【コロンブス以前】太平洋間交流の可能性【に到達】
最近の世界史板@2ちゃんねるの100越えスレッド。秀>優>良>並>駄、というのが目安です。
元スレッド。
→【コロンブス以前】太平洋間交流の可能性【に到達】
歴史に残ってないことを語らねばならない難点があるけど、良。。
- 1 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:25:34 0
- 通常、コロンブス、またはバイキングの到達以前に海を越えて新大陸
に到達した例はない、とこれまで考えられてきましたが、様々な状況証拠をもとに
太平洋を横断して新大陸と旧大陸が相互交流していた可能性を考えている
人たちも出てきています。
太平洋を横断して新旧大陸間を往来することが、大航海以前に可能だったか、
また実際に相互に影響があったのか探っていきませんか。
- 2 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:33:34 0
- では、まず太平洋横断を果たしていた最有力候補としてポリネシア人を
挙げます。
スター・ナビゲーション法の知識の普及により、羅針盤等がなくても長距離遠洋航海
ができることが明らかになってきました。ポリネシアはサツマイモを主食としていますが、
サツマイモは南米原産の植物です。しかし、クックなどの欧米人がポリネシアに
到達した時にはすでにポリネシアではサツマイモが幅広く栽培され、個々の島ごとに
多様な品種が作られている状況でした。
はるかマダガスカルまで航海できたポリネシア人がイースター島から先へ行けなかった
とは考えられません。最初の新大陸到達者はポリネシア人だろうと個人的には
考えています。
- 3 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:33:48 0
- 北の方つながってたんだからそっちでいいじゃん。
- 4 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:48:06 0
- そういえばトンチキ号ってあったよな
- 5 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 22:56:26 0
- 参考になるのはこちらです。
>http://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/126/12/126_1341/_article/-char/ja
サツマイモはポリネシア語でkumala 、ケチュア語でkumarで明らかに借入語です。
また、サツマイモは種子の状態では水中では腐朽しやすく、サツマイモの伝播のためには人の
手を借りることが必要だと考えられます。
- 6 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:01:02 0
- >>5
日本語で「名前」はドイツ語で「ナーメ」っていうらしいぜ。
- 7 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:27:00 0
- 済みません、確かに偶然の一致の可能性もあります。しかし、ポリネシア人の航海
能力と、サツマイモの特性、考古学的証拠(ポリネシアでのサツマイモ栽培は相当
昔に遡ることが、遺跡の発掘から分かってきたようですが)を考えると偶然の一致では
片付けられないのではないかと。
ほかに、代表的な南米原産植物であるトウモロコシにも複雑な問題があります。
こちらによると、中国での最古のトウモロコシの絵図は1505年刊行の本草品彙精要に
現れるようですが、コロンブスのアメリカからの帰還後僅か12年です。
栽培植物の移入のためにはあまりにも早過ぎると思いませんか。
>http://www.jstage.jst.go.jp/article/yakushi/126/1/27/_pdf/-char/ja/
さらに13世紀建立のインドの寺院にもトウモロコシの彫刻があるようです。
本当にトウモロコシを新大陸から持ち帰ったのはコロンブスなのでしょうか?
- 8 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:27:44 O
- 英語じゃネームだね
そういやバイキングの根拠地の島にはモンゴロイドの遺体と混血が混ざってたそうだけど
人類の活動は思ったより広範囲なのかもね
- 9 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:49:27 0
- また、古代中国と南米文明との相互影響を考える人もいます。
古くはジョゼフ・ドゥ・ギニューの扶桑国アメリカ説があります。
これはトンデモだったようですが、古代中国と南米の文化にはかなり
共通点があると考える人はいます。
「文字の歴史」スティーブン・ロジャー・フィッシャーでは、
マヤ文字は漢字と同じように複数の基本文字パーツを組み合わせて文字を作っている
こと、縦書きである点などから、中国からの影響があることを疑っているようです。
また、インカではキープが文字代わりに使われていましたが、日本にも沖縄に藁算という
キープそっくりの物があり、中国の史書にも古代日本人は文字を知らず、縄を結んで
文字代わりとしていることが記されています(随書倭国伝)。
また、中国自身が太古の時代は縄を文字代わりに使っていたようです(老子)。
これは偶然でしょうか?
- 10 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:59:21 0
- >>9 古代中国と南米文明との相互影響
そんな昔に相互に影響しあうのに何年かかったの?
