隅田金属氏によるJSF氏批判テキストの、JSF氏の記憶を補完してみる

 元はこのテキストなんですが、
http://twitter.com/kuratan/status/26161026372

けいおん!!』って少し性的メタファーが多くなりすぎてないかと思った。楽器は男、演奏は性交、食事は自慰。1回目の唯のギー太演奏からしてビッグ・メタファー。でもってまさに、「ごはんはおかず」。

 こんな意見をいただきまして、
http://twitter.com/obiekt_JP/status/26176608927

最近、新型戦車の話をしたら戦車不要論を唱える某軍事系同人屋さんに男根主義だ!」と罵られたので、逆に晒し者にしてやりましたが・・・今時フロイトは無いんじゃないかと。幾らでもコジツケ出来るし。

 とりあえず、『けいおん!!』関連でアニメの話を少しすると、俺はメタファー的には「死」を扱っているアニメのほうが圧倒的に多いと思う。ロボット・アニメにはそんなわけで、「天使」が必要だし、『ひだまりスケッチ』『さよなら絶望先生』も死後の世界だ(ゆのっちが絵を描くのは「再生の儀式」です)。
http://twitter.com/kuratan/status/26161089939

けいおん!!』の対比として『ストライクウィッチーズ』は死のメタファー一杯だな。ネウロイは死、戦闘は臨死体験もしくはリストカット、魔女は天使、解放は天国。

 まぁ、それはそれとして、「男根主義ファロセントリスム)」はジャック・デリダの用語らしいので、だとするとそんなに古くないのかも…デリダそのものが、その語で何を批判しているのか不明だったり(不勉強ですみません)、デリダそのものが古いのでは? という意見もあるかもですが。
 安直に、はてなキーワードなど。
男根主義とは - はてなキーワード

フランス語)phallocentrisme

http://learning.xrea.jp/%A5%C7%A5%EA%A5%C0.html

デリダの用語。叡知と感性、精神と身体など、西欧形而上学の二分法が前者の後者に対する優位という優劣関係を内包し、これが男性・女性の優劣関係を正当化する男性優位の論理と不可分であることを形容する語。男根中心主義ファロセントリスム

このときのファロス/ファルス(φαλλo純・, phallus ギリシア語で男根の意)というのは精神分析の文脈での用語で、現実の器官としてのペニスではなく、精神分析でのペニス羨望と去勢コンプレックスの仮説などのように、欠如を意識させて欲望の対象となるもの、物事の意味や価値というものの大本のモデルとなる、象徴的な記号としてのペニスをさす。

ポストモダン#1 ポスト構造主義 - 知識の積み木

・音声至上主義(現象学形而上学である)
デリダはまず形而上学の克服を試みたフッサール現象学のうちにこの音声至上主義が介在していることを見て取る。現象学は、古典的形而上学が前提とするような「対象そのもの」という客観的対象(物自体)に到達するのは不可能であるとして、超越論的還元によって純粋意識に到達してそれに現前する「事象そのもの」へ至る哲学である。これは形而上学に対抗しているように見える。しかし、デリダによると、この「事象そのもの」とか直感による「意識のありのまま」とか「本質」といった発想は形而上学的であるとし、これを「現前の形而上学」(ロゴス中心主義、音声至上主義)と呼ぶ。
この形而上学は、現象学に限らず、日常生活に紛れ込んでいる。例えば、私は「ここにパソコンがある」と言う。しかし、ただボーっと見ただけではパソコンは私の意識に現れない。私はこれを見て「ここにパソコンがある」と自分の言葉(パロール)を聴くことによってパソコンは私の意識に現れる。つまり、私は私の話し声(パロール)が「事象そのもの」を正確に表出している(私の意識と私の話し言葉が完全に一致している)と考える。そして、また、話し言葉パロール)から書き言葉(エクリチュール)がでてくきて、この書き言葉によって意味を他者と共有することができると考える(意味→話し言葉→書き言葉)。このように言語の前に客観的な意味(現象学の場合は「事象そのもの」)があり私の言葉はそれと完全に一致しており、書き言葉によってそれを他者と共有することができるという考えを音声至上主義(フォネサントリスム)もしくは「ロゴス中心主義」という。
形而上学は、言語によって世界の模型を構築するため、この音声至上主義によって支えられているのである。「形而上学の歴史は絶対的な自分が話すのを聞きたいのである」(「声と現象」cited in 小阪他p201)
 
