25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・5

 これは以下の日記の続きです。
25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・4
 
 引き続き『家永教科書裁判と南京事件 文部省担当者は証言する』(時野谷滋、日本教文社)からの引用を続けます。
 今日は、少し長いのですが、「10・沖縄戦の記述と教科書問題」のうち、「(7)国会の論議沖縄戦」「(8)国会における沖縄戦論議の繰返し」「(9)家永氏の主張は事実誤認」を引用してみます。太字の部分は引用者=ぼくによるものです。
 以下のところも参考にお読みください。
25年前の争点に戻すべきではないか - bat99の日記
 

(7)国会の論議沖縄戦
 
 ともかくこういうことになると、マスコミばかりでなく国会でも質問されることになり、初等中等教育局長は政府委員として、検定課長は説明員としてこれに当ることになるから、これまで述べてきた江口氏の執筆にかかる実教本の脚注修正の経過や、検定意見と今後の対応などについて、特に課長には説明を重ねるとともに連絡もし、協議もした。
 まず7月30日の衆議院外務委員会で、公明党玉城栄一議員の質問に対して、当時の藤村検定課長は次のように答えている。(以下の国会における質問と答弁は衆議院外務委員会議録によって掲げる)*1

○藤村説明員 沖縄に関するいま御指摘のありました日本軍による住民殺害の件でございますが、先生おっしゃいましたような記述の部分がございましたので、私どもが著者に対してつけました意見は、一つは、「戦闘のじゃまになるとの理由で、約八百人」こうなっているわけでございますので、この中にある数字がまず一つはっきりしたものと言えるかどうか、この数字をどこからとったというようなやりとりがございまして、これは「太平洋戦争史」という本の中からとってきているということがわかったわけですが、これのもとをさかのぼっていきますと、沖縄県史の中に記載されているいろんな事例などからいろいろ推定をしてつくった数字ではないかと思われる話があったわけですけれども、沖縄県史の中には八百人という数字が出てこないわけでございます。それで、この数字の根拠として何かもっとはっきりするデータがあれば示してほしいというやりとりがございまして、そうしましたら、はっきりした根拠資料が出てこないということもありまして、著者の側でその数字の部分を削ったといういきさつがございます。
 それからもう一つは、「戦闘のじゃまになるとの理由で、」と書いてありまして、そういったものが一部において行われたことも事実だろうと思いますが、しかし、そういった大ぜいの方の数字をその言葉だけで包括して表現するのはいかがなものか。集団自決があったとかというようなことも沖縄県史の中に出てくるわけでございますけれども、もしそれが集団自決のことであればそういった記述をきちんとするべきではないか。「戦闘のじゃまになるとの理由で、」と申しますと、邪魔になるからということでそういった人たちを一斉に殺したという印象を与えるわけでございまして、そういういきさつがはっきりするようにもう少し事実関係をはっきり押さえた上で書くようにというやりとりがございまして、その結果、でき上がりましたような教科書の表現になったということでございます。

 口頭による説明であるし、表現の仕方もあるけれども、大筋の趣旨について見れば前述の通りであると思う。が、ともかく玉城議員の質問は次のように具体的内容に入る。

○玉城委員 ですから、おっしゃったようなことで、その八百人という数字の正確さ云々ということから、二回目のときには、「また混乱を極めた戦場では、友軍による犠牲者も少なくなかった。」という表現で出した。どうしてまたこれもだめだと言ったのですか。
 その次、もう一回、時間もありませんから申し上げておきますよ。「沖縄県史には友軍によって殺害された県民の体験がある。」表現が非常にやわらかくなってきている。それも全部削除されていますね。皆さん、文部省の方としては、ああいう沖縄戦においてそういう事実はなかったというふうに思いますか。どうですか、その辺。

 藤村課長は重ねて説明する。

○藤村説明員 検定に当たりまして、当初、調査官の方から申し上げました意見につきましては正確な記録等がございますが、その後、内閲後の段階になりますと、いろいろ口頭でのやりとりになりますので、実は記録が残っていないわけでございます。恐らくそういうやりとりがあったのではなかろうかというふうに推定されますけれども、結果としてあのような表現になったということでございますし、それから私ども沖縄県史を否定しているわけでもございません。そういった事実があったということは、一部においてあったということは事実だと思いますけれども、それが全体としてどういうような形で、しかも何人ぐらいの人がどういう状況でということについて、特に八百人という数字などにつきましては、どうもはっきりした根拠と言えるに足るだけのものが著者側から出てこなかったということでそういう結果になったわけでございまして、これは今後の学問の研究の進展にまつべきものであるというふうに考えております。

 また更に玉城議員が、「文部省は、事実そういうことがあったと、いま教科書について、私は載せるべきである」と考えるとして、「長官のお考えを伺いたい」とする玉城議員の質問に対して、宮沢長官はこう答えている。

