各務三郎による植草甚一のテキスト批判

 ということで、「EQ」1979年3月号の書評「独断と偏見」より。「EQ」p110-111。ほとんどの太字は引用者(ぼく)によるもの。

 おそらく----『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』の書評には、わたしは向いていないのかもしれない。著者は、ジャズ、映画、ミステリー……何でも評論し、その評論ぶりが多くの人たちに愛され、高く評価されている外国通なのだそうだ。エッセイ・評論集が何十冊も出版されているのだから、そうなのだろう。だが、ことミステリーに関するかぎり、わたしには、なぜ氏が高く評価されているのか、理解に苦しむ。氏のよき読者ではないからだろう。
 たとえば----本書は、海外ミステリー随想、書評、ミステリー講座の三本立てになっていて、起承転結のない、世にいう植草調なる文章がつづいている。だが……これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に掲載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。
 ----スティーヴン・マーカス編『コンティネンタル・オプ』に触れている部分をみると、どうやらニューズウィークの『コンティネンタル・オプ』書評について書いているらしい。「……もうひとつの『黄金の馬丁というのは、ある事件があって、競馬の騎手四人に頼んで嫌疑者を洗おうとしたところが、うまくいった。お礼に騎手たちに五ドルずつやって、『君たちは生まれつきのガムシューだ』っていう。そういう台詞(せりふ)が『黄金の馬丁』の題名にひっかかって味があるんだろうと思います。じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど……」ところが、競馬の騎手など作品のどこにも登場しないし、題名のThe Golden Horseshoeとはメキシコのティファナになる〈黄金の馬蹄酒場〉を意味している。
 つまり植草氏は、『コンティネンタル・オプ』を読まずに、『コンティネンタル・オプ』に関する書評を(それもまちがって)訳しながらハードボイルドを講義しているのだ。
 植草氏の文章は、どこまで他人の意見で、どこから氏の意見がはじまるのか判然としないという特徴があり、読者は大いに困惑させられる。明らかに氏の意見なり評価だと察せられる箇所にぶつかると、ホッとするあまり、思わず氏の〈独断と偏見〉に拍手したくなるのではあるまいか?
 クリスティーの『象は忘れない』における十数年まえの夫婦心中について「夫と妻のどっちがさきにピストルで相手を撃ったんだろう。こんなに魅力のある難問も珍しい」と平凡な謎(ただし心中事件は現実に少ない)に無邪気に感嘆したり、今さらのようにクリスティー作品における会話の流れについて感心したりするのをみれば、氏がそれまでクリスティーを読んだことはないのではないか? とかんぐりたくなる。『運命の裏木戸』におけるクリスティーのユーモア(それもダジャレや楽屋落ち)に感心されたんじゃかなわないし、これら晩年の作品における冗長な会話を高く評価する姿勢も理解できない。
 氏の博識ぶりは世評に高い。『象は忘れない』Elephant Can Rememberの題名について「それはたぶん四十年以上まえになるがエセル・ライナ・ホワイトが『象は忘れない』(Elephant Don't Forget)というサスペンス小説を書いているからにちがいない。そうしてこの作品はアメリカでは出版されなかったから邦訳に使った『象は忘れない』でかまわないわけだが……」と断定。ホワイトのAn Elephant Never Forgets(1937年)は、翌年、アメリカのハーパー社で出版されたらしいが、それはさておき、〈象は忘れない〉という言葉は、もともと象の記憶力のよさに関連する慣用句みたいなものなのだ。
 また、ウッドワード&バーンスタインの『大統領の陰謀』の原題All The President's Menをペン・ウォーレンのAll The King's Menのもじりだと断定----マザー・グースに登場する卵のなぞなぞ唄「ハンプティ・ダンプティ」であるという基本的な知識が欠落してしまっているのだ。
 かつては〈独断と偏見〉には悪いイメージがあった。昨今、よいイメージを期待して使われるようである。本書にみるかぎり、植草氏が各所に披瀝(ひれき)する〈独断と偏見〉は、文字どおりの意味でしかない。

 この後、結城昌治氏の初エッセイ『昨日の花』にも言及していますが、植草甚一氏とは関係のないテキストなので、略。
 確かにこれは、時代が時代なら「植草甚一検証blog」ができてもおかしくないレベル。
 この件に関するぼくの意見。
 業務上何らかのつきあいがあったと想定される「編集者」が「ライター」の批判・悪口を公の場で実名・筆名で書いている場合は、その背景に私怨もしくはそれに類する何かがあったかもしれない、という可能性を考慮するのも必要。原稿が遅かったとか、無名のときはどんどん原稿を「書かせてやった」のに、有名になったら原稿依頼を(スケジュールその他の理由で)断ってきたとか。各務三郎に「植草甚一は俺が育てた」意識があったかどうか。あるいはもっと深い「心の闇」があったり。嫉妬とかね。
 太田博(各務三郎)氏は、1969年8月号から1973年6月号までミステリ・マガジンの編集長をつとめたわけですが、その間、植草甚一氏とはどういうつきあいがあったのか、興味を持ちました。(追記:コメント欄によると、つきあいがなかった、というか、避けてた、と言ってもいいぐらいな感じ)
 しかし、これはちょっと笑えた。
唐沢俊一検証blog(2009年9月24日コメント欄)