差延(同一性への批判)
デリダはこのロゴス中心主義における同一性という伝統的な概念を差延という彼独自の概念によって組み替える。形而上学においては、言葉の前にまず根源的・イデア的な“意味”があって、言葉はそれを「現前」していると考える(意味→言葉)。デリダはこの意味と言葉のどちらが根源であるかという問いを抹消する。なぜなら、言葉の根源であると思われていた意味(現前)と言葉はには絶えず時間的・空間的差異が存在し、それらは一致することがないからである。例えば、私が「ここにパソコンがある」と言う。この言葉が意味するパソコンはすでに過去のものであり現在のパソコンではない。自然に位置する対象(現前)は常に流転しており、言語と一致することはない。つまり、意味と言葉の同一性は常にズレている。このような言語と意味の断続的なズレを「差延」(differance、differenceをもじった造語)と呼ぶ。世界にはこのような言語の根源として意味と私の言葉には同一性といった安定はなく、それらは絶えず絡み合い(「戯れ」て)差延化している。このようにデリダは、ロゴス中心主義が支柱とする同一性に絶え間ない「ズレ」があることを見て取る。世界の根源的な現前にこのようなズレ(差延)を見出し、それによって現前の形而上学(ロゴス中心主義・音声至上主義)を内側から書き換える。これが脱構築である(※2)。また、この形而上学男根中心主義、ヨーロッパ中心主義の根源でもあるため、デリダ形而上学に対する批判はこれらに対する批判にも展開する(サイードフェミニズム)。

 で、
http://twitter.com/obiekt_JP/status/26176608927

最近、新型戦車の話をしたら戦車不要論を唱える某軍事系同人屋さんに男根主義だ!」と罵られたので、逆に晒し者にしてやりましたが・・・今時フロイトは無いんじゃないかと。幾らでもコジツケ出来るし。

 これに相当するエントリーを探してみました。
隅田金属ぼるじひ社レッテル妄想編 : 週刊オブイェクト
 以下、隅田金属氏によるJSF氏批判テキストから。

これは氏の戦車への偏愛が、ペニ・ス願望的な存在であるためでしょう。

それはJSF氏・オブイェクト自転車操業体質と、氏とその信者の「ペニ・ス」願望に起因するプリミティブな戦車愛が挙げられるだろう。

戦車への執着は、やはり「ペニ・ス」願望なのだろう。
(中略)
さらに言えば、戦車や大砲への憧憬、ペニ・ス願望は私にもある。

氏にとっての戦車の憧れは、原始的な心理であるペニ・ス願望なのです。

 ざっと見たところでは、「男根主義だ!」とは罵られてはいませんね。「ペ・ニス願望(ペニス願望)」という言葉は出てきますが。
 コメント欄では、こんな感じ。

戦車→大砲→男根⇒つまりJSF男根主義なんだよ!!!1(19)

http://en.wikipedia.org/wiki/2B1_Oka

これが好きならビックな男根主義の兆候があるかもなw(33)

百歩譲ってJSF氏が男根主義者であったとして、そのことと「10式戦車の開発は妥当か否かの議論」には何の関連性もないんだが、気づいてないんだろうなやっぱ(104)

男根主義者のレッテルは何らかしらの力の象徴を全部否定に持ってけるから
便利だよなあ…
自衛隊廃止論者→自衛隊存続論者とか。(386)

>711
んじゃ、勝手に男根主義とか吹き上がったJSF氏の独り相撲だな・・・って、んな馬鹿なww
文脈から類推できるからダメだろ。(714)

 ここらへんの流れがあるので、「男根主義だ!」と罵られたという間違った記憶(俺にとっては、間違った情報)が流出してきたのかな。
 「ペニ・ス願望」(ペニス願望)というのは確かにフロイトの用語なんだけど、これは「女性の」という前フレーズつきの、女性限定の願望(ないものを欲しがる願望)なので、多分JSF氏には当てはまらないと思います。隅田金属氏はよく分からない。女性の人?
 男性が巨大な砲に抱く願望は、マッチョ主義(マチズモ)かなぁ。
 この件に関しては、隅田金属氏・JSF氏のどちらにも与するものではありませんが、言ってもいないことを言ったことにされて批判されている例はいくつも見たりしているので(例:ぼくの日記だと、石原慎太郎氏とか。→「障害者に対して石原慎太郎都知事が言ったと思われること全文」少し気になった次第。
 
おまけ。「ジークムントはエロ親父」って、ルッキーニの中の人も昔歌ってた。マーベラス
YouTube - Kemeko Deluxe ending (with subtitles)