「壕の中で、赤子の泣き声が敵に聞こえると、わが子を殺した母親」というのは存在するのか

ということで、今現在沖縄戦についてコツコツ調べてはいるんですが、どうしてもよく分からないことがあって、それにくわしい人の知識・判断をあおぎたくなりました。
ちょっと先に引用することになりそうなテキストですが、曽野綾子さんと太田良博さん(『鉄の暴風』という沖縄戦に関する証言をまとめた本の著者)とのやりとりの中で、以下のようなテキストがあります。
「土俵をまちがえた人」という、太田良博さんが沖縄タイムスに、曽野綾子さんへの反論として発表したものなんですが、(第一回より)

壕の中で、赤子の泣き声が敵に聞こえると、わが子を殺した母親の話があるがそれも兵隊から強要されたからである。なかには、それができず、兵隊が赤子の首をしめた。そして、母親は気が変になったという話もある。

そのような「話」はぼくも聞いたことがあるんですが、それが「事実」としてあったかどうかは、ぼくには確認できませんでした(余談ですが、ぼくは幕末の南蛮人が生き血を飲んでいた、という話も聞いたことがあります)。
同じく、「赤ん坊の泣き声がうるさいので壕から追い出した」という話もよく聞くんですが、それが実際にあったのは、どの壕(ガマ)なのか確認できませんでした。(このあたりかな→守ってくれなかった日本兵
これは絶対にぼくの探しかたがヘタなせいだとしか思えないのですが、伝聞情報・伝聞証言以外の、「自分の家族がそういう目にあった・そういうことをした(特に、赤ん坊を日本兵に殺された・赤ん坊を自分の手で殺した)」という実体験者の証言テキストがどこかにあったら教えてください。ここに追記・添付してみたいと思います。できたら、「どの地域で、どの部隊と思われる日本軍と一緒のときに起きたことなのか」について、多少の調べがつきそうなものをお願いします。
以下のような記述もあるので、その「ケース」は絶対存在すると思うんですが、どうなのでしょうか。
民衆の視点からみた沖縄戦

沖縄戦の重要な特徴は、多くの沖縄県民が日本軍の手によって虐殺されたことである。その理由の第一はスパイ容疑である。たとえば久米島では米軍に保護された島民、島民に投降を勧告した者、朝鮮人の一家など二〇名が女性やこどもも含めて虐殺された。本島北部の大宜味村では米軍に保護され食糧などを支給されていた住民が日本軍からスパイだとして海岸に集められ手榴弾をなげられて二〇数名が殺された。
第二に戦闘の邪魔になるという理由である。本島南部では自然の壕に住民が隠れていたがそこに日本軍が入ってきて住民を追い出した。鉄の暴風が荒れ狂う中に放り出されることは死を意味した。また壕に日本軍と住民が同居した場合には、泣く声が敵に聞こえると言って赤ん坊や幼児の首をしめたり、注射で殺していった。また米軍に投降しようとした住民を背後から狙撃したケースもあった。

「殺すぞ」と脅かされたという証言テキストは、いくつか存在するみたいですが。
また、スパイだとして殺されたとか、住民を背後から狙撃したというケースも、一応は確認されています。
あと、証言として「泣いている子供の首を兵隊が絞めた」という記述は、「千人壕」の「儀間トヨ」さんの証言としては存在するんですが、
沖縄戦

・洞窟の中(真壁千人壕)
 
真壁では千人壕というのがあって、そこに入りました。民間人はいなくて、兵隊だけがたくさん入っていました。そしたらアメリカーに、迫撃砲をうちこまれて、壕のワクがこわされて入り口がふさがれ、出入りができなくなりましたが、アメリカーのために、ここで友だちが1人焼き殺されて死にました。それで、わたしたちは奥に行って、20日ぐらいそこで生活していました。壕の奥は水もありました。負傷者は入り口にいて全滅しましたが、友軍は奥にいました。それから千人壕からちょっとはなれた壕にうつりましたが、そこは民間人も友軍もごっちゃになっていました。大きくて、何百人も入れるので、ずいぶん大ぜいの人がいました。友軍よりも民間の人がずっと多かったんですが、そこで大変なことを見ました。四つか五つになっていたと思いますが、男の子がおりました。その子は、親がいない、といって泣いていました。子どもは入り口のほうにいましたが、壕の上には穴があいていました。そしたら、友軍の兵隊が、「この子の泣き声が敵に聞こえる、泣き声が聞こえたら私たちも大変である。この子をどうしるか、親はいないか…」と言いました。兵隊の声にだれも返事をする人はいません。それで、兵隊たちが中にはいって、殺ったんです。少し明るかったんですね。上に穴があいていたから。連れていって、三角布で首をしめたんです。民間の人はそれを見て、みんな泣いていました。首をしめるのは現に見ましたが、怖かったもんですから、最後まで見ることはできませんでした。
                                       儀間トヨ(当時19才)

