は「一般の傍聴者がいる法廷で、社会的ルールを二の次にした行為だ。裁判と検定がなれ合った状態を看過できない」と批判した。

 さすがに「沖縄戦そのものが削除される恐れ」というのは恐れすぎだと思うんですが、何か根拠があるんだろうか。
「被告側は逆に『軍命があった』という証拠を出して反証している」というのはちょっと違って「証拠」ではなく「証言の記録(第三者に確認できない伝聞情報)」による反証、とぼくは記憶していました。原告側も似たようなものしか出してはいないことはいないんですが。
「学者が客観的調査で調べた事実」というのも、ぼくにはうまく確認できませんでした。客観的調査でわかることは、集団自決した人間がどの島でどれだけいたか、ぐらいだと思います。
 あと、やはり文部科学省の検定結果と、「集団自決」訴訟・裁判とは日付的に連動しているんだな、とか。
 関連リンク。
沖縄戦裁判
 「小牧薫」って、この支援団体の事務局長の名前はじめて出てきたような気もするんですが気のせいかな。
小牧薫 教科書 - Google 検索
沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
 ↑には、岩波書店の「講義声明文」(多分抗議声明文だと思う)も掲載されていますので、あとで紹介します。
三宅俊司弁護士 - Google 検索
 林博史氏・高嶋伸欣氏は沖縄戦ではコメントを求められる有名人なので、特に検索リンクを置く必要もないかと。宜野湾高校教諭の新城俊昭さんは、まだ今の時点では一般人なので、これもリンクなしです。
「集団自決」軍関与を否定/08年度教科書検定沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 1面)

「集団自決」軍関与を否定/08年度教科書検定
文科省「断定できず」/専門家「加害責任薄める」
【東京】文部科学省は三十日、二〇〇八年度から使用される高校教科書(主に二、三年生用)の検定結果を公表した。日本史A、Bでは沖縄戦の「集団自決」について、日本軍が強制したとの記述七カ所(五社七冊)に、修正を求める検定意見が初めて付いた。文科省は「集団自決」に関して今回から、「日本軍による強制または命令は断定できない」との立場で検定意見を付することを決定。これに伴い、各出版社が関連記述を修正した結果、いずれの教科書でもこれまで日本軍による「集団自決」の強制が明記されていたが、日本軍の関与について否定する表記となった。
 文科省は「最近の学説状況の変化」や大阪地裁で係争中の「集団自決」訴訟での日本軍元戦隊長の証言などを根拠に挙げているが、教科書問題に詳しい高嶋伸欣琉球大学教授は「合理的な根拠がなく、日本軍の加害責任を薄める特定の政治的意図が透けて見える」と批判。
 さらに修正後の記述についても「住民がどのように『集団自決』に追い込まれていったのか、実態がぼやけてしまっている」と指摘した。
 「集団自決」関連で検定意見が付いたのは実教出版日本史B二冊)、三省堂(日本史A、B)、清水書院日本史B)、東京書籍(日本史A)、山川出版社(日本史A)の五社七冊。
 いずれも検定前の申請図書では「集団自決」について「日本軍に…強いられ」「日本軍により…追い込まれ」などと記述、日本軍による強制、命令を明記していた。
 しかし検定意見書ではそれぞれ「沖縄戦の実態について、誤解するおそれのある表現である」との意見が付き、修正後に検定決定した記述では「集団自決」がどのように引き起こされたかがあいまいとなっている。
 今回の検定意見に至った経緯について文科省は「軍の強制は現代史の通説になっているが、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多く、断定的表現を避けるようにした」と説明。
 その上で「今回の検定から、集団自決を日本軍が強要した、命令したという記述については検定意見を付し、記述の修正を求めることとした」とし、来年度以降も同様の検定となる見通しを示した。
 昨年度まで検定合格した教科書についても各出版社に訂正を通知する予定だが、強制力はなく、各出版社の判断に委ねられるという。
 今回の検定意見について、検定に直接携わる「教科書調査検定審議会」からは否定的な意見は出なかったという。
[ことば]
教科書検定民間の出版社が編集した原稿段階の教科書(申請本)を、文部科学省が学校で使う教科書として適切かどうか審査する制度。学校教育法、教科書検定規則で規定されており、合格しないと教科書として認められない。学習指導要領に則しているか、範囲や表現は適切か、などを教科用図書検定調査審議会に諮って審査する。出版社は指摘された「検定意見に沿って内容を修正、合格した教科書は市町村教育委員会などの採択を経て、翌年春から使われる。検定対象の学校や学年は毎年異なり、各教科書の検定はおおむね4年ごとに行われる。

 検定の対象になった教科書がわかりました。
 ぼく自身の沖縄戦における「集団自決」に関する判断は、「日本軍のせい」というより「米軍に対する無知に基づくパニック」だと思っているので、英語教育をしなかったのが「皇民教育」だとしたら、日本政府のせいとは言えるだろうなぁ、ぐらいな感じです。
「集団自決」訴訟/「軍が手りゅう弾配布」沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面)

