南蛮人は日本人の娘を50万人も奴隷にとってなんかいません

 これは以下の日記の続きです。
既知外テキストの元をたどったらさらに既知外テキストに行き当たる
 
 もう、検索でこれがひっかかるの、ちょう頭に来るので何度でも書いておこう。
1・まず、元ネタとして、以下の文章が存在する。
 山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』(新日本出版社)、p26-27

 有馬のオランダ教科書にその文が使用されてますが、ミゲルを名乗った有馬晴信の甥の清左、マンショを名乗った大友宗麟の甥の祐益らは、
「行く先々でおなじ日本人が、数多く奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜なみでみるに忍びない」
「わずかな価で、同国人をかかる遠い地に売り払う徒輩への憤りはもっともなれど、白人も文明人でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす」
 すると大村純忠のさしむけた少年マルテーは、
われらと同じ日本人が、どこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を鎖でつながれ、われわれをみて哀れみをうったえる眼ざしは辛くてならぬ……肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまるだしにつながれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本の女が転売されていくのを、正視できるものではない。われわれのみた範囲で、ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろうポルトガル人の教会や師父が、硝石と交換し、証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがなものだろう」
 これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン三世から、ローマ法王庁に、
ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだすのだから、神の御名において領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう」
 という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が、一五四一年四月七日、八年をかけて喜望峰まわりで日本へと着いたのだという。

有馬のオランダ教科書」「ポルトガル王のジョアン三世」の元テキストは未確認なので、「ヨーロッパ各地で五十万ということはなかろう」「ジパングは火薬一樽と交換に、五十人の奴隷をさしだす」というテキストが存在するかは未確認(何かこれに関するヒントをご存知の人は教えてください)。
2・それを、『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭・成甲書店・2006年)の人が以下のように脳内変換

行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で五十万という。

 ジパングは火薬一樽と交換に五十人の奴隷(肌白くみめよき日本娘をさす)を差し出します。神の名において日本を領有すれば、献金額を増やすことができるでしょう。

 少なくとも、『ウサギたちが渡った断魂橋』では、「日本女性」「肌白くみめよき日本娘」などという言葉は使われていませんでした。
 「肌白くみめよき日本娘をさす」というのは、ちょっとエロゲ脳になっているのでは、というのがぼくの感じたところ。
3・徳富蘇峰の『近世日本国民史』に載っているのは、「秀吉の朝鮮出兵の従軍記者の見聞録」ではなくて、「秀吉の九州出兵の記録であるところの、大村由己の「九州御動座記」」。
 
 いやはや、この『天皇のロザリオ』の著者の人、いろいろなところで、勘違いなのか故意の歪曲なのか(日本女性うんぬんは、ぼくは故意の歪曲と判断しています)、元テキストを見るとすぐにヘンだとわかるようなことをテキストにしすぎです。
 
 あと、もうひとつ、これも有名なネット内テキストなんですが(ちょっとネットで検索すると出てきます)、

なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414〜417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。

「若菜みどり」という人物は、AV関係者以外には確認できませんでした。
 正確には「若桑みどり」。『クアトロ・ラガッツィ』という本は集英社から刊行されています。
 さらに、「火薬一樽につき日本娘50人」と似たようなフレーズ・テキストは、この世に存在する書物としては、『天皇のロザリオ』中以外には、存在が確認できませんでした。「記録は省かれています」も何も、あったもんじゃありません。
 今日はぼく自身、ネット巡回でこの「間違った情報」に接しすぎたため、ものすごく機嫌が悪いです。
 まったく、インターネットをデマの増幅装置に使うことに、どんな意味があるんでしょうか。ネット通して全世界に「自分は知恵の足りない人間です」と知らしめるためとか?