○宮澤国務大臣 ただいま文部省の担当者の御説明を聞いておりますと、事実がなかったと言っておるわけではないし、それから、そういういわば思い出は事実であるけれども、載せるなと言ったわけでもありませんで、記載する以上正確に根拠のあることを記載すべきである、こう申し上げておるのだと思いますので、それはそれで私はよろしいと思います。

 
(8)国会における沖縄戦論議の繰返し
 
 その後、8月20日の同委員会でも、玉城議員の質問があり、藤村課長が答えている。まず玉城議員から重ねて次のような質問があった。*2

○玉城委員 大臣のお考えはそのとおりだと思います。
 後でまた大臣の御所見を承りたいのですが、文部省の藤村さん、この間もこの委員会で伺ったのですけれども、やはり今回の検定の段階で住民殺害という部分が全面削除された、その理由として、数字の裏づけになる根拠が不明確であるあるいは表現の仕方にいろいろ問題があるというような理由をちょっとおっしゃっておられたわけです。そこで、数字の裏づけがはっきりしない、表現の仕方に問題がある、いわゆる書き方に問題があるということですが、それをもう少し説明していただきたいのです。ではどういう表現であればいいのか、どういう表現にすれば検定はパスするのか、その辺ですね。

 これに対して藤村課長も前回に重ねてこう答えている。

○藤村説明員 御指摘の教科書の検定の個所は日本軍による住民の殺害ということを書いた部分でございます。
 これに付しました意見は、八百人という住民が戦闘の邪魔になるなどの理由で殺害されたというふうに書いてあったかと思うのですけれども、これに対しまして、八百人という数字が果たして確かなものであるかどうか、それに、戦闘の邪魔になるなどの理由でと書いてございましたので、戦闘の邪魔になるということで一斉に八百人もの多くの人間を殺したという印象を与えるおそれもある、そこで、根拠となる資料があればそれを提示してくださいということを著者側に求めたわけですけれども、最終的には、著者の方でその数字の裏づけになるような資料を出してまいりませんで、見本本にございますような記述に変更をしてきたということでございます。

 このあたりも、表現の方法ということを考えれば、当然のことではあるが、私が著者側に伝えてきた意見の趣旨に添うものとしてよいと思う。

 資料を引用して書くという方法もいろいろな手法がございますが、沖繩戦に関しましてはこれまで中学校の教科書などで幾つか記述されている例がございます。その記述の仕方を見てみますと、たとえば、沖繩県史の中に登場してくるだれだれさんの回顧談によれば次のようなことが述べられているという形で一ページあるいはもっと小さく半ページ程度を割いて書いているとか、これが、こういうものからとって、その中にこういうことが書いてある、すなわちその資料批判ができるような形で提示されているものであれば、そういった記述というものはこれまでも認めてきているということでございます。
 繰り返しになりますが、この個所につきましてはいろいろな記述の方法があるわけでございまして、特にこれは重大な問題でございますので、確実な資料に基づきまして記述をするよう、特に資料につきましては確実なものに基づいて書くということが原則でございますから、そういう観点から意見を付しましたところ、あのような表現になったわけでございます。
 もちろん、私ども、沖繩県史のような資料を否定するものではございませんし、あの中に盛られているいろいろな記録というのは非常に貴重な記録であろうと思います。
 それから、事実として日本の国内の沖繩におきまして決戦という形で激しい戦闘が行われたということも事実でございますし、こういった痛ましい事実が今日なお沖繩の人々の心の中に生き続けているということも事実であるというふうに考えております。

 このあたりは前に詳しく述べた検定意見の趣旨をよくまとめているようである。
 玉城議員の質問も続く。

○玉城委員 そうしますと、沖繩戦の全貌が、おっしゃるように客観的に公正に表現されておれば当然皆さんの検定の趣旨から言って通るわけですね。たとえば住民殺害というのにはいろいろ要因があると思うのです。今回は戦闘の邪魔になるという一つのことだけ。しかし、住民が殺害されたというのは、それだけでなくてほかにもいろいろ理由があったであろうということは当然考えられますね。そういう表現の仕方は皆さんの考え方としてどうなんですか。

 これに対して藤村課長は検定の基本的姿勢を次のように答えている。

○藤村説明員 戦争に関する記述につきましては、その事実関係を確実な資料に基づきましてできるだけ客観的に書くということがまず第一に求められているわけでございます。そして、その一部分だけを取り上げて書くということもまた誤解を招くおそれもありますので、やはりその全体がわかるように、それから短い文章であれば、それだけを読んで子供が理解できるような表現になっているということが必要でございまして、私ども、常にそういった観点から意見を付しているところでございます。

 玉城議員の質問は念を押すように続く。

○玉城委員 いまの点ですが、この前も委員会で申しましたが、小さな島で日米両軍入り乱れて住民を巻き添えにしての地上戦ですから、いろいろなケースがあったと思うのです。ですから、住民がそういう犠牲を受けた、殺害されたということ、これはたとえば米軍の火炎放射機とかあるいは住民みずから集団自決をするとか、そういういろいろなケースもあるわけですね。そういう全貌として客観的な事実というものが書かれれば、おっしゃるような住民殺害ということだけ突出してというようなことでなくて、それも含めてということであれば検定は別に問題はないわけでしょう。

