チロヌップのきつね

朝日新聞・大阪版の読者投稿欄「声」に、小学生による以下のような投書が掲載された、ということで興味を持ちました(2003年9月3日づけ)。


せんそうない日本がいちばん

小学生 寺西晃 大阪府河内長野市7歳

わたしは「チロヌップのきつね」を読みました。 さいしょはしあわせにくらしていた4人かぞくのきつねたちはある日、 へいたいさんたちが毛がわを作ろうとやってきて、てっぽうでうたれたりわなにかかったりして、ころされてしまう話です。わたしが思っていることはせんそうがなかったら、きつねたちはころされていなかったのにということです。わたしのひいじいちゃんもせんそうでしんでしまいました。せんそうがなければ、まだ元気に生きていたかもしれません。だから、わたしはせんそうが大きらいです。「日本はせんそうをやらない国だ」とお母さんがいっていました。でも、このごろは「こいずみさんはブッシュさんといっしょにせんそうをしそう」とおかあさんはいっていました。もし、日本がせんそうをしはじめたらこわいのでいやです。わたしは、せんそうがすきな人は大きらいです。わたしは、せんそうをしない日本が一ばんすみごこちがいいと思います。もし、一生せんそうをしないへいわな日本なら、一生ここでくらしたいです。

↓以下のサイトに内容紹介その他が載っています。どうやらアニメになっていたようです
http://www.cinemawork.co.jp/cwhp/list/fox.htm
作品解説はこんな感じ。

 『チロヌップのきつね』は、太平洋戦争が激しくなってきた昭和19年に、原作者である高橋さんが実際に体験したことをもとに製作したアニメーション映画です。高橋さんが千島のウルップ島(作中ではチロヌップ=アイヌ語で狐の島)に上陸した時、番小屋に住んでいた初老の夫婦が「どうか、狐を可愛がってくだされや」と言いのこして、内地へ帰りました。ところが春、きつねざくらが咲く頃になって、島のあちこちで密猟者のしかけたワナがいくつも発見されたのです。その一つに、子狐の小さな白骨体がありました。この時、高橋さんの胸に、どこへも向けようのない怒りがこみあげてきたそうです。そんな思いが『チロヌップのきつね』になりました。この物語は、小学校三年の国語の教科書にもとりあげられているので、みなさんもよくご存知と思いますが、この映画を観て、ほろびゆく自然、ほろびゆく動物達に対して、さらに深い愛情と保護の気持を持って下さればと思います。
アニメのほうのあらすじはこんな感じ。