- 11 :世界@名無史さん:2008/06/14(土) 23:59:35 0
- また、成人T細胞白血病ウィルスは日本とチリにしか分布していません。
チリ人がコロンブス到達以後に日本人から感染させられた可能性もありますが、
最近アンデスで発掘されたコロンブス到達期以前のミイラからもこのウィルスが
発見されています。
ちなみに、エクアドルで発掘されたバルティビア土器は縄文土器そっくりと
いうことで有名です。所蔵するスミソニアン博物館の見解では、縄文土器と
区別できる点は何もないようです。
- 12 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:02:55 O
- タイ人系は楚にいたって本当なのかな
- 13 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:05:08 0
- 確か古田武彦が漢書だか魏志だかの記述から当時の中国人はガラパゴス諸島も
南米の存在も知っていたとか著作で主張していたような記憶があるな
- 14 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:08:26 0
- >>11
なんでチリと陸続きの地域に広がらなかったんだろう?
- 15 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:15:36 O
- バルディビア土器=縄文土器はフランスの研究者が誤って写真を取り違えたのが原因って話をどっかで聞いたけど、
誰か詳しい人、あるいはとてたに解説してもらいたい
- 16 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:20:48 0
- 十二指腸虫の感染パターンは各民族で固有のパターンを持っているそうですが、
十二指腸虫(ancylostoma duodenale)とアメリカ十二指腸虫(necator americanus)
との複合感染が中国を中心とした極東アジア圏とネイティブアメリカンの双方で
共通しています。アメリカ十二指腸虫は北緯20度〜35度のアジア圏に起源を持つと
考えられているようです。
中国と南米で共通した文化要素はかなりあります。ともに生贄を大量に捧げたこと、
肩甲骨占い、玉の珍重、死者の口に蝉の彫り物を入れたこと、辰砂等を使った赤色を
魔除けとして多用したこと、などが共通する要素です。
ほかにも多種多様な共通点があるようですが、私には分からないので・・・
ジョゼフ・ニーダムなどは、あまりにも良く似た文化要素が多いことから、
中国から南米へ継続的な影響があったと確信しているようです。
彼は、何度も起った偶然の漂流によって様々な文化が南米へ伝えられたのではないかと
考えているようです。
- 17 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:27:23 0
- >>16 様々な文化が南米へ伝えられた
南米が伝え「られた」側、なんですね?
- 18 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:27:25 0
- 19世紀のアメリカの記録では5年に1度くらいの割合で中国ジャンクの
アメリカ西海岸への漂流があったようです。北太平洋では黒潮が流れていますので
、漂流すると着きたくなくてもアメリカに漂着してしまいます。
日本船が漂着した記録もあるようです。
アメリカへ漂着した東アジア人は累計すると相当な数になるのではないでしょうか。
これらの漂着民によって様々な文化が新大陸に伝えられた可能性があるのではないかな、
と考えています。個人的には無理のない仮説だと思うのですが。
以上、思いのたけをぶち上げてしましました。おやすみなさい
- 19 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 00:47:23 0
- 鄭和の船団の一部がコロンブスより先にアメリカに到達していたって説もあったな・・・
- 20 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 06:09:35 0
- >>14
日本でも西日本が流行の中心で、関東以北はあまりない。
主要な感染ルートは母乳を介するものだから、その家系以外には
広まりにくく、あまり広範囲に流行しにくいんじゃないですか。
ウィルス感染者1300人の内1人の割合でしか発症しないそうで、そんな
強力なウィルスじゃないですね。
- 21 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 20:30:55 0
- >>1
ポリネシアならまだしも、中国となるとさすがにトンデモになるぞ
- 22 :世界@名無史さん:2008/06/15(日) 22:46:12 0
- 前、TBSで話題のアマゾン古代文明モホスについてやっていたとき、
出土人骨の形態が日本の弥生人に酷似し、DNAを調べると山東半島の人間と
ほぼ同じだったそうだが。
銅鏡らしきものとヒスイを大量に副葬物として埋葬していたそうだ。そんなものを
珍重していたのは、殷とか日本とか極東アジアの人間だけだったと思うが。
- 23 :世界@名無史さん:2008/06/16(月) 12:28:36 0
- それは山東半島の人間に近いグループが
1万年以上前にアメリカ半島に渡っただけのこと
- 24 :世界@名無史さん:2008/06/26(木) 22:46:59 0
- それって徐福伝説?