怖かったもんですから、最後まで見ることはできませんでした」という部分、さらに実際に首をしめられたという子供の名前、首をしめられて殺された(死体を見た)という事実などが確認できなかったのが難儀なところです。
なお、「…という話を聞いたことがある」という伝聞情報は、山のようにネット上に存在しています。
「「殺すぞ」と脅された」という形の伝聞情報が中心で、実際に殺された、という話を聞いた、という伝聞情報は少ないようですが。
Yahoo!ブログ - ロシア・CIS・チェチェン:少し凹んでます。。

日本軍とともに立てこもった壕内で、赤ん坊が泣き止まず、
「うるさい、敵に見つかる、これ以上泣かすと殺すぞ」と脅され、
赤ん坊お口を布でふさいだという話もよく聞きます。

沖縄戦

悪質なものになると、ガマの中で泣く赤ん坊は米軍に見つかるので射殺する。

川瀬のみやこ物語 episode2: April 2006:「顕彰」はする、でも「慰め」にはしない

食料を奪う、住民が避難していたガマ(洞窟)から追い立てる、鳴き声が聞こえるとまずいからと赤ん坊を殺す、というような酸鼻きわまる事件はこれまでも繰り返し語り継がれてきました。

書けなかった沖縄

ガマの中に入っていて,上から削岩機でもって穴開けられてる時の気持ち,あるいは赤ちゃんと一緒にどこか物陰に隠れている。向こうだって怖いに決まってるんだから,銃を構えていて,何か動くもんがあったらすぐに撃ってやろうってのは当たり前の話なんです。その時に赤ん坊が泣いたとする。赤ん坊の泣き声を聞かれちゃまずいと思って,つい鼻を掌で覆ってしまうってのは当然でしょう。早く米軍の兵士がいなくなってくれればいいと思って,じいっと身を竦めて,ようやく危険が去って掌を放したら,赤ん坊が窒息してたってこともあるだろうと思う。そんな形の戦場を僕は知らない。

沖縄の戦争祈念館には、以下のような展示物があるそうです。
沖縄

ガラス張りのフロアーには本物の不発弾が展示されていました。資料館にはかなりの展示物があり、時間がなくて全てをまわることはできませんでした。
大画面で戦争の映像が繰り返し上映されていました。当時の状況が人形で再現されていました。暗い壕のなかで、おびえる家族と泣きじゃくる赤ん坊の口をおさえる母親と「外に声がもれると敵に見つかるではないか。殺すぞ。」と銃を突きつけていた日本兵がつくられていました。実際にこうしてたくさんの赤ん坊が死んだそうです。

で、こんな記述を見つけました。
収蔵品検索:沖縄戦米軍記録写真 613

息をひそめて壕内にかくれ住んでいた住民や日本兵にとっては、赤ん坊の泣き声が一番危険であった。沖縄戦後期、発見されるのを恐れた敗残の日本兵に強制されて、母親の手で絶息させられた赤ん坊の数は少なくはない。このほら穴には11人の住民がかくれていたが、この赤ん坊の泣き声で全員無事救出された。4月の戦争初期で、日本兵が同居していなかったのが幸いした。

比較的事実をたどれそうなのはこの記述かな。証言者の名前は「玉城キク」さんだそうです。
こば健太郎オフィシャルサイト / こばの本

島民、そして日本兵がひしめいていた。突然、赤ん坊が泣き叫んだ。「見つかる。殺せ」日本兵が母親に命じた。母親は赤ん坊の首に手をかけるが、締めきれるはずもない。乾いた銃音が壕内に響いた。薄暗いランプの下でも、赤ん坊の額から鮮血が飛び散るのがはっきり見えた。

これは「わが子を殺した母親」に関する証言ではないんですが…。
また、沖縄の資料館では「少なくはない」とのことなので、もういくつか資料になりそうな証言が欲しいところです。
 
これは以下の日記に続きます。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060923/baby2