 藤村課長もそれに次のように応じている。

○藤村説明員 おっしゃるように、その戦争全体がわかりまして、その中に、おっしゃいましたような事実が書かれているということであればそれらをうちの方で否定するつもりはございません。

 ちなみに前章で扱った沖縄戦に関する検定意見の中で使っている、戦闘の「全貌」とか全容という用語は、この問答の中のそれを借りたものである。
 
(9)家永氏の主張は事実誤認
 
 なお、家永氏の最終準備書面は、この問題について、次のようにまとめている。

 右の江口教授の教科書に対する検定の実態が明らかにされると、沖縄全土より非難が捲き起った。新聞などのマスコミだけでなく、県内の各団体、市町村議会、県議会は、文部省に対して、県民虐殺の記述を削除させた検定に抗議するとともに、記述の復活を要求する決議文や意見書を採択した。こうした動きの中で、文部大臣も「県民感情に配慮し、次回の検定で記述の復活を認める」等の発言をするまでに至った(この経過については、甲304号証言山川意見書47頁以下参照)。

 ここで家永氏が出典として挙げておられる山川意見書というのは、家永氏側の承認として昭和63年(1988)2月10日、那覇地裁における出張法廷に証人として立った山川宗秀氏が、同日提出された「教科書の中の沖縄戦平和教育」という意見書である。確かにその53-4頁を見ると次のような記載がある。

 政府・文部省は、「侵略」問題に関しては、8月26日、「政府見解」を発表し、「外交上」の決着をつけようとした。同日、「日本軍による沖縄県民殺害」問題については、文部大臣が、「県民感情に配慮し、次回の検定で検討することになろう」と記者会見で述べたにとどまった。「住民殺害」の記述の復活は明言していないのである。

 しかしながら、今も述べたように、すでに7月30日の衆議院外務委員会で、宮沢官房長官が、文部省は「事実がなかったと言っておるわけではないし。……載せるなといったわけでもありません」と明確に総括しているし、8月20日の同委員会で玉城議員の、「住民殺害ということだけ突出してというようなことではなくて、それも含めてということであれば検定は別に問題はないわけでしょう」とハッキリ答えているのである。従ってこれに続く次のような「山川意見書」の記述は、専ら沖縄県内の状況を取り上げているだけで、すでに国会の場で明らかにされていた文部省の態度を無視するものである、といわざるを得ない。

 燃え上がる県民世論の前に、県議会は、9月4日、与野党の全会一致で、「住民殺害」の記述の復活を求める「教科書検定に関する意見書」(『歴史と実践11号』所収)を採択した。同月8日、県議会代表団は文部省を訪れ、「意見書」を手交し、すみやかな記述の復活を申し入れた。前日の7日には、県教委、PTAなどの「県教育振興会」の代表が抗議と復活要請をしている。
 沖縄県の諸団体や県議会議員団の状況によって、「日本軍による住民殺害」問題は、ようやくマスコミも積極的に取り上げるようになり、国民的関心は深まっていった。
沖縄県民殺害」の記述の復活について、9月16日に至って、小川文部大臣は、「民主教育をすすめる県民会議」の代表による3500人分の「削除抗議の書名」の手交と抗議を受けた後の参議院決算委員会で「次の改訂検定の機会」に記述の復活を認める発言をした。

 当時、文部省にいた私は、藤村課長等とともに、すでに国会答弁で文部省の方針を明確にしているのに、マスコミの扱いはこれを無視するに等しく、一方、沖縄県の諸団体が続々と上京するといった自体を見て、暗然としたことを今も忘れない。ともかく家永氏が最終準備書面で「昭和58年の本件検定は、右の経過を経たうえでのものであったので、文部省も日本軍による住民虐殺の事実自体を書くことを否定できなくなったものの、これを書かせたくないとの根本的考えに変化はないため、日本軍による住民虐殺の事実を書くことを認めるが、この印象をできるだけ薄めるために『集団自決』をも書くように修正意見を付したのであった」と主張しておられるのは、事実誤認に基づくもので、無意味なものであるといわざるを得まい。

 なんか、今回の教科書検定騒動とよく似ている部分が多いのには驚いたのでした。
 とりあえず世間に流布している「文部省は住民虐殺の印象を薄めるために『集団自決』を書かせた」という、家永氏のテキスト以外に、時野谷滋氏その他の「全貌として客観的な事実というものが書か」れることを希望するために、集団自決を扱わせた、という主張があるのは興味深いことだったのでした。
 いろいろな事件には、いろいろな人間による複数の解釈・証言を拾ってみたいものです。
 
 まとめて読みたい人のために。
25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・1
25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・2
25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・3
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25年前の文部省の人・時野谷滋氏の「沖縄戦検定」の言い分・5