烏賀陽弘道さん2年前のチケットノルマについて言及したテキストで無駄に流さなくてもいい血を流す。あとせっかくなので人の長文コメントまとめる

 タグ「烏賀陽」というのがあったのを思い出した。
 
 今まで「オリコン」とか「警察」とか「よみうりテレビ(って何ですかね)」のように、漠然と権力みたいなものと戦っているように見えた烏賀陽弘道さん。で、何となく「権力と戦っているように見える烏賀陽さんかっこいい=支持する」、と思ってた人も、ちょっとここらへんで考え直したほうがいい(単なるウォッチャーとして観察しているだけにしたほうがいい)ということが分かってきたんじゃないでしょうか。
 烏賀陽さんが戦っているものは「俺(烏賀陽)の見ている世界と違っている世界」で、多分権力とかそういったものじゃ全然ないと思う。あと多分「実名で美しい人たちのいるネットの世界」と「匿名で卑怯な人たちのいるネットの世界」という、世界のずれとも戦っているように見えるのもそこらへんが理由。普通そこまでみんな血を流さない(世界と戦わない=諦める)。
 とりあえず、きっかけはこのへん?
若手ミュージシャンが恐れをなしているライブハウス事情。 - Togetter
 MANDA-LA2(←正式名称は今はこれみたい)のライブチケットノルマ、20枚のうち6枚しか捌けなかったことを晒す烏賀陽さん。
烏賀陽弘道(@hirougaya)氏とトークライブLiveWire公式アカ(@golivewirecom)、ライブハウスの商業性をめぐるすれ違い談義 - Togetter
 パンクロッカーと「おまえどこ中よ?」レベルの喧嘩をする烏賀陽さん。
烏賀陽弘道氏と葛田徳之氏のツイートのまとめ - Togetter
 同業者(ジャーナリスト)から見捨てられる烏賀陽さん。(後半はあまり読まなくてもいいかも)
渡部真さん: 取材してるから自然とわかるけど、大手でも警戒区域内で取材してるよっ - Togetter
 ていうか、別の同業者からはとっくに見捨てられていた烏賀陽さん。
チュニジア政権崩壊報道をめぐる烏賀陽弘道氏(@hirougaya)と常岡浩介氏(@shamilsh)との応酬 - Togetter
 旧・切込隊長にネタにされる烏賀陽さん。
烏賀陽弘道さんが、今夜も順調に引っ込みがつかなくなっている: やまもといちろうBLOG(ブログ)
 
 注目度は「烏賀陽弘道氏と葛田徳之氏のツイートのまとめ」のほうが「烏賀陽弘道(@hirougaya)氏とトークライブLiveWire公式アカ(@golivewirecom)、ライブハウスの商業性をめぐるすれ違い談義」の10倍ぐらい高いんですが、後者関係でテキスト的に寝かしておくのがもったいないものを拾っておきます。
 まず、MANDA-LA2で、チケットノルマなしで演奏した人のブログテキスト。
キキオン帖:2007年11月

 九二年当時は、当時住んでいた駒澤大学駅の近辺にあったライブハウスで演奏しておりました。記憶があやふやですが、ノルマはなかったように思います。ただライブハウス側もあまりやる気が感じられず、半ば物置みたいなところで、照明兼PAのバイトのお兄ちゃんがマンガを読みながらときどきライトを動かしていたりしました。その後は改装されてきれいになったようですが。
 ここで詳しくない方のために一応「ノルマ」というのを説明しておくと、今では大半のライブハウスは出演者に一定金額分のチケットを売るノルマを課し、そのぶんだけお客が呼べなかったら不足分をバンドが支払わねばならないシステムになっています。
 何かで読んだ記憶では、このシステムは八〇年代のどこかで広まったようで、七〇年代にはなかったらしいです。七〇年代ごろはライブハウスに出るバンドも出演者も少なく、出る側もまあ相当に気合いの入った人ばかりで、少数精鋭で成り立っていたらしいですが、八〇年代になってインディーズブームになってバンドの数がやたらと増え、半ば素人のバンドが多くなり、お店の側もノルマを課して客を集めさせるようになったとのことです。
 金を払って場所を借りて演奏しているのでは、もはやカラオケボックスとあまり変わりはありません。アマチュアバンドの場合、メンバーの友達やら何やらにチケットを売りさばける間はライブハウスに出て、売れる相手が尽きたところでバンドも活動停止、というようなこともあるようです。ライブハウス側も、そういうアマチュアバンドだけ出演させていてもスタッフ自身が面白くないので、週末はアマチュアバンドにノルマを課して出演してもらってお金を稼ぎ、平日は多少客の入りが悪くてもスタッフの趣味で選んだバンドを出す、なんてこともあります。
 われわれキキオンの場合、幸運なことにノルマを課されて出演したことは、今までありません。いろいろ幸運が重なった結果と思います。
 まず最初に出たライブハウスは、経営があまり熱心でなかったのか、とにかくノルマはなかったと記憶しています。そして九三年に、今でもたびたび演奏する吉祥寺のマンダラ2のオーディションライブを受け、三バンド受けて我々だけ合格し、その後も出演してよいことになりました。マンダラ2はいまもそうですが、なかなかステイタスの高いライブハウスで、一定以上のバンドや演奏者しか出演させないかわりにノルマはない、というシステムでした。マンダラ2はアコースティック系のバンドや演奏者が昔から多いですが、ロックミュージック系では昔の新宿ロフトが、やはりこういうシステムのステイタスの高いライブハウスだったはずです。
 われわれの場合、とにかくこのマンダラ2に出られるようになったのが幸運で、あそこでオーディションライブに落ちていたら、前述したアマチュアバンドの運命を経てとっくに活動が止まっていたかもしれません。とにかくマンダラ2に出られるようになったので、およそ五年くらいはほとんどマンダラ2だけ(ほかのライブハウスも数回出演しましたが)で毎月演っていました。マンダラ2は、今でもキキオンのホームグラウンドと思っています。