- 25 :世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:31:01 0
- >>8
ウラルあたりにはモンゴロイドは普通にいそうだから
そのへんからつれてこられたんじゃね?
- 26 :世界@名無史さん:2008/06/28(土) 07:10:45 0
- >>23
1万年も経てば人間の形質なんて変わっちゃうから、それは無理でしょ。
>>8
エスキモーはかなりバイキングとの接触がありそうなんだけど。
>>18
幕末ごろの話だけど、アメリカでインディアンの奴隷にされてた日本人が
3名ほど保護されたことがあるらしい。ただの漁民だけど、ジョン万次郎
みたいに遭難して北米にたどり着いたらしい
- 27 :世界@名無史さん:2008/06/28(土) 08:07:20 0
- >>26
形質と遺伝子の近さは関係ないだろ
現に日本の弥生人に形質は近いが
山東半島の人間に形質が近いとはまったく書いてない
まったく証明できないものをさも事実であるかのように語られてもね
漂流でアメリカ大陸についたいものは有史以前にいくらかいただろうが
ほとんど痕跡残さず消えたのが実際だろう
- 28 :世界@名無史さん:2008/06/28(土) 08:33:34 0
- その番組見てたけど弥生人に似てるが酷似とまではいってないぞ
それに文明レベルも先史レベルで都市国家ですらない
殷の影響うんぬんするほどでもない
遺伝子もインディオは東アジア人に近いって当たり前なことを言ってるだけで
モホスを築いた人間が特別なわけでもなんでもない
とにかくその番組は東アジア人が太平洋を渡ってモホス文明を築いたみたいなことは言ってなかった
それにアンデスでは既に都市国家が築かれてたし
- 29 :ゆか:2008/06/29(日) 08:18:26 0
- 海を渡ったピラミッド(ロバート・M・ショック)ではコロンブス以前の新大陸
も文明の十字路で人種の坩堝だったとの見解だ。妥当だと思う。
インカやアステカのビラコチャやケツァルコアトルの伝説。古代エジプトと酷似しているチチカカ
湖の葦船。メキシコシティやリオデジャネイロでヘレニズム様式の彫像やローマの壷
が発掘されたことがあったらしい。後、フェニキア文字が北米で見つかったとか。
時間がないので後で。
- 30 :ゆか:2008/06/29(日) 21:00:13 0
- 続き
オルメカ文明の遺跡からは黒人および白人と思われる彫刻が見つかっている。
これは後のビラコチャ伝説につながる。
>http://www.grahamhancock-japan.com/features1/strangers-p1.htm
>http://www.geocities.jp/ruinas_maya/todomexico/olmeca.html
サヤインゲンとヒョウタンが、スペイン人
渡来以前の遺跡から発掘。逆に古代エジプトのミイラにコカインとニコチンが1990
年代になってドイツウルム大学が検出。
エジプトとペルーの葦舟は同一の設計で、エジプト人のアメリカ大陸航海を唱えた
著名な人類学者トール・ハイエルダールが大西洋横断を証明。
フランシスコ・ピサロ達が既に南米のあちこちでニワトリを目撃したが、ニワトリは
パキスタン原産。しかも、南米のニワトリはアジア産のものに似ている。
言語ではニワトリは、カルチャ(インド)⇔カラカ(アラワカ族)、ケorキorカイ(中国・方言ごと)⇔
ケorキorエクorイク(マヤ系諸言語)、オンドリ(日本)⇔オトリ(メキシコ タラフマラ族)。
ミイラの製造法がエジプトとペルーで同一、内臓を肛門から掻き出し別の壷に入れて保存。
ポポルヴフの逸話では1.マヤ族が新天地へ向かうと海が割れて道ができた、
2.神フンフナパーが乙女に林檎を食べるよう唆す→ほかの神が怒り乙女は双子の神を身ごもる、
という逸話が存在。
ポポルヴフでは最初の祖先は黒い人々も白い人々もおり、容貌も言語も様々だったとしています。
新大陸は何度も発見されてきたのでしょう。新大陸は東西の文明が出会い、古い人と新しい人が
出会う、人種と民族の坩堝だったのです。
- 31 :世界@名無史さん:2008/06/29(日) 22:43:38 0
- どうせトンデモだろ
誰も真に受けないから安心しろ
だいたいコロンブス以前にバイキングやらアラブ人が漂流して新大陸に着いた話はある
ようするにその程度で交流というレベルではない
そもそもちゃんとした資料がない
あったらしいとか思われるじゃダメなんだよ
- 32 :ゆか:2008/06/29(日) 23:37:03 0
- ロバート・M・ショックさんは1983年にエール大学で地質学と地球物理学で博士号を
取得し、その後はボストン大学の一般教養学部で教鞭を取っておられる方。
れっきとした学究では。
単なるトンデモ学者扱いできないでしょう。
本を読んでみればその論の進め方は慎重です。
- 33 :世界@名無史さん:2008/06/30(月) 01:04:47 0
- 大野晋の日本語、タミル語同祖説とおなじようなもんだな
名前とNAMEを同語源と言ってるようなもん
ちなみに大野晋は東大卒、学習院大学名誉教授だがこの説は学会では相手にされてない
似たようなものだけ取り出して辻褄あわせるようなことはできるが
ちゃんとした証拠がないと証明にならない
その内容みてもいトンデモっぽさがぷんぷんする
南太平洋諸島のポリネシア系の人間と微々たる交流がある程度ならまだリアリティあるが
エジプトのミイラとか、旧約聖書に似てる話となるとほんとトンデモ
オンドリ、オトリは笑うところか?
