『北朝鮮へのエクソダス』----歴史として考える

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる

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冷戦下1959年以降、日本から9万人以上の在日朝鮮人北朝鮮へ渡った「帰国事業」の新資料が筆者によって発見された。日本と北朝鮮の関係に今も影を落とす驚愕の歴史が国際的スケールで明らかになる。日本、北朝鮮、韓国、ソ連、中国、米国、そして赤十字。それぞれの思惑が絡み合い、歴史は隠蔽された。東京、ジュネーブ平壌、新潟と筆者が旅しながら、息を呑む展開で物語を読み解いていく。渾身の書き下ろし。早くも海外で話題。

 朝鮮総連日本赤十字----実際には北朝鮮日本国政府がおこなった在日朝鮮人の帰国「事業」は、朝鮮戦争が休戦状態になった1959年から1984年までの間に9万人以上の人間を送った、ある歴史的事件だ。21世紀の現在、すでに国家としてはその体をなさない「凍土の共和国」への帰国は、ほぼ残念な、失敗した事業として回顧することができる。しかし、その時代の眼で見たり、その時代の人間、特に帰国を考えざるを得なかった在日朝鮮人の考えを証言でたどったりすると、その「結果」ではなく「原因」についての考察をせざるを得なくなる。具体的には、日本政府は「反日分子」として存在する数十万の、かつての「同国人」の存在に頭を悩まし、北朝鮮政府は自国のプロパガンダと、朝鮮戦争後母国に帰った、やはり数十万単位の中国人労働者の補充という苦慮があった。親米国家としてその影響下にあった日本は、在日朝鮮人が日本で暮らすことの困難さを精神的・金銭的にも補うことなく(生活保護という、彼らが唯一日本政府から得られることができた福祉枠は、再三の見直しによりどんどん削られ、安定した職場は、高度成長期のはじまり時期においても与えられることは少なかった)、とはいえ「朝鮮半島の唯一の国家」である、とあくまでも主張し、北朝鮮という国を認めない李承晩政権下の韓国を刺激する形で、公然と在日朝鮮人を「棄民」化するわけにもいかなかった。朝鮮戦争が終わってから数年の間は事実、韓国よりも北朝鮮のほうが工業力その他において勝っており、そこから流れる情報は、プロパガンダであったにしても、日本で生活することにうんざりしていた、さらに言えば夢も希望も見ることができなかった人々にはある種の希望だった。この本は、かつて行なわれた・起きた事件について、様々なすでに風化して公開されはじめた資料と、かろうじて当時を知る人間がまだ生き延びているこの時期に語られる証言で構成された、いったいどのようなことがあったのかについて(何がいけなかったのか、ではなく)まとめられた、ルポルタージュの方法に忠実なルポルタージュだ。現在の北朝鮮体制の完全な崩壊、という夢想も含めて、これから先新たな資料は続々と出てくる可能性はあるだろうし、半世紀前の事件の体験者・証言者は、まだあと何年かはそれについて語ることも可能な年齢だろう。ぼくにとってのこの本は、歴史として読むにはアクが抜けきっておらず、同時代としての経験を知ることは、映像や間接的な関係者の存在を除くと不可能な擬似ノスタルジー本として、あまりイデオロギー(政治)を意識せずに読み通すことができた、刺激的な1冊だった。昔の朝鮮総連赤十字、さらに冷戦時代の中国・ソ連・米国・韓国、そして日本の立ち位置と、それにもとづく思惑、またその思惑を支えていた人物(特に日本赤十字社の井上益太郎というキー人物)についての語り口は冷静で感情的になることが少ない。何かを知りたい人には、それがこの本に書かれているようなことではないようなことであっても、ちょっと読んでみて損はないテキストだった。