世界日報の記事を信じない人が、トンデモサイトのトンデモテキストを信じてしまうことはどうだろう

 「ソースは○○」という部分で、ぼくには信じるにあたってあんまり信じすぎないものがいくつかあります。東スポベリタ大紀元世界日報などがその際たるものですが((朝日新聞赤旗産経新聞はそれなりに、事実の確認を取ってみたくなるほどには信用しています)、いくら東スポでも2ちゃんねる阿修羅掲示板や、いくつかの個人サイトのテキストよりは信じている部分があります。それぐらいネットの情報(特に個人の流す情報)は、ソースを含めた、第三者に確認できるリンクその他の情報提供が曖昧なものにはぼくは懐疑的なのですね。面倒くさいけれども、なるべく元テキストをぼくの日記の中に入れておくのも、相手の元テキストが改竄されたり、なかったことにされたりしたという経験からです。
 で、今気になっているのはこのテキスト。1980年代の教科書検定について。

沖縄戦について文部省は住民殺害の事実は認めたものの、その後の教科書検定で住民殺害の記述に検定意見をつけない代わりに、「集団自決」を書くように強制するようになった

 こんな見出しをつけて紹介している人もいますが、
捨身成仁日記 炎と激情の豆知識ブログ!:そもそも集団自決問題は軍による島民虐殺をごまかすためにお上が持ち出したものだろうに
 そこまで言い切ってしまうとどうかなぁ、という感じです。
 以下のキーワードで検索してみると、
「集団自決」を書くように強制するようになった。 - Google 検索
 以下のところが大本(らしい)ということが分かるんですが、
334−沖縄の「集団自決」からみえてくるもの
 この人は同時にこんなテキストも書いているので困ってしまうわけです。
530-「それから世界はどうなるの?」−映画『ダーウィンの悪夢』『ホテル・ルワンダ』(pdf)
ダーウィンの悪夢』という映画に関しては、ぼくの日記を参照してください。
映画『ダーウィンの悪夢』に関する「嘘」について
ドキュメンタリーはノンフィクションなのかについて映画『ダーウィンの悪夢』で考える
 どうもぼく基準では、「334−沖縄の「集団自決」からみえてくるもの」というテキストを載せている「白夜通信」の「<白夜光虫>」さんという人は、トンデモさん、というほどではないと思うんですが、自分が信じたいと思うテキストを、あまり深く考えないで、まるで自分の意見かのように載せてしまったり、自分の意見が何(どういうソース)に基づいて作られているのかをあまり明白にしないで書く人のような印象でした。
 だからこの話に関しては、
1・文部省検定の教科書では「住民虐殺(住民殺害)」はどのように扱われるようになっていたか(1980年代)
2・それと関連して「集団自決」はどのように扱われるようになったのか
3・「集団自決」の教科書への記載は文部省の「強制(広義の強制?)」だったのか
 について、当時の教科書や、文部省の検定の記録を見てみないと、「特定個人(<白夜光虫>さん)」の記述だけをもとに「文部省ひでぇ!」的なことは、ぼくとしては言いにくいのですね(言える人はまぁ、それはそれで)。
 しかし、1982年の教科書検定について調べるのは、ほんの少しばかり金と時間がかかりそうです。
 以下のところに載っているテキストは、もう少し信用してやってもいい。
6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!沖縄県民大会決議

 沖縄戦の記述をめぐっては、1982年、文部省(当時)の検定により、日本軍による「住民虐殺」の記述削除が明らかになった際、臨時県議会(1982年9月)は「県民殺害は否定することのできない厳然たる事実である」と全会一致で意見書を採択し、記述復活をさせました。その際、文部省自らが、沖縄戦の住民犠牲を記載する場合は、「集団自決」も記述するよう求めたのです。
 そして第3次家永教科書裁判における最高裁判決は「『集団自決』の原因については、日本軍の存在とその誘導」かつ「自ら死んだ集団自決と表現したり、美化することは適切ではない」と明確に示しています。このような経過から「集団自決」が教科書記述として定着してきたのです。

 ネットではちゃんとこのようなものもあるので、ここらへんあたりが「一次資料」としては有効かも。
家永教科書検定訴訟第3次訴訟・上告審判決(大野判決)