洪水伝説は世界中にあるけど起源がひとつのわけないじゃん
ピサロが本当にニワトリだと思ったのは違う鳥かもしれないし
そもそも南米のニワトリは近代アジアから導入された可能性もあるじゃん
サヤインゲンの話も詐欺くさいしな
インディオの遺伝子は旧大陸の人間に比べると均一なことから
他との交流は考えにくい
- 34 :世界@名無史さん:2008/06/30(月) 01:09:08 0
- ネットで調べたら
>>>ギザの大スフィンクスが七〇〇〇年以上前に建造されたことを、
>>地質学的に証明したボストン大学の地質学者ロバート・ショック教授
だってよ
トンデモだろ
しかもトンデモの大著「神々の指紋」と同列に扱われてるし
- 35 :世界@名無史さん:2008/06/30(月) 13:21:44 O
- >>29
フェニキア人の新大陸到達説ではブラジルのパライバ川から碑文が発見された例が有名だが
これは現代の研究で偽造品であると確定されている
理由として、文面が聖書の文言を所々繋ぎ合わせてヘブライ語をフェニキア文字へ転写しただけの寄せ集めであったこと、
更には一部にフェニキア人の大航海時代には存在しないはずのラテン語の文法則が使われていたこと、
また同時に発見された硬貨が19世紀末に造られた模造品であったことなどが指摘されている
報告者のサイラス・ゴードンは高名なオリエント学者だったが、クロスをはじめとする弟子の碑文学者たちにこれらの反論を受け
その後自身の報告が間違っている可能性が高いことを認めた
今ではオリエント碑文学における失敗例として取り上げられており、
第一線の学者でも史料分析にあたっては慎重を期すべきであり
来歴がはっきりしない史料については史料信頼度が限りなく低いものとして扱うべきであることを教える
格好の教材になっている
- 36 :世界@名無史さん:2008/08/29(金) 20:57:21 0
- モルモン聖書ではリーハイなる人物が紀元前600年に大西洋を渡ったことになっているが
船はさしずめ丸木舟だろうか。
- 37 :世界@名無史さん:2008/12/22(月) 19:48:42 0
- ボリビアにあった文明の遺跡からローマのものと思われる食器が出てきたって来たことあるけど
ソースも見つからないしデマだったんだろうか?
- 38 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 13:33:49 0
- レイフ・エリクソンなら知ってるけど
- 39 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 13:38:18 0
- あれは大西洋だけどね
- 40 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 16:58:02 0
- トルコの古地図に南米大陸や南極大陸まで書いてあった、というのもあったな。
- 41 :世界@名無史さん:2009/02/28(土) 17:47:50 0
- 「ビリ・レイスの地図」か。
はるか南方に巨大な大陸があるという説は、
南極大陸が発見されるよりはるか以前、古代ギリシャの頃からあった。
ただしそれは、
当時の人々が知る世界の陸地の多くは北に偏っているから、南にも陸地がないとバランスが取れないという
妙な理屈にもとづいた理論上あるいは空想上の存在であった。
ビリ・レイスの地図に書かれている「南極大陸」もそれである可能性が高いといわれる。
ちなみに雪と氷に覆われている実際の南極大陸と違って、その空想上の大陸は、
南の大陸なんだから暑いはずということで、アフリカと似たような動物がいると考えられていたそうだ。
- 42 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:38:23 0
- ビリ・レイスは中米の地図を拡大して添えただけ。
- 43 :世界@名無史さん:2009/03/03(火) 18:38:53 0
- コロンブス以前にポリネシア人と西アフリカ人が米大陸と交流していた確たる証拠は見つかってるの?