SerpentiNaga 2009/09/25 09:12
横からごめんなさい。
>藤岡先生
現在唐沢俊一に代表される「サブカル畑のインチキおじさん」の系譜を辿ってゆくと植草甚一にぶち当たるのですが。
各務三郎による植草甚一批判をご存じないですか(<EQ>誌1979年3月号「独断と偏見」)。まるで時を超えて唐沢を批判しているかのような面白いエッセイです。各務は植草の『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』をとりあげて、こう語っています。
「これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に連載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。」
 
藤岡真 2009/09/25 09:27
>SerpentiNagaさん
 死後何年もたってから、植草甚一の一般的な評価が変わっていった事実は知っています。それを「サブカル畑のインチキおじさん」と総括するのは、あなたの勝手ですが、少なくともその“系譜”の上に唐沢俊一がいないことは確かだと思います。唐沢はただの「インチキおじさん」であって、「サブカル」は勝手に標榜しているからです。
 各務氏の悪意のある批判を一方的に受け入れるつもりはありません。『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』はリアルタイムで読んでいますし、なによりこの作品に日本推理作家協会賞を与えた審査員の目が、全員節穴だとも思えないからです。それに、わたしの新作『七つ星の首斬人』が収録された東京創元社の叢書「クライムクラブ」は植草氏が創設したものですから。
 なにかあなたのご意見は、どさkyさに紛れて、唐沢という馬鹿を植草氏に重ねて、植草氏を貶めようとしているだけにしか見えないんですが、如何に。

http://twitter.com/serpentinaga/status/4358899441

「悪いのは唐沢一人だ! 大恩ある植草先生を貶めるお前は敵だ!」みたいな反応を示されてはもうにんともかんとも。お返事どうしやうか。
11:45 AM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360206426

『ミステリの原稿は夜(以下略)』をリアルタイムで読んでたってそれがどうしたというんだろ。リアルタイムで読んでたから騙されても仕方ないんだってならまだわからないでもないが。
12:47 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360297160

重要なのは各務三郎のエッセイ「独断と偏見」の方を読んだかどうかなんだけど、あの反応は多分読んでないよな藤岡先生。
12:52 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4360435585

読んでてなおあれを「悪意ある批判」とか書いてるならどうしようもないや。あれが悪意ある批判なら「唐沢俊一検証ブログ」は悪意の固まりか? 話にならないよ。
12:59 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4361306675

ああもう、唐沢擁護の連中と同じメンタリティで反論してくる人にどうお返事したものやら。「伝説の偉人」と化してしまった人物について何か言うとこれだから困る。
1:48 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4368465424

まあいいや、「各務三郎による植草甚一批判」については近々はてダで取り上げることにしようっと。ほんっとに面白い記事だから、前から紹介しようしようとは思ってたんだ。
10:45 PM Sep 25th movatwitterで

http://twitter.com/serpentinaga/status/4524291665

ん…各務さんの「独断と偏見」は植草さんの『ミステリの原稿は…』受賞の後に書かれたものなの?それとも前?隔月刊の三月号が書店に並ぶのはいつ?一月?
10:21 PM Oct 1st movatwitterで

 隔月刊の三月号が書店に並ぶのは、1月だと思います。『ミステリーの原稿は徹夜で書こう』が受賞したのは1979年なので、受賞前ではなかろうかと。
 こちらの「はてなダイアリー」にも注目です。
SerpentiNagaの蛇行記録
 あと、こちらも。
40代病人夫婦の日記 ドキュメンタリー映画「精神」を応援中
本日の到着品(各務三郎による植草甚一批判)

実は、自分も、もともと植草甚一の文体があまり好きではなくて。「どうして世間の人々は、ああも、あの人を褒めるんだろう」と不思議に思っていのただが。その「違和感」の理由を、各務氏に教えてもらった気分。

 『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』ちょっと読んでみたくなった。多分家のどこかにあると思う。
 植草甚一に関して批判・検証ブログがないのは、今さら、という感があるからだろうな。だいたい、海外(アメリカ)の情報が乏しかった1960年代〜1970年代中ごろぐらいまでの海外SFやミステリーの評論家って、今にして思うとかなりインチキの要素をみんな持っていたと思う。