「集団自決」訴訟/「軍が手りゅう弾配布」
 【大阪】沖縄戦時に慶良間諸島で起きた住民の「集団自決」をめぐり、命令を出したとの記述で名誉を傷つけられているとして、当時の戦隊長らが作家の大江健三郎さんや著作出版元の岩波書店に損害賠償などを求めている訴訟の第八回口頭弁論が三十日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。
 岩波側は、戦隊長側が軍命がなかった根拠の一つにする「『集団自決』は(親兄弟の)愛によって行われた」との曽野綾子氏の碑文が記された渡嘉敷島の戦跡碑に言及。
 「後ろに『海上挺進第三戦隊』とあるように部隊関係者が建て、碑文は隊員から頼まれて曽野氏が書いた」と指摘した。
 碑文の内容が記された渡嘉敷村教育委員会編さんの「わたしたちの渡嘉敷島」に「かねて指示されていたとおりに集団を組んで自決した」との記載があると説明し、軍命があったと主張した。
 また、座間味島の「集団自決」の際、村民に防衛隊員らから手りゅう弾が渡されたと指摘。「手りゅう弾は貴重な武器で、軍(隊長)の承認なしに村民に渡されることはないと考えられる」と強調した。
 部隊長側は、沖縄戦時下の慶良間諸島日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す米公文書が見つかったとの沖縄タイムス報道に反論。「文書は座間味でも渡嘉敷でもない慶留間島のものだ」と述べ、今回の訴訟とは無関係だと主張した。
 また、「一般的に『命令』を指す英語の動詞は『command』『order』などだが、文書にはより軽い意味の『tell』が使われている」と翻訳への疑問を提示し、証拠としての根拠が薄弱だと批判した。
 座間味島民の手りゅう弾保持と軍命の関係については「村民の証言から、多くの手りゅう弾が不発になっていたことが明らか。操作方法も教わっていなかった」と述べ、軍が村民に「自決」命令していない大きな証拠だとした。

 この訴訟の報道については、沖縄タイムスがとてもくわしくて感心するんですが、全文テキストを読みたいものです。
4月。進学する10代にとっては特にまぶしい春西日本新聞

4月。進学する10代にとっては特にまぶしい春
4月。進学する10代にとっては特にまぶしい春となる。若葉、青葉の気持ちで一段上の知識の森に分け入ってほしい。
▼日本人として知っておかねばならない歴史の森も待つ。木々の年輪に刻まれた幾時代もの風景に思いをはせよう。吹き渡る風に交じる歴史の証言者たちの声に耳を澄まそう。新しく手にする本などが手伝ってくれるだろう。
▼62年前の今ごろ日本は敗戦に向かっていた。米軍が慶良間諸島を経て沖縄本島に上陸した。国内で唯一の地上戦があった沖縄の悲惨を約19万人の死者数が現在に伝える。忘れてはいけないことの1つだ。
▼死者の約半数は住民で、集団自決した人も一部含まれる。追い込まれた末の自決である。追い込んだのは誰か。主語は日本軍とされてきた。米軍に捕まったらひどい目に遭うと言われ、村長らを介して事前に手りゅう弾を渡された、などの証言が伝えられる。
来年度から高校生が使う日本史教科書から主語が消えることになった。消すように文部科学省が教科書会社に検定で求めたからだ。日本軍指揮官が集団自決を「強制(直接に命令)した証拠はない」ということらしい。
▼日本で流行し始めた「なかったことにしよう」症候群のこれも1つだろうか。ウイルスを飛散させる木を歴史の森に植える人が国にもいる。その木だけ見て森(多くの証言)を見なくなるのが怖い。証言に耳を傾け、木を植え直して森を守っていこう。

=2007/04/01付 西日本新聞朝刊=

 ↑これは社説。
 ↓の朝日新聞天声人語は↑のテキストにインスパイアされましたか。
朝日新聞天声人語(2007年04月04日(水曜日)付)

 劇作家の井上ひさしさんは昨夏、先の戦争責任をテーマにした「夢の痂(かさぶた)」を舞台に載せた。書き進めていくうちに、日本語を“被告人”にすることになったという。
 「日本語は主語を隠し、責任をうやむやにするにはとても便利な言葉だから」。戦争を遂行し、支えた多くの人が、戦後、責任をすり抜けて遁走(とんそう)した。それを助けたのは、主語なしで成り立つ日本語だったと、井上さんは思う。
 広島に原爆死没者慰霊碑がある。その碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」をめぐって「主語論争」があった。過ちを犯したのは日本なのか、アメリカではないのか、などと批判がわいた。いまは「人類」を主語とすることで多くに受け入れられている。
 06年度の教科書検定の結果が先ごろ公表された。太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団死(自決)について、日本軍が強いたものもあった、とする表現に文部科学省が意見をつけた。来春の高校教科書から「日本軍」という“主語”が消えることになった。
 修正後の表現は状況があいまいで、住民が自ら死を選んだ印象が強い。これまでの検定では合格していた表現なのに、今回初めて意見がついた。「美しい国」を掲げる政権の意をくんだかと、かんぐりたくもなる。
 様々な出来事の責任をうやむやにすれば、行き着く先はお決まりの「戦争のせい」「時代が悪かった」という、あきらめの強要だろう。だが戦争を起こすのも時代をつくるのも、それぞれの立場でかかわる人間にほかならない。

 俺基準ではちょっと「パクリ」レベルなんですが、この話はいいや。
 ↓中国新聞社説。
高校教科書検定 「軍関与」なぜ薄めるか中国新聞・2007年4月1日)