- 49 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 10:30:45 0
- オルメカの石像=黒人風の顔=アフリカ人が渡来?
- 50 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 16:27:12 O
- エクアドルで縄文式土器が発掘されています。
- 51 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 16:32:35 O
- ポリネシアンはアウトリガーカヌーで太平洋を自由に往き来していました。
- 52 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 16:33:23 O
- コロンブスが到達したときには既に先住民がいたわけで。
- 53 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 16:38:18 O
- ソーハイアダーがピラミッドの地下で発見された太陽の船を使って大西洋横断に成功し、コンティキ号を使ってペルーからタヒチまでの横断に成功しました。日本の英語の教科書にのっていました。
- 54 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 20:23:07 0
- 渡航することだけできても、帰港往復なんか、バイキング以前の、
ポリネシア人、西アフリカ人、フェニキア人、ローマ人には絶対無理ぃぃぃぃぃぃ!
- 55 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 20:30:17 0
- 北米インディアン・ズニ族が日本人の末裔という説も
- 56 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 21:57:30 0
- >>55
何でもかんでも末裔とか起源を主張すると朝鮮人みたいでキモイ
- 57 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 22:01:15 0
- ズニはフェニキア人末裔だ。
- 58 :世界@名無史さん:2009/03/09(月) 23:55:18 O
- コロンブス以前だと、バイキングのカナダ入植が有名だが。
まぁあれは遺跡からみるに数年しか持たなかったみたい。
あとバスク人がニューファンドランドに拠点置いた説あるよな。
鱈とってたてゆう
- 59 :世界@名無史さん:2009/03/10(火) 00:01:07 0
- >>56
現にプエブロ系は人種的にあんまり変なんで、
いろんなところに起源が求められてきている。日本語起源論みたいなものさ。
その電波説群の中に、日本起源というのもある。
今の所明らかになったのは、
他のネイティブアメリカンよりもかなり遅れて、
東アジアからアメリカに入ったモンゴロイド集団があり、
その主力の一つがズニ族らしいということ。
これは、遺伝子分析で明らかになった。
- 60 :世界@名無史さん:2009/03/10(火) 14:48:38 0
- でもズニは内陸部の民族だ。太平洋沿岸部の先住民が全滅しているので、
いまとなっては
東アジアからアメリカに入ったモンゴロイド集団?といっても、研究方法もわからないだろう。
- 62 :世界@名無史さん:2009/03/10(火) 14:52:02 0
- カリフォルニア太平洋沿岸部の先住民が全滅しているので、
いまとなっては
東アジアからアメリカに入った新モンゴロイド集団?といっても、研究方法もわからないだろう。
- 63 :世界@名無史さん:2009/03/10(火) 22:35:53 0
- >>56
言ってるのはアメリカ人なんだがな
「ズニ族の謎」という本がちくまから出てるから嫁
- 64 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 09:18:11 0
- ホピの予言やズニの謎=ニューエージ風観光客相手に言い出したネタでしょ?
- 65 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 09:18:46 0
- 「ドゴンの謎」のように。
- 66 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 09:23:54 0
- >>59
その遺伝子分析が本当でも、中国人移民との混血かもしれないじゃない。
中国人労働者が鉄道建設に従事していた。
- 67 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 17:11:20 P
- 氷河期にモンゴロイドが到達してインディアンの先祖。
モンゴロイド=アジア系=中国人 の三段論法。
アメリカに初到達したのは中国人だ!
- 68 :世界@名無史さん:2009/03/12(木) 20:45:22 0
- アメリカには古モンゴロイドだけな
後発組はエスキモー・アレウトだけ。
- 69 :世界@名無史さん:2009/03/14(土) 05:48:52 O
- >>32-34
自然科学者がやる考古学・歴史学ってのはその時点でかなりの核地雷だろう。
日本でも自然科学系の博士号持ちやら大学教授やらでかなり大勢トンデモいなかったか?