 5 「沖縄戦」の記述に対する修正意見について
/
  (一) /
 所論は、本件教科書二八四頁脚注の従来の「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられた。」との記述を/
沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死をとげたが、そのなかには日本軍のために殺された人も少なくなかった。」と改めるための改訂検定申請に対して、文部大臣が、沖縄県民の犠牲については、/
最も犠牲者の多い集団自決を加える必要があるとの理由でその記述を加えるべきである旨の修正意見を付したことには、裁量権の範囲を逸脱した違法があるというものである。
  (二) /
 しかしながら、原審の認定したところによれば、本件検定当時の学界では、沖縄戦は住民を全面的に巻き込んだ戦闘であって、軍人の犠牲を上回る多大の住民犠牲を出したが、/
沖縄戦において死亡した沖縄県民の中には、日本軍によりスパイの嫌疑をかけられて処刑された者、日本軍あるいは日本軍将兵によって避難壕から追い出され攻撃軍の砲撃にさらされて死亡した者、日本軍の命令によりあるいは追い詰められた戦況の中で集団自決に追いやられた者がそれぞれ多数に上ることについてはおおむね異論がなく、/
その数については諸説あって必ずしも定説があるとはいえないが、/
多数の県民が戦闘に巻き込まれて死亡したほか、県民を守るべき立場にあった日本軍によって多数の県民が死に追いやられたこと、多数の県民が集団による自決によって死亡したこと沖縄戦の特徴的な事象として指摘できるとするのが一般的な見解であり、/
また、集団自決の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的であった、というのである。
/
 右事実に照らすと、本件検定当時の学界においては、地上戦が行われた沖縄では他の日本本土における戦争被害とは異なった態様の住民の被害があったが、その中には交戦に巻き込まれたことによる直接的な被害のほかに、日本軍によって多数の県民が死に追いやられ、/
また、集団自決によって多数の県民が死亡したという特異な事象があり、/
これをもって沖縄戦の大きな特徴とするのが一般的な見解であったということができる。/
そして、集団自決と呼ばれる事象についてはこれまで様々な要因が指摘され、これを一律に集団自決と表現したり美化したりすることは適切でないとの指摘もあることは原審の認定するところであるが、/
多数の県民がなぜ集団自決という異常な形で死に追いやられたのかということを含め、地上戦に巻き込まれた沖縄県民の悲惨な犠牲の実態を教えるためには、軍による住民殺害とともに集団自決と呼ばれる事象を教科書に記載することは必要と考えられ、/
また、集団自決を記載する場合には、それを美化することのないよう適切な表現を加えることによって他の要因とは関係なしに県民が自発的に自殺したものとの誤解を避けることも可能であり、/
現に上告人は、最終記述として「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が、砲爆撃にたおれたり、集団自決に追いやられたりするなど、非業の死をとげたが、なかには日本軍のために殺された人びとも少なくなかった。」と修正し、/
文部大臣もこれをもって合格条件を充足したものとしているのである、所論は、「日本軍のために殺された」という原稿記述には集団自決も含まれるというが、/
右の原稿記述に集団自決と呼ばれる事象のすべてが含まれていると読むことはできないだけでなく、前述するところからすれば、本件検定当時の学界の一般的な見解も日本軍による住民殺害と集団自決とは異なる特徴的事象としてとらえていたことは明らかである。
  (三) /
 右のような本件検定当時の学界の状況等に照らすと、文部大臣が、沖縄戦を理解するために、原稿記述の「日本軍のために殺された人」に加えて集団自決の事実を記載することは学習指導を進める上で必要であるとの判断の下に、/
原稿記述部分に集団自決を付加して記載するよう修正意見を付したことには十分な合理的理由と必要性があり、/
日本軍による住民殺害のみを記載し集団自決の記載を欠く原稿記述は、/
選択・扱い上不適切であり、特定事項の強調に当たるとの本件修正意見を付したことをもって、裁量権の範囲を逸脱した違法があるとはいえないし、/
修正によって上告人の原稿記述の意図が殊更まげられたとみることもできないというべきである。/
これと同旨の原審の判断は正当である。/
原判決に所論の違法はなく、論旨は、違憲という点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決の法令違背をいうものであって、採用することができない。

 この判決文を見る限りでは「日本軍住民虐殺といっしょに、集団自決のことも書きなさい(最も犠牲者が多いのだから)」と言っているように見えるんですが、それが「軍による島民虐殺をごまかすために」という意味解釈ができる部分が、判決文にあるかどうかよくわかりませんでした。「軍による島民虐殺だけが書かれることは問題なので」なら少しわかる。
 私感レベルの意見としては、「日本軍住民虐殺」では、悪いのは「現在は存在しない(旧)日本軍」のせいにしかならないので、「集団自決」のほうが、「皇民教育」とからめて、より「現在も続いている日本国政府」の批判になるため、現在の政府を批判している人たちが強調して語っている気がします。