『生物と無生物のあいだ』----文章の安定したうまさに感心

 いろいろ知らないことが書いてあって面白かった。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

★『生物と無生物のあいだ』(福岡 伸一 著/講談社/777円)【→amazon

生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。

 DNA鑑定とかES細胞とかを学校の授業その他で習った覚えのない人に特におすすめ。ある程度そういう方面に知識のある人でも、PCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)マシンがどういう原理で作動して、十億コピー以上のDNA分子を作り出すか、とか(2時間で2の30乗、30サイクル分のコピーをするそうです)、ましてやそのアイデアを思いついたサーファーな科学者のキャリー・マリスのことなんか知らないだろうと思う。ほかにも複製・増殖の情報がDNAにある、ということを研究・発見した陰の功労者、オズワルド・エイブリーとか、二重らせんの構造をX線で分析して、どうもそれが原因で放射線を浴びすぎて36歳の若さで亡くなった女性科学者のロザリンド・フランクリンとか、そこまで有名でないにしても、著者に研究技術を教えたラボ・テクニシャンのスティーブ・ラフォージとか*1キャラの立っている人がたくさん出てくるよ。しかしびっくりしたのは、シュレーディンガー*2が『生命とは何か』というテキストで触れたという問題提起。
なぜ原子はそんなに小さいのか?
 考えてみたことがない人も、ちょっと考えると不思議。で、これは逆に「原子と比べてなぜわれわれはこんなに大きいのか」という風に見方を変えるといいらしい。著者が「生物」を「無生物」と区別するためのある現象、「動的な平衡状態(dynamic equilibrium)」と関係あることなんですが、まぁそれはこの本を読んでもらうとして。
 とにかく文章が自然にうまくて、ちょっと後半の専門分野に関する研究はそれでも読み通すにはしんどいですが、この本の最後に書いてある小学校時代の思い出、特に、アオスジアゲハにまつわるエピソードなどは、引用してみたくなるほど秀逸。各章の冒頭から、この人はどういう物語をその章の中で作ろうと思っているのか、実に計算している。すごい。テキストの例として、11章の冒頭だけ引用してみるよ。

 これは、世界にまだ『地図』*3がなかったときの、ごく小さな物語である。
 私は、そのころすでにニューヨークを離れてボストンに暮らしていた。この街は、アメリカの他のどの都市とも異なった光を発している。
 ニューイングランドと呼ばれる東海岸の一帯は、イギリスから清教徒が最初に到達した場所で、時間と落ち着きが静かに流れている。秋には石畳の路地にプラタナスやイタヤカエデの黄色い落ち葉が重なり、それを踏むと乾いた音がする。街の商店には、リンゴを絞ってシナモンを入れたアップル・サイダーの茶色のボトルが並ぶ。ブラウンストーンと呼ばれる褐色の石積み建物の間からのぞく空は鈍く低い。まもなく長い冬が訪れる。一日中、気温が零度を上回らない日も多くなる。そんな夜は街路灯や遠くの窓辺の光が、透明なまでに鋭角的に澄んで見える。空気中の水蒸気がすべて氷結して地表に落下してしまうので、光の通り道にそれを散乱するものが何もなくなるのだ。

(太字は引用者=ぼく)
 この人の他のテキストも読んでみたくなりました。
 

*1:裏の顔はskaの有名バンド「トースターズ」のメンバー。ちなみにサイトあります→The Toasters :: Longest Running U.S. Ska Band!

*2:物理学者として有名な人です

*3:引用者注・ヒトゲノムの「地図」ですね。