- 70 :世界@名無史さん:2009/03/24(火) 07:52:25 0
- イースター島の論語論語は捏造品?
- 71 :世界@名無史さん:2009/03/26(木) 14:07:42 P
- 子曰くニャモニャモ也?
- 73 :世界@名無史さん:2009/04/01(水) 15:24:09 0
- トンガ帝国がもうちょっと頑張ってくれれば環太平洋に一代文化圏が誕生したのに
- 74 :世界@名無史さん:2009/06/20(土) 22:02:30 0
- オセアニアの国家って津波一発で壊滅しそうだよな。
実際に今までに1ダースぐらい壊滅してるかもしれんが。
俺らがその存在を知らないだけで。
- 75 :世界@名無史さん:2009/06/21(日) 15:53:01 0
- >>60
ズニことアーシウィは「西の海岸」から地震を逃れて内陸へ移住して
今の土地に来たとの伝承がある、とデービスの著書にあったよ。
移住後も太平洋まで巡礼や交易を通して西海岸の知識は現在まで伝わっているそうな。
- 76 :世界@名無史さん:2009/06/25(木) 23:30:47 0
- その話本当かなあ 地震で民族移動なんて他では聞かない話だし
- 77 :世界@名無史さん:2009/06/28(日) 14:52:00 0
- チリ出土のニワトリ遺伝子、トンガ・サモア種の配列と一致か
http://native.way-nifty.com/native_heart/2007/06/post_2ac9.html
すくなくとも14〜15世紀ごろかもとのこと。
- 78 :世界@名無史さん:2009/07/25(土) 22:50:03 0
- >>70
ピサロが鶏を目撃したという>>30のくだりが気になったが
遺跡から骨が出土したりしていないのだろうか?
- 79 :世界@名無史さん:2009/07/25(土) 23:05:24 0
- >>77
決定だな。ポリネシア人が仲介して太平洋間交易が行われていた。
鶏もポリネシア経由で南米に入っていた。ピサロらが見たのもそれだろ
- 80 :とてた ◆0Ot7ihccMU :2009/07/26(日) 12:43:11 0
- >>77
クマラ・ルートの逆事例ですか…。
ちょとこのスレ向けのあれこれが(ポリネシアの西方大陸伝承とか)
あるんですが、もうちょと落ち着いてからにします。
- 81 :世界@名無史さん:2009/08/12(水) 10:42:00 P
- >>74
津波って、波というよりは、大きな体積の水が駆け抜けていく現象。
高くなるのは、海底浅いところがずっと続いたり、進行を遮るような形での陸地・浅瀬があったり
するとき。
日本のように何百キロも遮る形で陸があったり、大陸棚で浅い海が広がっていたりするところでは
陸地に高い潮が押し寄せるけれど、海山の先っちょが少しだけ出ている、浅い海も精々島と珊瑚礁
との間の数百メートルとかいう海洋島の地形では、津波は気づかないレベルで過ぎてゆく。
大きな津波、たとえば、チリ地震の津波にしても、三陸海岸では大きな被害は出していても、ずっと
震源に近いはずの小笠原では被害は皆無だったろ。
三陸海岸は、津波の進行方向に対して直角に対向していた上に、細長い湾、しかも、湾口が広く、
奥が狭いという、潮が高くなり易い条件が重なっていた。
小笠原は、遮る方向に島は小さいし、島のすぐそばの海も4000メートルの深海なので潮が高くならない。
- 82 :とてた ◆0Ot7ihccMU :2009/09/07(月) 18:00:43 0
- 西方、じゃなくて東方大陸伝承ですね…。
(「ポリネシアの諸島文明」より)
○マルケサス諸島のカッア・フア号
超大型カヌーで「テ・フィティ」という地に到達
○ラロトンガ島のマウイ・マルママオ
イースター島経由で「山嶺の連なる地」へ到達
どちらも、「東の地に行って帰ってきた」伝説です。
- 83 :世界@名無史さん:2009/10/16(金) 16:56:26 0
- >>81
先月末にサモアで起きた地震の場合、津波の波高は16m。
この規模の津波で、全国土が波の下になってしまう太平洋州の国はけっこうあるよ。
米領サモア 津波は16m超
http://www3.nhk.or.jp/news/k10013093621000.html
- 84 :一つの仮説:2009/10/18(日) 00:50:46 0
- my仮説
ポリネシア人が仲介して太平洋間貿易が行われていた。
東はインカやチムーから太平洋岸インディオを経てポリネシア人へ、西はインド洋圏や東アジア圏から
一旦東南アジア島嶼部の港市国家群を経てポリネシア人へ。この東西貿易でポリネシア人は
富を得ていたのでは・・・
ポリネシア人は貴族、戦士、平民、奴隷と階級性社会を形成していて、その社会の様は
大陸の大文明圏の社会によく似ているし(ニューギニアやネイティブ・アメリカンはそれほど
階層化していない)、いくつかの島では王と官僚群からなる明確な王国も形成していた。
また、トンガの巨大墳墓ランギやイースター島でのモアイなどの巨石文化を持ち、イースター島
では独自の文字まで持つなど、ふた昔前までの南の島の原始人(・・・w)的イメージから
あまりにもかけ離れすぎている。相当豊かな社会であったことがうかがえる。
あの小さな孤島群からどうやってそれだけの富を生み出していたのか?