高校教科書検定 「軍関与」なぜ薄めるか'07/4/1
 
 二〇〇八年度から高校で使われる日本史教科書の検定で、第二次世界大戦中の沖縄戦での住民集団自決について「旧日本軍による強制があったかどうか明らかでない」と、七カ所に修正を求める意見が初めて付いた。今なぜ見直しをするのか、疑問が募る。
 検定意見は(1)「日本軍は(中略)くばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ…」から「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」に(2)「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」を「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」に―といった修正である。
 共通するのは、主語だった「日本軍」がぼかされ、「強制」という言葉が消えていることだ。文部科学省沖縄戦の実態について誤解を生ずる恐れがあるから、という。本当にそうだろうか。
 終戦間近の一九四五年、沖縄に上陸した米軍と日本軍が三カ月近く、民間人を巻き込んで地上戦を展開し、多数の住民が犠牲になった。軍の直接の命令があったかどうかは別にしても、ふだんから住民に米軍捕虜になる前に自決するよう示唆していた。住民が「強制」と受け止めても仕方ない状況だったのではあるまいか。
 集団自決が軍の「命令」によるかどうかは長年、論争になってきた。沖縄タイムス社が戦後間もなく出版した「鉄の暴風」は、軍命だったと初めて指摘。その後、これに反論する著作も登場。二〇〇五年には元守備隊長が、強要の事実はないと大阪地裁に提訴した。
 文科省は方針転換について「提訴は一つのきっかけ。近年、命令はなかったとする遺族の新たな証言も出ている」と説明する。一方、「集団自決は、日本軍との関係の中でしか起こり得なかった。歴史的な検証に基づく新学説が出てきたわけではない」と批判する研究者もいる。
 従軍慰安婦問題で軍の強制を否定するなど、安倍政権になって「歴史」見直しの動きが目立つ。教科書検定も、こうした流れと無関係ではなさそうだ。だが、軍が関与したという記述を薄めることは、国の戦争責任をあいまいにすることにつながらないだろうか。
 起きた事柄について、いろんな見方があることを教えるのも歴史教育であるはずだ。高校生が自分で判断する力を培うためにどうすればいいか。教科書検定が必要かどうかも含め、もっと根本的な議論をしたい。

「集団自決は、日本軍との関係の中でしか起こり得なかった」という説は、多分林博史氏かその周辺の研究者でしょうか。
教科書検定/「歴史曲げないで」/沖縄戦集団自決 生き残った男性語る(2007年4月1日(日)「しんぶん赤旗」)

教科書検定
「歴史曲げないで」
沖縄戦集団自決 生き残った男性語る


 文部科学省が二〇〇六年度の高校教科書の検定で、太平洋戦争末期の沖縄戦での住民「集団自決」にかんする「日本軍に強制された」とした記述に対し、「軍が命令した証拠はない」として書き換えさせていたことに、沖縄戦を体験した男性(73)=沖縄県座間味村=は「文部科学省には、歴史を曲げるようなことをしてほしくない」と話しました。
 「集団自決」の生き残りである男性が座間味島沖縄戦を体験したのは十歳の時でした。
 日本軍から手りゅう弾を渡され、「米軍に捕まったら体のあちこちを切り刻んでじわじわ殺される」と聞かされました。「自決しろとはっきり言われたか記憶にないが、暗に自決しろと言っているのと同じだ」といいます。別の家族が手りゅう弾で自決するのも見たといいます。
 男性は「うやむやにするのでなく、歴史は歴史として後世に伝えなければいけない」と静かに話しました。

 ↑の記事の中では「沖縄戦を体験した男性(73)」と匿名になっていますが、それは「沖縄戦 ゆがむ実相」(沖縄タイムス)の中の「日本軍と米軍の攻撃の中に取り残された中村一男さん(73)」と同じ人だと思います。
 これもぼくには、集団自決の原因は、「米軍に捕まっても別にどうということはない」と言うような、米軍に関する知識を持っている人がいなかったせいにしか思えないのですが。
 ↓山陽新聞社説。
(社説)教科書検定 教育現場の力量が肝心だ山陽新聞2007年04月01日)

教科書検定 教育現場の力量が肝心だ
 文部科学省が来春から使われる高校教科書(主に二、三年生用)の検定結果を公表した。目立つのは、第二次世界大戦中の沖縄戦の集団自決をめぐる記述に修正を求める検定意見が初めて付いたことだ。
 沖縄戦の集団自決については、日本史A、Bで日本軍が強制したとの記述に修正が求められた。これまでは軍の強制を明記していた教科書も合格していたが、今回から文科省は方針を転換させた。
 具体的には「日本軍は(中略)くばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ」とした申請本に対し「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」と意見を付けた。結局「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と記述が変わった。
 また、申請段階で「日本軍に『集団自決』を強いられたり」とあったものを「追いつめられて『集団自決』した人や」と変えるなど、合格本は軍の強制を削った。
 文科省は「軍の強制は現代史の通説になっている」としながらも、「当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある上、指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多い」とする。変化を踏まえて断定的表現を避けるようにしたと説明している。
 歴史の研究が進み、新たな証言や事実の発掘があれば通説に疑問が生じてくるのは当然だ。だが、軍の強制が通説になっているにもかかわらず、文科省があえて修正を求めたのは政治的意図がうかがえると言われても仕方がなかろう。検定は「客観的で公正、適切な教育的配慮の確保」を目指している。政治的配慮に偏ることは断じて避けなければならない。
 先の大戦で住民が巻き込まれて多数が犠牲になった国内唯一の地上戦である沖縄戦の悲劇が若い世代にきちんと伝えられるのかも心配だ。教科書の記述は簡略で、その背景にある戦争の非情さ、むなしさが理解されないのではと危ぐされる。教え方に工夫が必要だろう。
 多くの高校で必修科目未履修問題があった。大学入試に直接関係がなければ、世界史など学習指導要領の必修科目でも切り捨てていた。いびつな教育の実態が批判された。
 今回の検定では、学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」の全体に占める割合は、理科4・3%、数学2・0%と四年前の前回検定の二倍以上になっていた。ゆとり教育を見直す流れも顕著になっている。
 新しい教科書をどう使いこなし、高校生たちの血と肉にしていくのか。教育現場の力量が肝心だ。