 北の海にチロヌップという小さな島がありました。春、きつねざくらが咲く頃に、二匹の可愛いきつねが生まれました。男の子の名前はカン、女のこの名前はコロ、父さんぎつねのケン、母さんぎつねのチンと一緒に毎日仲良く暮らしていました。毎年、春になると、こんぶ採りにやって来る老夫婦が島に着きました。老夫婦は、お地蔵さんの前で、親からはぐれてしまったコロと出会い、自分達の子供のようにかわいがりました。
 やがて秋がきて、戦争は日々激しくなり、兵隊達が島にやって来ました。兵隊は、きつねの毛皮ほしさに、きつね親子を狙い、カンとケンは鉄砲で撃たれてしまいました。家族のもとにもどったコロも、兵隊のしかけたワナにはまってしまい、身動きができなくなってしまいました。動くことのできなくなったコロに母さんぎつねのチンは、一生けんめいにエサを運び続けました。
 やがて冬になり、雪が降り始めました。チンは歩くのも苦しくなり、エサを運んでやることもできなくなりました。抱きあったチンとコロの上に、雪がたくさん降り積もっていきました。
 何年かたち、戦争も終わり、春がきました。老夫婦は又、チロヌップ島にやってきました。丘の上に行くと、あたり一面にきつねざくらが咲いていました。よく見ると、きつねざくらは二つのかたまりになって、よりそうように咲いていました。そばには、ぼろぼろに錆びた、くさりのワナが残っていました。そして、そこには赤いリボンのような花がぽつんと、悲しげに咲いていました。
ここで注意したいのは、「キツネワナ」を仕掛けたのは誰か、ということです。事実の部分では、それは密猟者ということになっていますが、小学生の感想文やあらすじでは兵隊ということになっていて、少し変な感じでしたので、確認してみたくなりました。で、確認して驚愕しました。
実はこの話には前日談(松前藩時代の話)と後日談(戦後の話)があります。タイトルは『チロヌップの子 さくら』と『チロヌップのにじ』。で、その話の中ではワルモノはロシア人。いや正確にはそう書いてはありませんが、「かみの毛の赤い大おとこ」「黒い人かげ」と書いてあって、松前藩時代にはラッコの密猟をして、戦後はキツネをつかまえていた(チロヌップのモデルとなっている島はウルップ島とのことです)ということなので、間違いなくそうだと思います。
元テキストを読んで、あれこれ状況を考えてみると、小学生の感想文には疑問が残ります。まず、「へいたいさんたちが毛がわを作ろうとやってきて」というのは誤読で、戦争をやるために(というか、国土を防衛するために?)やってきたことは間違いありません。兵隊(兵士)の仕事は毛皮を作ることではないし、そのためのノウハウも普通はないんじゃないでしょうか。ただ、読んだのがアニメを元にしたテキストということなら、アニメの内容紹介では「兵隊は、きつねの毛皮ほしさに、きつね親子を狙い」と書いてあるので、誤読と断定するのは避けたいと思いますが…。余談ですが、原作のほうはキツネたちには名前はなく、擬人化もアニメほどではありません。
さらに、「わたしが思っていることはせんそうがなかったら、きつねたちはころされていなかったのにということです」というのも間違った感想でしょう。戦争がなかったら、キツネたちはロシア人の密猟者によって毛皮にされていたと思います。戦争がはじまって、兵士がその島に留まり、密猟者がワナにかかったキツネを回収することができなくなったため、「子狐の小さな白骨体」が高橋宏幸さんに見つかったんじゃないでしょうか。兵士がキツネワナを仕掛けたのなら、その仕掛けた場所も把握できていたはずで、そんなに長い間ワナにかかったままになることもなかったはずです。著者の高橋さんの「どこへも向けようのない怒り」というのは、俺の考えではやはり「ほろびゆく自然、ほろびゆく動物達」に対する人間の業を見せつけられたことによって生まれた「怒り」なんじゃないでしょうか。
この物語を反戦教育の流れとして読ませ、「もし、日本がせんそうをしはじめたらこわいのでいやです」というような素朴な感想を小学生に持たせるのが正しい読みかた(読ませかた)だとは、俺にはあまり思えませんでした。低レベルの感想としてはむしろ「わたしが思っていることはロシアの人がその島にいかなかったら、きつねたちはころされていなかったのにということです」のほうが正しいかもしれないですね。ロシア人が嫌な奴というのは、チロヌップを舞台にした高橋宏幸さんの他の2作品、『チロヌップの子 さくら』と『チロヌップのにじ』には共通のテーマです。
ていうか、朝日新聞「声」欄担当の人間は、ネタが反戦・平和だったら(あるいは親韓・親中だったら)とりあえず載せてみるんじゃなくて、載せる前に元テキスト・ソースを読んだり当たったりして欲しいと思いました。それが記者としての基本じゃないでしょうか。
『チロヌップのきつね』は、『火垂るの墓』と同じく、涙を誘う感動作なうえ反戦的誤読が容易に可能なため左寄りの人に容易に利用されがちである、という意味で、読みかたに注意が必要な本だと思いました。この本は「反人間」的な物語であり、『火垂るの墓』は「反社会」的な物語です。具体的に『火垂るの墓』に近い事件は、たとえば新潟の少女(女性)監禁事件だろうし、フィクションとしてはたとえば『ドン・キホーテ』でしょうか。まぁこの話は後日。
しかし、この本は本当に泣けるので、そういうのお好きな人は読んでみるといいでしょう。たとえば、母と娘のキツネの最後のシーン。母は銃で撃たれて足を傷つけており、子供は足がワナにかかったままで抜け出すことができません。

 のこされた かあさんぎつねに できることは、ただ、ちびこに、えさを はこぶことだけだった。
 きずついた あしを ひきずりながら、かぜの日も、みぞれの日も、かあさんぎつねは はこびつづけた。
 ゆきが ふりはじめた。
 かあさんぎつねは、あるくことさえ くるしくなった。
 木のみや 小さな 虫などを みつけるのが やっとだった。
 あたりは、いちめん ゆきで まっしろになった。ちびこは うっすらと 目をあけてみた。
 そらから、ちらちら まいおちてくる ゆきが、きつねざくらの はなのように みえた。
 かあさんぎつねは、ちびこに よりそって、ふさふさとした しっぽを かぶせてやった。
 ちびこは、からだが ほかほかと あたたまり、ねむくなってきた。
 きつねの おやこの上に、ゆきは、あとから あとから ふりつもっていった。
滂沱
あ、出版社は「金の星社」というところです。フォア文庫のほうだと全3作がまとめて読めます。
『チロヌップのきつね』(高橋宏幸、金の星社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ
『チロヌップのきつね・フォア文庫版』(高橋宏幸、金の星社)(→bk1)(→amazon)(→書籍データ
余談ですが、bk1の読書感想がまっとうな(少なくとも「反戦」ではない)のには驚きました。
↓次の日記に続きます
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20030906#p3