それは交易による富だったのではないかな、と思うわけです。
しかし、ヨーロッパ人が接触を始めた頃には、すでにポリネシア社会は斜陽化していたようです。
- 85 :一つの仮説:2009/10/18(日) 01:06:14 0
- 最初にヨーロッパ人が到来したとき、各ポリネシア島間では互いに言語が
似通っており、ハワイ人とタヒチ人とで普通に会話ができていました(今は・・・)。
しかし、いくつかの島々ではほかの島まで航海できないところもすでに出てきていた
ようです。
一方、イースター島では16世紀から内戦の時代が始まり、島内のモアイがほとんど
倒されるようになってきました。
16世紀に入って何が変わってきたのか?考えられるのは東西貿易の一方側、南米の大文明圏
がポルトガル等により壊滅状態に陥ったことの影響です。
インカ帝国などの南米文明圏が壊滅したことにより、太平洋間貿易が衰退し、同時にポリネシア
社会も衰退が始まったのではないか?
そのためにポリネシアの伝統であった遠洋航海も衰退し、今のような状態にまで落ち込んだのでは
ないか?かつては輝かしい太平洋間の大航海時代があったのに、今やポリネシア人ですら
それを知る者はいない。ロンゴロンゴを読み解ける者もいなくなった。しかし、かつては
あのアウトリガーカヌーに交易品を満載し、広い太平洋を西に東に自在に行き来していた時代が
確かにあったのではないか?
そう妄想しています。
- 86 :世界@名無史さん:2009/10/18(日) 02:06:50 0
- 地球は球体。
寒冷な時期には外洋にも島が多い。
見える島には船で到達しやすい。
今は温暖。
- 87 :世界@名無史さん:2009/11/14(土) 09:26:51 0
- 読めば読むほど決定的に思える。
近い将来、世界史の教科書が書き換えられるのは間違いない。
(ニワトリの骨のDNA分析結果を受けての記事)
>http://www.nauticalarchaeologyjp.com/news/20070606587.html
>http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1616042
>http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1616043
しかも、思ってたより南米とポリネシアの交流が頻繁であった可能性も出てきている。
一昔前はオカルト扱いだったネタがこうなってくるとは、本当に分からん。
- 88 :世界@名無史さん:2009/11/19(木) 17:19:43 0
- >>85
J・金剛石の「文明崩壊・上」を嫁給え。
>>87
イースター島の住民が南米まで航海した可能性は昔もオカルトでも何でもなかったろ。
技術的には可能だったろうし。証拠がなかったから定説になってなかっただけだろ。
バイキングが北米にやってきたことだって、遺跡が発見され決定的になったのは1961年のことだ。
別にヘイエルダールの説が復活するわけではないぞ。
- 89 :世界@名無史さん:2009/11/19(木) 18:14:23 0
- 訂正
どうやら南米との交流の主役はイースター島ではなく、
マルキーズ諸島(イースター人の故郷の故郷)の方らしい。
- 90 :とてた ◆0Ot7ihccMU :2009/11/23(月) 22:47:37 0
- >>84-85
中南米側にはポリネシアからの来航を示す記録はあまりないんですけどね。
インカのユパンキ帝が派遣した船団があった「ようだ」くらい。
あとは>>82のような伝説とサツマイモの伝来が交流を示唆するだけで。
>>88-89
イースター島はかなり孤立化していたようですね。
カヌー用資材が再生産されなくなった時点で、遠洋航海は不可能になったのでしょう。
- 91 :世界@名無史さん:2009/11/26(木) 18:11:04 0
- 南米交流との候補地はあとマンガレバ島(イースター島民の故郷)もあるが、
マルキーズ諸島が3者の中では南米から一番遠い(6500㎞)にもかかわらず最有力なのは
サツマイモの栽培が一番早いのと、
この諸島が東ポリネシア各島への入植の中心地だったので島民にガッツがあるからw
ハワイはデカイしメキシコまで5000㎞だが、
サツマイモ栽培は遅いので(入植自体が遅かったわけだが)候補ではない。
- 92 :世界@名無史さん:2009/12/15(火) 21:53:46 0
- >>3
>北のほうでつながってたから
詳しい人いる?