 ↑この社説は、ぼくにはわりと普通にまっとうに思えました。
米有力紙が連日の日本批判 慰安婦、教科書、捕鯨…山陽新聞

 【ニューヨーク1日共同】米有力紙ニューヨーク・タイムズは3月31日と4月1日付の紙面で、従軍慰安婦や教科書、捕鯨の問題をめぐり日本の姿勢を批判する記事を相次いで掲載した。安倍晋三首相の訪米を前に、同紙の論調は厳しい内容が目立つ。
 31日付では、従軍慰安婦への旧日本軍の関与を指摘してきた吉見義明・中央大教授(日本現代史)のインタビューを伝え、安倍首相ら保守派が教授の見解の否定に躍起になってきたとする記事を、国際面の1ページを使って掲載した。
 1日付の紙面は、日本の高校教科書の検定結果を報道。文部科学省が、太平洋戦争末期の沖縄戦の集団自決をめぐる記述から日本軍の強制に関する部分を削除させたと伝え、日本が歴史修正を推し進めていることの表れだと指摘した。
 また同日付の社説は捕鯨問題を取り上げ、世界の大部分がクジラ絶滅の危機を認めているのに、日本は「この素晴らしい哺乳類」の虐殺を擁護していると批判した。
(4月1日16時48分)

 ↑これは共同通信の配信なので、地方紙のあちこちに掲載されました。
 ニューヨーク・タイムズの「集団自決」に関する記事は以下の通り。
Japan’s Textbooks Reflect Revised History (2007年4月1日)

Japan’s Textbooks Reflect Revised History
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By NORIMITSU ONISHI
Published: April 1, 2007
TOKYO, March 31 -- In another sign that Japan is pressing ahead in revising its history of World War II, new high school textbooks will no longer acknowledge that the Imperial Army was responsible for a major atrocity in Okinawa, the government announced late Friday.

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Yuriko Nakao/Reuters
A Japanese junior high school student reads a history textbook.
The Ministry of Education ordered publishers to delete passages stating that the Imperial Army ordered civilians to commit mass suicide during the Battle of Okinawa, as the island was about to fall to American troops in the final months of the war.

The decision was announced as part of the ministry’s annual screening of textbooks used in all public schools. The ministry also ordered changes to other delicate issues to dovetail with government assertions, though the screening is supposed to be free of political interference.

I believe the screening system has been followed appropriately,” said Prime Minister Shinzo Abe, who has long campaigned to soften the treatment in textbooks of Japan’s wartime conduct.

The decision on the Battle of Okinawa, which came as a surprise because the ministry had never objected to the description in the past, followed recent denials by Mr. Abe that the military had coerced women into sexual slavery during the war.

The results of the annual textbook screening are closely watched in China, South Korea and other Asian countries. So the fresh denial of the military’s responsibility in the Battle of Okinawa and in sexual slavery ? long accepted as historical facts ? is likely to deepen suspicions in Asia that Tokyo is trying to whitewash its militarist past even as it tries to raise the profile of its current forces.

Shortly after assuming office last fall, Mr. Abe transformed the Defense Agency into a full ministry. He has said that his most important goal is to revise the American-imposed, pacifist Constitution that forbids Japan from having a full-fledged military with offensive abilities.

Some 200,000 Americans and Japanese died during the Battle of Okinawa, one of the most brutal clashes of the war. It was the only battle on Japanese soil involving civilians, but Okinawa was not just any part of Japan.

It was only in the late 19th century that Japan officially annexed Okinawa, a kingdom that, to this day, has retained some of its own culture. During World War II, when many Okinawans still spoke a different dialect, Japanese troops treated the locals brutally. In its history of the war, the Okinawa Prefectural Peace Memorial Museum presents Okinawa as being caught in the fighting between America and Japan ? a starkly different view from the Yasukuni Shrine war museum, which presents Japan as a liberator of Asia from Western powers.

During the 1945 battle, during which one quarter of the civilian population was killed, the Japanese Army showed indifference to Okinawa’s defense and safety. Japanese soldiers used civilians as shields against the Americans, and persuaded locals that victorious American soldiers would go on a rampage of killing and raping. With the impending victory of American troops, civilians committed mass suicide, urged on by fanatical Japanese soldiers.

“There were some people who were forced to commit suicide by the Japanese Army,” one old textbook explained. But in the revision ordered by the ministry, it now reads, “There were some people who were driven to mass suicide.”

