近藤日出造「赤本が売れて法隆寺が焼ける」ってどこ情報よ?

 …俺だったりしたらすみません。
 一応このネタ読んでおいてください。
1955年の漫画バッシング(悪書追放運動)について
 
 少し興味を持ってピンポイント的に「1955年の悪書追放運動」について調べてみることにしました。
・新憲法下でおこなわれた(多分)最初の、民主的な方法による、もしくは方法を偽装した「表現の自由」に対する組織的な異議申し立てであること。
・現代でも漫画を中心とした文化の「表現規制」の問題として語られたり尾を引いている話ではあるけど、「事件」としては一応完結していること。
・ネットで見られる情報(一次情報・資料)がほとんどないこと。
 などなどが理由です。
 
 で、その資料として、「1955年の漫画バッシング(悪書追放運動)について」でも言及した『中央公論』の一九五六年七月号、「子供漫画を斬る」なんですが。
 …ないんですよこれが! 「法隆寺」に関する言及。手塚治虫に関する、かなりひどい、というか、嫉妬の混じったテキストは、うしおそうじ氏の引用通りなんですけど、全文読んでみるとちょっと印象違うし…それについては後述します。
 まあ、法隆寺が焼けたのは1949年、近藤日出造が「子供漫画を斬る」発表したのは1957年なんで、言及時期としては少しズレている印象ですね。金閣寺鹿苑寺)炎上も1950年にあるので、それに触れてないのもおかしいし…。
 で、元発言は何に載っていたかというと、週刊朝日』1949年4月24日号の記事「こどもの赤本 俗悪マンガを衝く」の中の、「漫画家はこうみる」に出てきます。これにはほかに清水崑横山隆一の「談」もありますが、あとで紹介します。

算盤主義を排せ 近藤日出造氏談
 
 低俗な子供漫画は大阪がもとである。大体大阪人というものがそういうものだ。売れて金さえもうかればそれでいいという恥知らずなのだ。その恥知らずのつくったのが、こういう赤本漫画だ。そして彼等はこれを見て喜んでいる。少し絵画的な目を以ってすれば見るに堪えるものじゃない。絵というようなものじゃない。
 切った、張ったも出てきていい。その芯にヒューマニズムがあれば、子供はまだそれによって楽しみながら教育されていく。しかしそういうのを描くには相当しっかりした頭脳がなければ出来ることじゃない。科学漫画の荒唐無稽も一種のロマンだからいいが、やはりそれには必然性が無いのではロマンでもなんでもない。またこれらの本をえらぶ親がなっていない。趣味も教養もない親がえらぶのだから見ていておかしい。親は分厚で派手で値の安いのを探している。内容の良し悪しなどは問題じゃない、こういうものが一番売れるということからみても、この頃の世論というものが信ぜられないのだ。赤本が売れて法隆寺が焼ける。それが今の日本文化の姿だ。

 …いろいろひどい(特に大阪人に対して)。
 法隆寺の壁画が炎上したのは昭和24(1949)年1月26日、手塚治虫が『新宝島』を発表したのは1947年。
赤本 (少年向け本) - Wikipedia

赤本漫画ブームは1948年から1950年がピークと言われ、1955年には1冊が100円を越えるようになった赤本漫画は姿を消していった。

 まあそんな感じです。
 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
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