相対化って別に「どっちもどっち」化じゃないと多分思うので、ぼくはどんどんいろいろなものを相対化=ネタ化していきたい
以下の記事について、
→「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall
→続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall
少しだけブクマコメントつけましたが、
→はてなブックマーク - 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall
2008年01月03日 lovelovedog 「歴史修正主義のカジュアルな広まり」は、ぼくも危惧しているんだけど、歴史的事件のどこまでが本当なのか疑問を持つと歴史修正主義者的レッテル貼りをされてしまう現状があるのは、元エントリーが示している通り
さらにブクマコメントで書こうかとも思ったんだけど、なんかコメントしづらい。ええと、まず自分の日記では反人権的発言もしたことはない*1し、嫌韓・嫌中の人にテキスト引用されているのは、その引用の程度によっては迷惑していることは再三あるんだけど、別に言及は今までしていなかったかな。ちょっと言及・明言しておこう。(プロフィール参照)。
→この日記について - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
ささやかなお願い
俺のサイトは「嫌韓」「嫌中」というような、韓国・中国その他の国家・民族を憎んだり侮蔑したり、またそういう行為をあおるのが眼目のサイトではありませんので、そこのところくれぐれもよろしくご理解ください。
立ち位置として「嫌韓」的な姿勢から、ニュースクリップしている情報提供・リンク系サイトは、そういったサイトの主張・考えもご理解しますが、俺のサイトのテキストにリンク&コメントをつける場合は、ご配慮いただけましたら幸いです。
なんで嫌韓・嫌中*2のサイトがネット内で盛り上がっている*3かというと、要するにマスコミ不信*4かなぁ、とか思う。小林よしのりの全盛期の遺物がネットで残っているのか。
しかし、マスコミは信用できないけど、ネットのテキストはもっと信用できない、というのが普通の感覚なのでは。企業や官庁の広報とか、海外の新聞の元記事とか、既成の新聞やテレビのフィルターを通していない生情報に当たれるのは便利なんですけど、ほとんどの人がそこまでネットを利用していない、という事実には驚きだよ。ネタとしての、どこの誰だかわからない人が何か言った、みたいなことでも、それが面白ければネット内情報としては流布してしまう*5。
あと、これ。
歴史修正主義者による歴史家やブロガーへのここに書くにもはばかられるような程度の低い罵詈雑言やレッテル貼り(反日、売国奴、工作員とか、最悪なのはおまえは朝鮮人かというような露骨な差別主義まで)がネットにはしばしば見られるんだけれど、それをどう考えているのか。それを考えれば反歴史修正主義の論者でレッテル貼りをやるのは、話題になっているClaw氏とか数はかなり限られてくる(ネトウヨとかニートとか、オタクとか感心できないレッテル張りがあるのも事実だ)。
ぼくは「歴史修正主義者」というレッテルを貼られて超迷惑しているのですが、「反日、売国奴、工作員とか、最悪なのはおまえは朝鮮人かというような露骨な差別主義」のネットテキストに関しては、もう少し具体的な例を挙げてもらわないとちょっと何とも言えない。2ちゃんねる的なテキストに関しては、批判・擁護以前の問題として、言及したことも少ないけど、ぼくの過去の日記の中ではこんなのもあるか。
→新大久保駅で人助けをした申鉉亀さんはいい人なのか悪い人なのか。あと次第に劣化していった報道の内容について
→福島瑞穂さんだろうと誰だろうと、右も左も関係ない、ネットで流れている情報を信じるな。ぼくの言うことも信じるな(あれ?)
要するに、「どう考えているか」と聞かれると「あまりにひどいものは、ネタとしてある種おいしいので、取り上げる場合もある」という感じです。
嫌韓・嫌中系のサイトは、結局、こういう話をこんな形で切り込むと、マスコミには報道されていない真実がある=マスコミは中国・韓国の批判や悪い面を取り上げることはあまり多くない、みたいな感じで、要するに需要に対する供給が生まれた、みたいな感じを受けるです。その多くのサイトがハングルも中文も読めない人が運営している(ネットの中の伝聞情報を流しているだけ)というのは、大いに問題があると思います。
あと、ニセ科学に関してだけど、どういう条件ならどういう結晶ができるか、とか、人類の進化においてどういう点が有利だったのか、みたいなことを話すのもニセ科学論者なのか、という疑問がある。関係ないけどSF業界ではID理論って商売としてオイシイ(そういうの好きな読者が一定数いる)ので、ぼくがSF作家ならフィクションとしてちょっと利用してしまうかも。ミステリー作家が密室殺人ネタを扱うのと同じ感じ。信じているか、と、読者にどう信じさせるか、は、ドキュメンタリーとしてフィクションを映像化する人がどう考えているか、のレベルで、いろいろ幅があると思う。密室殺人の小説なんて、バカ*6が書いてバカが読むものです。