Other changes are similar ? the change to a passive verb, the disappearance of a subject ? and combine to erase the responsibility of the Japanese military. In explaining its policy change, the ministry said that it “is not clear that the Japanese Army coerced or ordered the mass suicides.”

As with Mr. Abe’s denial regarding sexual slavery, the ministry’s new position appeared to discount overwhelming evidence of coercion, particularly the testimony of victims and survivors themselves.

“There are many Okinawans who have testified that the Japanese Army directed them to commit suicide,” Ryukyu Shimpo, one of the two major Okinawan newspapers, said in an angry editorial. “There are also people who have testified that they were handed grenades by Japanese soldiers” to blow themselves up.

The editorial described the change as a politically influenced decision that “went along with the government view.”

Mr. Abe, after helping to found the Group of Young Parliamentarians Concerned About Japan’s Future and History Education in 1997, long led a campaign to reject what nationalists call a masochistic view of history that has robbed postwar Japanese of their pride.

Yasuhiro Nakasone, a former prime minister who is a staunch ally of Mr. Abe, recently denied what he wrote in 1978. In a memoir about his Imperial Navy experiences in Indonesia, titled “Commander of 3,000 Men at Age 23,” he wrote that some of his men “started attacking local women or became addicted to gambling.

“For them, I went to great pains, and had a comfort station built,” Mr. Nakasone wrote, using the euphemism for a military brothel.

But in a meeting with foreign journalists a week ago, Mr. Nakasone, now 88, issued a flat denial. He said he had actually set up a “recreation center,” where his men played Japanese board games like go and shogi.

In a meeting on Saturday with Foreign Minister Taro Aso of Japan, South Korea’s foreign minister, Song Min-soon, criticized Mr. Abe’s recent comments on sexual slaves.

“The problems over perceptions of history are making it difficult to move South Korean-Japanese relations forward,” Mr. Song said.

Mr. Aso said Japan stuck by a 1993 statement acknowledging responsibility for past sexual slavery, but said nothing about Mr. Abe’s denial that the military had coerced women, many of them Korean, into sexual slavery.

また大西か」のNORIMITSU ONISHI氏の記事なので、これは「ニューヨーク・タイムズ」ではなく「オオニシ・タイムズ」の記事と思ったほうがいいのでは。
 ↓東京新聞社説。
沖縄戦検定 歴史の真実がゆがむ東京新聞・2007年4月2日)

沖縄戦検定 歴史の真実がゆがむ
2007年4月2日
 
 来春の高校日本史教科書から、沖縄戦での集団自決が軍による強制だった旨の表現が消える。文部科学省の検定に沿って記述が削除・修正されたことによるが、歴史の真実がゆがんでしまわないか。
 沖縄戦は一九四五年三月二十六日から六月二十三日の事実上の戦闘終結までの三カ月にわたった第二次大戦での国内唯一の地上戦
 米軍の本土侵攻を遅らせるための玉砕覚悟の捨て石作戦が展開され、日本人の戦死約十九万人。家族、友人、知人が手榴弾(しゅりゅうだん)やカミソリ、カマで互いに殺し合う集団自決の惨劇が各地で起こった。
 二〇〇六年度の教科書検定で、この沖縄戦の集団自決に関する記述内容を修正したのは六出版社の七点の教科書だった。
 集団自決が軍の強制である旨の表現が「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」というのが文科省の検定意見で、記述の修正、変更を求めたからだ。 
 その結果、教科書の「日本軍に『集団自決』を強いられたり…」などの記述は、主語の日本軍が削られ、「追いつめられて『集団自決』した人や…」など強制とは意味上連係しない表現に書き換えられて、検定を合格した。
 文科省がこれまで問題にしてこなかった強制をめぐって検定姿勢を変更させたのは、軍の命令を否定する最近の学説や自決を命じたと記述された元陸軍少佐らがこれを否定、書籍に名誉を傷つけられたと訴訟で争っていることなどが大きな理由とされるが、重要なのは何が強制かについての定義と認識だろう。
 沖縄戦では軍によって自決用の手榴弾が住民に配られた事実がある。捕虜や投降を禁ずる軍官民一体の共生共死の教えが徹底されていた。軍によるスパイ容疑者の虐殺など住民の犠牲がある。これらが軍による強制と同義であることは、軍駐留の島々にだけ集団自決が発生していることからも明らかだ。
 日本には、その時その場の空気が絶対的な拘束力をもち、戦艦大和でさえ沖縄戦では無謀な特攻出撃をせざるを得なかった独特の心的秩序があることを論じたのが山本七平氏の有名な「『空気』の研究」だ。
 軍の強制と集団自決とあの時代の空気とを伝える無数の沖縄住民の証言がある。確たる証拠や公的資料がないからと、強制を否定してしまえば沖縄戦の実相から遠ざかってしまうのではないか。すべての集団自決に軍の命令や強制があったというわけではない。強制があったとの証言があることこそ重大だ。

 この「捕虜や投降を禁ずる軍官民一体の共生共死の教え」は「命令」もしくはそれに近いことだったのか、また他の国ではそのようなものがなかったのか、少し調べてみたくなりました。
 ↓信濃毎日新聞社説。
教科書検定 ”国定”に戻るようでは信濃毎日新聞・2007年4月2日)

