社会党委員長・浅沼稲次郎氏はなぜ右翼少年・山口二矢に刺殺されたのか

1960年10月12日、東京の日比谷公会堂で起きた事件ですが。
まぁ、これに関しては、こちらのテキストを読むだけでぼくが何も書くことはありません。
第三回 浅沼委員長刺殺事件と報道

浅沼氏を刺した山口二矢は元大日本愛国党員で、事件から3週間後、警視庁から練馬少年鑑別所に移され、その翌日、自殺しているのが見つかった。遺体の側の壁には、練り歯磨きで「七生報国 天皇陛下万歳」と書き残してあった。山口二矢が浅沼氏を暗殺の標的にした理由の一つに中国での「浅沼発言」があったと言われている。それは、浅沼氏が事件の前年の1959(昭和34)年3月、社会党訪中団の団長として中国を訪れたさい、「アメリカは日中共同の敵」と発言したというものだった。
(中略)
これを取材した共同通信記者は「アメリカは日中共同の敵」と打電,そのまま報道された。米ソ両陣営が激しく対立していただけに、この報道にいち早く反応した自民党福田赳夫幹事長は北京の浅沼氏に抗議の電報を打ち、そのことが日本国内の新聞各紙に大々的に報道され、「アメリカは日中共同の敵」という言葉が浅沼発言として全国民の知るところとなった。

「また共同か」とか「また事実の確認をしないで抗議する人か」とか「言葉の力が…」みたいな感じですが、一応その件に関する浅沼さんの発言は、こんな感じ。
浅沼稲次郎社会党訪中使節団長の「米帝国主義は日中共同の敵」演説

中国の友人の皆さん,私はただいま御紹介にあずかりました日本社会党訪中使節団の団長浅沼稲次郎であります。私どもは一昨年四月まいりまして今回が二回目であります。一昨年まいりましたときも人民外交学会の要請で講演をやりましたが 今回はまた講演の機会をあたえられましたので要請されるままにこの演壇に立ちました。つきましては私はみなさんに,日本社会党が祖国日本の完全独立と平和,さらにはアジアの平和についていかに考えているかを卒直に申しあげたいと存じます。(拍手)

今日世界の情勢をみますならば,二年前私ども使節団が中国を訪問した一九五七年四月以後の世界の情勢は変化をいたしました。毛沢東先生はこれを,東風が西風を圧倒しているという適切な言葉で表現されていますが,いまではこの言葉は中国のみでなく世界的な言葉になっています。いま世界では,平和と民主主義をもとめる勢力の増大,なかんずくアジア,アフリカにおける反植民地,反帝国主義の高揚は決定的な力となった大勢を示しています。(拍手)もはや帝国主義国家の植民地体制は崩さりつつあります。がしかし極東においてもまだ油断できない国際緊張の要因もあります。それは金門,馬祖島の問題であきらかになったように,中国の一部である台湾にはアメリカの軍事基地があり,そしてわが日本の本土と沖縄においてもアメリカの軍事基地があります。しかも,これがしだいに大小の核兵器でかためられようとしているのであります。日中両国民はこの点において,アジアにおける核非武装をかちとり外国の軍事基地の撤廃をたたかいとるという共通の重大な課題をもっているわけであります。台湾は中国の一部であり,沖縄は日本の一部であります。それにもかかわらずそれぞれの本土から分離されているのはアメリカ帝国主義のためであります。アメリカ帝国主義についておたがいは共同の敵とみなしてたたかわなければならないと思います。(拍手)
(後略)

ちょっと共同通信がどんな記事を書いて発信したのか、また浅沼さんの日本語演説が中国語にはどのように翻訳されて伝えられたのか調べなければいけないんですが*1、なかなか時代を感じさせる演説で、現在のネット右翼の皆さんが読んだら「だから社会党社民党はダメなんだ」という感想を持つかも知れませんが、それは現在の目で過去を見るからの話。昔は共産主義って、ソ連・中国という二大大国がそれだったわけで、景気よかったんですよ。北朝鮮も韓国より工業生産とかがあって、共産主義の未来に関しては、誰もそんなに悲観的ではありませんでした。
で、山口二矢少年の思想的背景などについては、こんなサイトなど。
The Day of OTOYA: 山口二矢烈士の供述調書と資料

ルポライター沢木耕太郎の「テロルの決算」によれば、一本の刃は社会党委員長の命を断っただけでなく、その後の社会党の分裂をもたらした「出発点」ということになる。浅沼亡きあとの社会党がたどった凋落、長期低迷の原因は、大衆の人気、支持を失った党派性にあるといって良い。人間機関車、演説百姓と呼ばれた浅沼稲次郎の持つ大衆性は、それなりに評価されるが、今日の社会党にみられる議員党の奢り、労組依存の労働貴族化は、もはや浅沼の屍を乗り越えて進む(歩む)党の姿はない。

沢木耕太郎の『テロルの決算』も読まないとなぁ。愛国テロルというか、愛国右翼者の思想的・心情的背景にはとても興味があります。
烈士・山口二矢とその時代(維新運動)

その後十二日の立会演説会までの山口烈士は、左翼指導者を倒す方法と人選を考えていた。倒す標的は日教組・小林委員長、共産党野坂参三社会党浅沼稲次郎自民党河野一郎石橋湛山らで、彼らは「日本をソ連に売り渡そうと赤化に狂奔し、その罪は許せない」とするもので、他に原水協の安井都、作家の石川達三自民党の松村議三等も「時代に便乗して自らの利益を追求し左翼勢力に加担している」ので、これらも倒さなければならないと考えていた。

左翼の人はともかく、なんで自民党河野一郎石橋湛山、それに松村議三松村謙三の名前がここで出てきたのかに興味を持ちました。
とりあえず、供述調書のほうなどを読みますと、
山口二矢烈士供述調書(昭和三五年十一月一日分)
山口二矢烈士供述調書(昭和三五年十一月二日分)
ネットで右寄りの言動をしている人たちと少し通じるものがあるような気がして興味深いです。
とりあえず、沢木耕太郎の『テロルの決算』を読んだら、この話をもう少し続けるかも知れないのです。
(2006年6月18日)

*1:多分調べる可能性はあまり高くないとは思います