『氷雪の門』公開するんですか

 朝日新聞の記事より。
asahi.com:樺太集団自決の悲劇 36年ぶりに劇場公開-マイタウン多摩

樺太集団自決の悲劇 36年ぶりに劇場公開
2010年07月16日

 終戦時、日本領土だった樺太(ロシア・サハリン州)で起きた戦争の悲劇を映画化した「樺太1945年夏 氷雪の門」が17日から、36年ぶりに劇場公開される。74年の全国封切り直前、上映中止になった「幻の映画」。当時、美術監督として制作に携わった故・木村威夫氏の働きかけをきっかけに、埋もれた作品に光が当たった。(上林格)
 原作は、旧樺太出身で元北海タイムス記者の金子俊男さん(故人)が執筆した「樺太1945年夏―樺太終戦記録」(72年刊)。約400人の関係者から記録を借りたり、体験を聞き取ったりして同紙に掲載した連載がもとになっている。
 「あゝ零戦」など戦記映画を手がけた村山三男監督(故人)が73年に映画化。太平洋戦争で、旧ソ連軍の侵攻を受けた樺太島民の悲劇=キーワード=を樺太真岡(まおか)郵便局の女性電話交換手の集団自決を通して描いた。丹波哲郎南田洋子二木てるみらが出演。防衛庁の協力で自衛隊の戦車が戦闘場面に使われた。
 しかし、74年5月の全国封切りを前に、モスクワ放送が「ソ連に対し非友好的」などと非難。映画会社がソ連との合作映画の「モスクワわが愛」への影響をおそれ、上映を返上したとされている。北海道と九州の一部の映画館では短期間、上映された。
 以来30年近く埋没していたが、助監督を務めた新城卓さん(66)らが03年、「氷雪の門」上映委員会を設立。劣化したフィルムを修復し、約2時間半の映画を再編集して2時間のビデオにまとめた。将来の劇場公開にも備え、フィルムをデジタル化した。
 昨年秋、「氷雪の門」の美術担当で樺太の街のセットをつくった木村威夫監督の新作「黄金花―秘すれば花、死すれば蝶―」が公開。3月に急逝した木村監督が生前、「埋もれた大作がある」と配給会社「太秦」の小林三四郎社長(52)に働きかけたことから劇場公開の動きが始まった。
 「沖縄の地上戦は知られているのに樺太の戦争は知られていない。36年も眠っていたのもドラマだし、映画を見て考えてもらう価値がある作品だと判断した」と小林社長。
 新城さんは「表現の自由を約束されている社会なのに、当時この映画には自由を選ぶことはできなかった。ザ・コーヴ』の上映中止を考えるきっかけにもなる」。
 シアターN渋谷(03・5489・2592)でロードショー。1日4回。名古屋、京都、横浜、札幌でも劇場公開の予定。
 
■キーワード 
 
 1941年の国勢調査樺太の人口は40万6557人。旧ソ連軍は45年8月9日、日ソ不可侵条約を破り、樺太に侵攻、23日ごろまで戦闘が続いた。防衛省防衛研究所は旧日本軍の戦死者は720〜730人と推計。「戦前における樺太の概況」(道庁、62年2月)によると、戦後の密航脱出者は計2万4513人。民間人、軍人あわせた犠牲者は計6197人。国の函館引揚援護局史(50年2月発行)によると、46〜49年の軍人を含めた引き揚げ者は計31万1452人。樺太西海岸にある真岡町は20日に旧ソ連軍に攻撃され、真岡郵便局に勤務していた9人の女性電話交換手が服毒死した。

 いやそれ、「ドキュメンタリー」と「ドラマ」の区別がついてない人を対象に公開しちゃ、普通にダメでしょ。
 ぼくの以下の日記を参照。
樺太・真岡郵便電信局事件の嘘と真実について
真岡郵便電信局事件 - Wikipedia

映画では、他局へ自殺を連絡した後、電話交換手全員が申し合わせたように自殺をしている等、ストーリーの主要部分においても史実と大きく異なっている。映画の内容は史実ではないが、史実であるかのように誤解されることがある。

しかし、『ザ・コーヴ』の代わりに公開されることになったのか。
超映画批評『樺太1945年夏 氷雪の門』70点(100点満点中)

すでに公開されている反捕鯨お笑いムービー「ザ・コーヴ」だが、いまだにとんでもない内部情報が次々と入ってくる。ウェブでの公開は残念ながら遠慮するが、よくこんなものがアカデミー賞を取れたものだと呆れる話ばかりである。
それはともかく、あの映画が上映自粛されて上映館に空きができたため、『樺太1945年夏 氷雪の門』はモーニングショーからロードショーへ格上げ公開となった。

 トンデモ(モンド)映画度では似たようなもののような気がする予感。