教科書検定 ”国定”に戻るようでは
4月2日(月)
 
 2008年度から使用される高校教科書の検定結果が発表された。第二次大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民の集団自決を強制したとの記述に検定意見が付き、軍の関与を弱める内容に変更された。
 沖縄住民が日本軍の作戦の犠牲になったことは、証言などによって否定できない事実になっている。集団自決はその一部である。教科書の記述が、沖縄戦について間違ったイメージを子どもたちに植え付ける結果を招かないか、心配だ。
 沖縄では米軍が上陸し、日本軍が追い詰められる中で、「がま」と呼ばれる洞窟(どうくつ)に避難した住民らが集団自決する惨事が起きた。刃物で刺す、首を絞めるといった方法のほか、手榴(りゅう)弾も使われている。
 今度の検定では「日本軍は…くばった手榴弾で集団自決と殺しあいをさせ」といった記述に検定意見がついた。その結果「…手榴弾で集団自決と殺しあいがおこった」と書き換えられている。
 「日本軍に『集団自決』を強いられ…」との表現は、「追いつめられて『集団自決』した…」と変わった。自決は日本軍に強制されたものだった、という意味あいが全体に薄められている。
 住民の自決に際し、軍の命令があったか無かったかについては諸説ある。ただ「米軍につかまるな」「いざという時は自決するように」と住民が軍から言われ、手榴弾が渡されたのは事実である。住民がそれを強制と受け止めていたことは、さまざまな証言に明らかだ。
 仮に正式の軍命令がなかったとしても、住民は軍により、自決を強いられる状況に置かれていた−。そんな見方を封じ込めるとしたら、歴史をゆがめることになる。
 集団自決の強制性に触れる記述は、昨年の検定までは問題もなくパスしていた。今年になってなぜ、という疑問も膨らむ。
 検定はもともと、国定教科書を廃止し、教育を国家統制から解き放つために始まった。それがいつか、記述が政府見解に沿っているかどうかチェックする性格を強めている。
 従軍慰安婦の問題では今回、日本軍の関与に触れた教科書は一つもなかった。検定で意見を付けられないための自主規制としたら問題だ。
 異なった見方に接しつつ、自我を形成する時期が高校の年ごろである。教科書も多様であっていい
 検定は初心に戻って、記述の明らかな間違いを正すなど最小限にとどめるべきだ。教科書の評価は、使う教師や生徒に任せればいい。

「証言」が「否定できない事実」になるという話ははじめて聞きました。それだと世の中に「痴漢冤罪」というものもなくなってしまうので。「証言など」の「など」の部分が問題か。
 ガマでも集団自決が起こったところとそうでないところがありますが、で、その違いは「米軍に対する知識のあるなし」だとぼくは判断しましたが(シムクガマとチビチリガマの違い、とか)、他にも理由があると判断する人もいるでしょう。
検定制度の撤廃求める/出版労連が見解しんぶん赤旗・2007年4月2日)

検定制度の撤廃求める
出版労連が見解


 日本出版労働組合連合会は三月三十日、高校教科書検定の結果を受け、検定制度の撤廃を求める見解を発表しました。
 沖縄戦「集団自決」への軍関与の否定ないし、わい小化させる検定意見を付けた背景に、「『沖縄集団自決訴訟』とそれに連なる国会議員らの存在以外に変更の要因は考えにくい」と指摘。「この問題は教科書検定への政治による干渉として記憶されるべきものである」と批判しています。
 また、多くの検定意見が付いた要因として(1)教育基本法改定(2)「戦後レジームからの脱却」を主張する安倍内閣の下で行われた検定(3)検定意見を付ける基準が客観性を欠いている―の三点を挙げ、「改めて検定制度は撤廃されるべきであることを広範な国民に訴える」と決意を表明しました。

「集団自決は美しい死」許せない=教科書検定に沖縄の平和団体時事通信

2007/04/02-17:40 「集団自決は美しい死」許せない=教科書検定に沖縄の平和団体
 高校生が来春から使用する教科書の検定で、太平洋戦争末期の沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったとする記述に検定意見が付けられ、各教科書会社が修正したことについて、沖縄県内の平和団体などでつくる「沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」は2日、沖縄県庁で記者会見し、「『集団自決』は極限状態に置かれた住民が家族同士殺し合う悲惨なもので、自ら命を絶った美しい死とする一方的な歴史観の押し付けは許せない」とする抗議声明を発表した。

 そろそろ市民団体の動きがはじまったようです。
 その声明文は以下のところなど。
教科書検定意見に「平和教育をすすめる会」が声明を出しました沖縄県歴史教育者協議会(沖縄県歴教協))

