『殉国と反逆』----これはなかなか刺激的な本だった

 夏休みなのでこんな本を読みました。

殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代)

殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代)

敗戦後、『きけわだつみのこえ』『雲ながるる果てに』『あゝ同期の桜』など
数多く出版されてきた特攻隊にまつわる遺稿集とその映画から「特攻」表象の歴史的変容を読み、
「特攻」が「反戦」「犬死」「忠誠」「殉国」「反逆」と多様な語られ方
読まれ方をしてきたプロセスを追って、
戦後日本のナショナリティと「戦争の語り」の限界と可能性を照射する。

 岩波文庫から出された『きけわだつみのこえ』が、反戦思想を政治的に背負っている、恣意的な遺稿集だ、というのは今はある種常識的なところはあるのですが、それが出た3年後、1952年6月に、『雲ながるる果てに』という、主に海軍予備学生第十三期の手記をまとめた遺稿集が、「わだつみ」には書かれていないことが書いてある本としてすでに出ていたとか、人間魚雷「回天」に関係した人の手記とかもあったりとか、それらのテキストをもとに作られた映画を、その背後にある思想とあわせて語っている、とはいえ思想ではなく当時の世相というか時代の勉強本として面白く読めたのでした。
 1950〜60年代にかけての「戦争映画」ブームと重なる形で、東映任侠映画が存在し、「特攻」と「任侠」の奇妙な入れ子構造が、たとえば鶴田浩二松方弘樹といった役者が、同じように「義(義理)」について語る、そして死ぬ、という物語で、当時の新左翼系若者をシビれさせていたらしい、というのが、映画の紹介の中で何となくわかります。どうもこの、右翼と新左翼との心情的共感の結びつき具合が、今となってはさっぱりなのですが、もう見たくなるような映画の紹介のされ具合が、戦争映画と任侠映画の両方で熱く語られていて、DVDになっているようなら見ようと思ったのだった。
 紹介されている映画は、タイトルを挙げるとこんな感じ。
『きけわだつみの声』『拝啓天皇陛下様』『雲ながるる果てに』『ひめゆりの塔』『空ゆかば』『人間魚雷回天』『あゝ同期の桜』『任侠柔一代』『人生劇場・飛車角』『博徒』『昭和残侠伝』『あゝ予科練』『あゝ回天特別攻撃隊』『あゝ決戦航空隊』『緋牡丹博徒』『博奕打ち 総長賭博』
 なんかアナーキーです。
仁義なき戦い』の脚本家・笠原和夫も戦争映画のシナリオをずいぶん書いていたのを思い出した。