吉田修一『悪人』から、キャラの性格の「回収」について考える

 ということで、ひさびさに小説などを読んでみました。

悪人

悪人

『悪人』(吉田修一)(アマゾンリンク)
 殺されたOLと殺さなかった大学生と殺してしまった労働者の若者を軸に、家族とかいろいろな人物が出てくる話。広義のミステリーだとは思うんだけれど、作者がミステリーを意図して書こうと思ったようには思えなかった。新聞の連載小説として、割とどこから読んでもさほどトリックとか伏線とか意識しないで読めるようになっているし。ていうか、各登場人物の「性格づけ」に使われたエピソードが、物語展開的に伏線の形を成していない(回収されていない)のには読みながら困った。
 たとえば、殺さなかった大学生・増尾は、カッコづけにまずいラーメン屋を出て行くときに「ごちそうさん、まずかった」(p100)と言える男であり、殺された女性の父である佳男は、若いときはバンドやっていて現在は地元で理容店を営む初老の男。この二人が直接対峙するシーンがあっても、その他語られるエピソードがつなぎあわない。増尾の性格なら、殺された女性に対し「出会い系のあばずれ女だから殺されても当然」ぐらいのことを言い、佳男は本気でぶん殴るだろうな。ぼくの考えている小説の登場人物は、キャラの「リアル」を追求するとそうなる。
 で、殺したほうの男(若者)・祐一のほうも、個々のエピソードと、それによって語られる性格というものは何となく見えてくるんだけれど、それがうまく話の中に生きてきていない。たとえば彼は、ペーロンという競技用ボートの練習で「手のひらの皮が剥けるまで練習してしまい」(p104)大会当日の本番には出られなかった、とか、ヘルスの女性に入れ込んで弁当を作るようになったとか、もう少し転がせばいい感じで使えそうなエピソードはいくらでもあるんですけどね。警察に追われて逃亡するシーンの中に、ペーロン出て来る(それ使って逃げるとか)と当然思うんだけれど、別に出てこない。
 文章はものすごく読みやすい。こんなに読みやすい小説読んだのは久しぶり。だから、小説がヘタなんじゃないと思う。多分そういう構成(物語作り)に興味がない人なんだろうな、と思った。キャラと、それにまつわる散文的なエピソードにもとづく、曖昧な(日常的リアルな)性格づけ。事件とか話の運び具合がなんかこう、事実に基づいているかのように中途半端なのだった。どんどん読めるけど、首もどんどん傾げてしまうような話だったのですね。これはやはり読みかたが悪いのか、ぼくが小説に求めているものが悪いのか不明なんですが、作家としてどう判断するか、は、もう何冊か読んでみないと(最低、書き下ろし作品は読まないと)悪い気がする。新聞の連載小説で、ちゃんと「回収」しまくっているののほうが少ないようでもあり。