教科書検定意見に「平和教育をすすめる会」が声明を出しました
 
高等学校歴史教科書検定における沖縄戦の「集団自決」の記述から
「軍の強制」を削除させたことに対して抗議する
 
2007年3月30日に公表された高等学校歴史教科書の検定結果によれば、文部科学省は、沖縄戦における集団死・「集団自決」について「日本軍による自決命令や強要があった」とする5社、7冊に対し「沖縄戦の実態について誤解する恐れのある表現」として修正を指示し、日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させたことが判明した。
1982年の教科書検定時、沖縄における日本軍の住民虐殺の記述を巡って、検定により修正が加えられていることが明らかになるや「沖縄戦の実相」を否定・歪曲するものとして戦争体験者をはじめとして沖縄全体から大きな怒りと反発が起こった。文部省(当時)は、沖縄戦の住民犠牲を記述する場合は、犠牲的精神の発露としての住民自ら命を絶った美しい死であるとする意味での「集団自決」を盛り込むよう強要してきたのである。しかし、沖縄戦研究及び多くの生存者・体験者が明らかにしたことは、沖縄戦における「集団自決」とは極限状況におかれた住民が、「軍官民共生共死」の思想のもと、家族同士が殺し合うという悲惨なものであった。
このことは、第3次家永教科書裁判の最高裁判決において、「集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防備対策、沖縄の共同体のあり方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである」「集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところである」と明確に判示され、「日本軍によって強制された『集団自決』(集団死)」が、日本軍の住民虐殺と併せて、沖縄戦研究の定説として教科書に記述されてきた。
今回の文部科学省の検定意見は、大阪地方裁判所で係属中の大江健三郎氏と岩波書店名誉毀損で訴えた原告梅澤氏の主張等を持ち出し、「軍命がなかった」という一方の当事者の主張に立脚し、それが主流になりつつあると判断し、申請内容を修正させたのである。裁判は、主張書面や証拠書類等が提出されたのみであり、現在進行中である。訴訟係属中で結論の出ていない裁判の一方当事者の主張を根拠に教科書記述の書き換えを要求することは、裁判を恣意的に利用したものであり、政治的な意図が見え隠れするものと言わざるを得ない。原告らの主張する「『集団自決』は、住民が国に殉じた犠牲的精神に基づき、自ら命を絶った美しい死であった」とする一方的な歴史観を押しつけるものである。
私たちは、この検定結果が沖縄戦の実相を歪めるものであり、戦争の本質を覆い隠し、美化するもので、沖縄の未来を担う子どもたちはおろか、日本全国の子どもたちにこのような内容の教科書がわたることを絶対に許すことはできない。
ついては、今回の検定結果に強い抗議を示すとともに、文部科学省は今回の修正指示を撤回し、申請時の文章に戻すよう強く要求する。
宛 文部科学大臣
2007年4月2日
沖縄戦の歴史わい曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
大江健三郎岩波書店沖縄戦裁判支援連絡

 1982年当時の文部省は「沖縄戦の住民犠牲を記述する場合は、犠牲的精神の発露としての住民自ら命を絶った美しい死であるとする意味での「集団自決」を盛り込むよう強要してきた」というのは、知らなかった知識としてメモしておきます。
歴史の事実はゆがめるな 高校教科書検定西日本新聞社説・2007年4月3日)

歴史の事実はゆがめるな 高校教科書検定
 
 2008年度から使用される高校教科書の検定で、第2次世界大戦末期の沖縄戦で日本軍が住民の集団自決を強制した‐という日本史教科書の記述に初めて修正を求める検定意見が付き、修正されたり、削除されたりした。
 昨年の検定まで沖縄戦の集団自決は日本軍の強制を明記した教科書もすべて合格しており、今回の検定で文部科学省が方針を転換したことになる。
 「日本軍は(中略)くばった手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自害と殺しあいをさせ…」という申請段階の表現は、修正後に「日本軍のくばった手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」と書き換えられ、主語の日本軍が削られた。
 「日本軍に『集団自決』を強いられたり…」という記述も同様に、「追いつめられて『集団自決』した人や…」と改められ、日本軍の表現が消えた。
 検定意見は一律に「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現」だから修正を求めたという。
 しかし、教科書の記述を変更させるほどの方針転換にしては、説得力に乏しく、首をかしげざるを得ない。
 文科省は「当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがある」「指揮官の直接命令は確認されていないとの学説も多い」として、断定的な表現を避けるようにしたという。
 だが、係争中の民事裁判を持ち出し、しかも一方の主張だけを方針転換の根拠とする姿勢には疑問を感じる。
 日本軍が直接、集団自決の命令を住民に下したかどうかは、確かに学説や判断が分かれるところかもしれない。
 しかし、日本軍は沖縄の住民に「米軍の捕虜になるな」と命じ、自決用の手榴弾を配った。それは多くの住民が証言している。
 慶留間島で集団自決の現場を目撃した元座間味村長は「事実のすり替えだ。日本軍は村長や地区長を使って集団自決をさせた」と痛烈に批判している。
 文科省は、こうした証言の重みを一体どう受け止めるのか。
 戦争体験の風化が進む中で、私たちが見失ってはならないのは、歴史の事実に謙虚に向き合う姿勢だろう。
 十分な検証や明快な理由も見当たらないまま、集団自決をめぐる「軍の強制」を高校の歴史教科書から一斉に消し去った今回の検定は、そうした視点から見ても、危うい問題をはらんでいる。
 教科書検定のいわば「さじ加減」によって、沖縄戦の悲惨さを語り継ぐ歴史教育がゆがめられるようなことがあってはならない。
 教科書検定は、学習指導要領に即しているか、事実関係に誤りはないか‐など、原則に照らして抑制的に運用するのが本筋ではないか。国が記述の内容や表現の仕方にまで注文を付けると「検定」のはずが「検閲」になりかねない。


