「処女作にはその作家のすべてがあると言われているが」って、いつ誰がどこで何時何分何秒に言った!

今日は「『第四の権力』という言葉の由来」とネタがかぶってしまいますが、まぁ気になったので書いておきます。
以下のフレーズなんですが、
処女作 その作家 すべて - Google 検索
[マンガ]処女作と総決算と : John's Notes -北国tv

「処女作には、その作家のすべてが出揃っている」などとよく言われ、
誰が言い出したことだろうかと思いちょちょいと検索してみるも不発。

アガンベン 中味のない人間

「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」との言葉どおり、いまにまで続くアガンベンの問題意識のすべてがこの一冊にある。

 書評 大西巨人 著 『精神の氷点』 

「処女作には、その作家のすべてが表れる」という、かなり信憑性の高い「俗論」があるけれども、ならば我々は大西巨人という作家を、いや大西巨人という「人間」を、その「思想」の根拠を、ここで洗いなおさなくてはなるまい。

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処女作には、その作家のすべてが出揃っているとよく言われる。後はそれを展開したり洗練させていくのであって、原型は処女作の中にあると。

ルパンの消息/横山秀夫/光文社: 愚か者の代弁者、西へ

処女作にはその作家の今後のすべてが含まれていると言われます。ならば「盛り込み」が多かった作品が処女作なら、今の横山秀夫氏の活躍は十分に肯けると思います。

1、ホームズとワトスンの「幸運な出会い」

さて、処女作にはその作家の作品の原点ともいうべき潜在的資質がすべて現われるものであるとか、初対面の第一印象というものは往々にしてその人物の本質を表わしているとはよく言われることでありますが、ホームズ物語の処女作であるこの《緋色の習作》についてもそれらの原則は当てはまります。

このくらい例に挙げれば十分なような気がします。要するに「処女作にはその作家のすべてがある」みたいなフレーズは、みんなが「と言われている」という風に使われている言葉みたいです。
なんか、ミステリーとか文学系の小説とかによく使われる言葉なのかな。文庫のあとがきなどでも時々見かけるような。
しかし、この、「○○とはよく言われる言葉ではあるが」というのは確かなことですが、それではそもそも誰が最初に言った言葉なのか、がよく分からないんですね。
とりあえず、出典がわかって、「○○と言われている」という伝聞情報ではない、オリジナルと思われる言葉を紹介しておきます。どうもこれは昭和47年(1972年)、講談社『現代推理小説大系』第十巻の中のエッセイで、土屋隆夫というミステリー作家が言ったのが最初みたいです。
ちょっとその本が手元にあるわけではないんですが、そのテキストがまるまる、『推理小説作法』(東京創元社)という文庫本に引用されているので、その部分を引用・転載してみます。p37-38

一人の作家を研究しようと思ったら、まず、彼の処女作を読まなければならない。そこには、彼を知るための重要な手がかりがひそんでいるからだ。彼が、はじめてスタートラインに立ったときの姿勢は、疾走が終わるときまで、そう大きく変化することはない。
処女作には、その作家の初心がこもっている。もちろん、仕事をつづけて行くうちには、題材も多方面にひろがり、小説作法の上での変化はあろう。読者はそれを、作家の変貌だと考える。しかし、変貌というのは、顔つきが変わることであって、いわば表面的な、形式的な変化にすぎない。内面には、依然として、初心を抱いた当時の血が流れている。質的な変化は、まことに乏しい。一人の作家は、彼の処女作の呪縛から終生のがれることはできないのだ。推理作家もまた、その例外ではない。いや、推理作家の場合は、特にそういうことが言えるような気がする。

(太字は引用者=ぼく)
ただこれは、その手の名文句(名フレーズ)にしては歴史が浅すぎるのと、フレーズ自体が少し違っていたりするので、これを「処女作にはその作家のすべてがある」という語の起源にするには少し迷っているところがあります。
どなたか、これよりも古くて、そのまんまのテキストをご存知のかたは、コメント欄ででも教えてください。「追記」の形で修正させていただきます。
(2006年8月26日記述)
 
(追記)
コメント欄で、土屋隆夫より古いものとして「亀井勝一郎」と「川端康成」のテキストが挙げられました(どうもありがとうございます)。今後処女作について何か言いたい人は、
1・「処女作には、その作家の初心がこもっている」とは、土屋隆夫が言った言葉であるが云々
2・「作家は処女作に向かって成熟する」とは、亀井勝一郎が言った言葉であるが云々
3・「処女作は作家の人生まで支配する」とは、川端康成が言った言葉であるが云々
のような形で言ったほうがいいと思います。
ただ、今のところ「処女作にはその作家のすべてがある」とそのままずばりを言った人間が見当たらないので、引き続きこの言葉について何か知っているかたは、コメント欄で教えていただけるとありがたいのです。ひょっとすると外国の作家とかなのかも。
(2006年8月27日記述)
 
 これは以下の日記に続きます。
「処女作にはその作家のすべてがあると言われているが」って、いつ誰がどこで何時何分何秒に言った!(2)