- 93 :世界@名無史さん:2009/12/16(水) 03:39:44 O
- おそらく>>3の言った事は、>>92が期待する内容ではないと推測
- 94 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 22:58:35 0
- >>90
>中南米側にはポリネシアからの来航を示す記録はあまりない
中南米の歴史記録自体が根こそぎ破壊されてますからね。
インカのキープはほとんど保存されず、読み方もかなり分からなくなり、
マヤのコーデックス文書はカトリックがせっせと焚書にいそしんだために、
現存するのは僅か3〜4冊という状況。口碑口承も異教の物語なんで冷遇されて
まとめられたのは僅か。異教徒の悪しき教えは残らず消去!てなわけで。
>>82
ポリネシアの伝承の中にはクック諸島のララトンガ島に居たフイ・テ・ランゴリアという
人物について、荒れ狂う海を越え、白い岩だらけの土地を通過し、果てしなく氷が続く大地
に着いたという、ウヌッ!と唸りたくなる話もありますよ。もしかしたら南の・・・
- 95 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 23:06:42 0
- >>94
ちなみに伝承された家系図の世代数などからの推定では8世紀ごろの話のようです。
まあ、このあたりはかなり曖昧ですが。
- 96 :世界@名無史さん:2009/12/26(土) 23:21:32 O
- そういえば義経だか奥州藤原氏だかが北米に落ち延びてネイティブアメリカンになったとんでも説なら聞いたコトがある。
樺太や北海道のアイヌは外洋船を有していたのでどこまで行けたのかは気になるが。
- 97 :世界@名無史さん:2010/01/05(火) 18:08:05 0
- オホーツク文化はカムチャツカ南部まで広がっていたようだから
千島まで往来はあった様子。
- 98 :世界@名無史さん:2010/01/06(水) 00:19:30 0
- ロシア人の記録ではカムチャッカ半島南部にアイヌ人が3つの砦を持っていたそうだ。
オホーツクはアイヌ人の内海。
カムチャッカからアリューシャン列島を島伝いに行けば、アラスカまでは簡単に行けそうだが。
- 99 :世界@名無史さん:2010/01/06(水) 22:12:11 0
- アリューシャン列島西部(コマンドルスキー諸島とアッツ島の間)が
約500㌔離れているのが痛いところ。
この隔たりさえ克服できれば…
アレウト人もアッツ島から西へ行った形跡はない様子。いまのところ
コマンドルスキー諸島は古くからずっと無人島だったとみなされている。
- 100 :世界@名無史さん:2010/01/07(木) 01:39:05 0
- アラスカとロシアって地図で見るとあんまり離れてないよね。
もしかしたら偶然アラスカに行ってアステカとかインカとも交流
してたかも・・・なんて
- 101 :世界@名無史さん:2010/02/06(土) 12:13:44 0
- ベーリング海峡は対馬海峡よりも狭いしね。
- 102 :世界@名無史さん:2010/04/16(金) 11:17:39 0
- アラスカのクリンギット族の伝承では
彼らの祖先は海からカヌーに乗ってきた姉妹だったという
神話とかでアイヌと共通点があるという話を何かで読んだ
- 103 :世界@名無史さん:2010/05/07(金) 01:54:52 0
- ぶっちゃけユーラシア中央部の文明国はエスキモーやイヌイットの存在すら知らなかったと思うが・・・・どうなんだろう?
遊牧民族がまだまだ強かった時代はなかなか高緯度地域の情報なんて調べられないもんね、ようやく遊牧民族に対して文明国が圧倒的有利になったのは
火器・銃器の普及が浸透した16世紀頃・・・・
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