=2007/04/03付 西日本新聞朝刊=
2007年04月03日00時18分

教科書検定 沖縄戦の修正意見は乱暴すぎる愛媛新聞社説・2007年4月3日)

教科書検定 沖縄戦の修正意見は乱暴すぎる
 
 二〇〇八年度から使われる高校教科書(主に二、三年生用)の検定で、第二次大戦中の沖縄戦をめぐる記述に不可解と思える検定意見が付いた。
 日本史A、Bの教科書で、文部科学省は「日本軍が住民の集団自決を強制した」との記述七カ所に修正を求め、いずれも内容が変更された。
 たとえば、こんなふうに変わった。「日本軍に『集団自決』を強いられたり…」は「追いつめられて『集団自決』した人や…」に、「なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」は「なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」に、という具合だ。
 いずれも「日本軍の強制」の意味合いが消え、住民がなぜ悲惨な集団自決に追い込まれたのか、理由があいまいになった。これは大いに問題だ。
 日本軍が「いざという時は自決するように」と、事前に手りゅう弾を配った事実については多くの証言があるという。たとえ軍人が目の前で命令したのではなくても、実質的に強制があったことになる。
 当の文科省も「軍の強制は現代史の通説になっている」と認めている。昨年の検定までは軍の強制を明記した教科書も合格しているのだ。
 文科省は方針を変更した理由について、当時の指揮官が民事訴訟で命令を否定する動きがあるほか、直接命令は確認されていないとの学説も多いためと説明している。
 訴訟は当時の座間味島の守備隊長らが起こしたもので、「日本軍の指揮官の命令で慶良間諸島の住民が集団自決した」とする大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)などの記述は誤りで、「命令はなく、住民自ら自決した」と訴えている。
 しかし、判決も出ておらず、仮に同諸島で命令がなかったとしても、ほかの地域でも同様だったことにはなるまい。実質的な軍の強制を否定する新しい研究が出てきたわけでもない。
 沖縄には「命(ぬち)ドゥ宝」という言葉がある。「命こそ宝」の意味だ。「命を大切にし、みんなで仲良くやろう」という文化を持つ人たちが、進んで自決するはずがない。ゆがんだ軍国主義教育や軍の強圧的姿勢などで、ぎりぎりまで追い詰められた結果だ。残酷な実態を覆い隠してはならない。
 もし、文科省が軍の強制に否定的な見方もあることを付け加えたいのなら、注釈などで記述する手段もある。問答無用で、ばっさり削ってしまうやり方はあまりに乱暴だ。
 自衛隊イラク派遣についても多くが修正を求められた。「戦闘地域に派遣」とした日本史教科書は「戦闘地域に」が削除され、「非戦闘地域」に派遣したとする政府見解に沿う内容が注に追加された。
 政府の見解や方針をそのまま踏襲するように強いるのなら、まるで国定教科書だ。検定に政治を持ち込むべきではない。「著作者の創意工夫に期待する」という検定制度の本来の趣旨に立ち返る必要がある。

「ではなくても」「としても」「はずがない」と、仮定・断定の使いかたが気になります。
 なんかそろそろ飽きてきたので、このへんでおしまいです。
 最後に、これだけ。
岩波書店の講義声明文です沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会)

 沖縄「集団自決」に関わる06年度教科書検定に抗議する
 
 文部科学省が3月30日に公表した06年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」という内容を修正させたことが明らかになった。
 その理由のひとつとして、05年に、沖縄戦座間味島守備隊長であった梅沢裕および渡嘉敷島守備隊長であった故赤松嘉次の遺族によって、岩波書店及び大江健三郎名誉毀損で訴えられていること、その中で原告が隊長命令はなかったと主張していることが挙げられている。また、「文科省が参考にした集団自決に関する主な著作等」の中には「沖縄集団自決冤罪訴訟」という項目がある(この「冤罪訴訟」という言葉は原告側の支援者の呼び方であり、中立・公正であるべき行政の姿勢を著しく逸脱するものである)。
しかし、
(1)訴訟は現在大阪地裁において継続中であり、証人の尋問さえ行なわれておらず、
(2)岩波書店及び大江健三郎は、座間味島及び渡嘉敷島における「集団自決」において、①「軍(隊長)の命令」があったことは多数の文献によって示されている、②当時の第32軍は「軍官民共生共死」方針をとり、住民の多くを戦争に動員し、捕虜になることを許さず、あらかじめ手榴弾を渡し、「いざとなれば自決せよ」などと指示していた、つまり慶良間諸島における「集団自決」は日本軍の指示や強制によってなされた、として全面的に争っており、さらに、
(3)「集団自決」をした住民たちが「軍(隊長)の命令があった」と認識していたことは、原告側も認めている。
文部科学省が「集団自決」裁判を参照するのであれば、被告の主張・立証をも検討するのが当然であるところ、原告側の主張のみを取り上げて教科書の記述を修正させる理由としたことは、誠に遺憾であり、強く抗議するものである。

2007年4月4日
                   (株)岩波書店
                    大江健三郎
                    沖縄「集団自決」訴訟被告弁護団
                     
文部科学大臣
 伊吹文明殿

連絡先:千代田区一ツ橋2−5−5
              岩波書店 岡本(5210−4142、5210−4144FAX )

 
 これは以下の日記に続きます。
「集団自決」は日本軍の「関与」があったという感じで落ちつきそうな予感