 半ば素人のwバンドwww
 キキオン(Quikion)は当面ライブ中止しているみたいですが、youtubeで聞けるので聞いてみるといいです。ちょっと不思議な個性のあるバンドです。
 実際にトークライブを主催している人=@Hideto_Idaさんのコメント。

マチュアが「プロ予備軍」とは限らなくなって、安定した生業をキープしながら「生涯アマチュア」(早い話が「道楽」)で活動を続けてしまえるように構造変化したことが、ノルマ制を加速させた一因なんでしょうね。技量的にも動員的にも「セミプロ」であるのならともかく、それが同時に質的にも「生涯アマチュア」でもダラダラやれてしまう状況を生んでいるとしたら、結局それは“志が低い”という事になってしまう。

その“志の低い”アマミュージシャンの“学芸会”需要を見込んで、「貸しホール」ビジネスと割り切ってライブハウスを経営している連中が多いのも事実。昭和の頃のライブハウスは、むしろ「このハコからプロを産む」という意識が高かった。ホールのオーディションで、きっちり自分たちの理想に合致するバンドをフィルターして、音楽自体にもホールのマネージャーが口をだしたり、自分たちで主催するインディのレーベルでレコードを出したり。本当にバンドを育てる「学校」みたいなもんだったよ。

ところがESPみたいな音楽専門学校ができたりして、ブロイラー的にロックを「教育」する場所ができて、ミュージシャン人口は増えたものの、ハウスとバンドがひとつの産学共同体みたいな一体感を持っていた時代は終わってしまった。ミュージシャンは客集めするもんじゃないみたいな馬鹿な事を烏賀陽のおっさんは言ってたけど、プロになりたくてハングリーに活動してた70年代のバンドなんか、自分たちでコアなファンを巻き込んで、支持者をふやしていってた。

高給取りの朝日の社員やりながら、ミュージシャン気分だけ維持しようとしてたモラトリアム野郎には、絶対わからない感覚だと思うね。やっぱり上位概念としてプロしーんがあって、そのピラミッドの頂点に意地でも上り詰めてやる、街を俺の音楽で埋め尽くしてやるっていう覚悟と気迫がなきゃ、音楽自体にも説得力が生まれない。アマでちょぼちょぼやってればいいや、なんて半端な奴の音楽に客がつくわけもない。だからノルマなんて仕組みをつきつけられるんだよ。

烏賀陽のおっさんは、ノルマ制=ライブハウスの寄生虫意識が生んだもの、とか言ってたけど、俺は逆だと思うね。モラトリアムミュージシャンの甘えが、ライブハウス側の不信感を呼び起こして、結果ノルマ制が生まれたんだと思う。現に、今だって「こいつらは売れる」と踏んだミュージシャンには、店はノルマなんか課さないし、チラシを刷ってプッシュしてやったり、レコード会社につないでやったりして、売れるようにバックアップしてる。

烏賀陽みたいなドサンピンの音楽ゴロが、僻み根性でシーンの底辺支えてるプロにガタガタいちゃもんつけていくのを、「ああカッコイイ」とか思って見てる連中は、ホントにバカだと思うな。イワシの頭も信心からっていうけど、自分に確たるポリシーがなくて、誰かの信者にしかなれない人も多いと思うけど、せめて信仰する相手を選べよとは思う。

俺は学生の頃、大阪のバーボンハウスバナナホールでバイトもしてたし、コンサート警備の走りみたいなOne to Oneなんて会社にも居たから、あんな半端なおっさんよりよっぽどシーンの事はわかってると思うね。悪いけど、彼みたいな半端なアマチュアは店にとっては「お客さん」でしかない。音楽的には全く評価してないし、身銭を切ってバックアップするレベルに達してないとわかってるんだよ。ただハコが空いてるから、金を出すなら使わせてやるってレベル。

カモにされてることに気づかないで30年唯々諾々とお布施を払い続けてきて、やっと50超えて自分がバカだったと気づいて、それで逆上してるんだから…一言で言えば、「よっぽど血の巡りが悪いのか?」と(笑)。これって、結局そういう話だよ。

自分が音楽界においてはアリ以下の存在でしか無いのに、それに気づかないで業界の意向を全部背負ったヒーローと勘違いしてる、変な張り切り方が気味悪いと思うんだよね。「誰がお前にアマチュアシーンの改革を頼んだよ?」って(笑)。それより、一曲でいいから人の魂震わす音楽を作ってみろっての。そのほうがよっぽど、世界をマシに変えてくれるよ。

創作する才能もない、人に賞賛されるだけのポテンシャルを持って居ないもんだから、オリコンとか東電とか政府とか、デカイこと自体が悪を宿さざるを得ない存在に、アタリマエのことを言って噛み付いていって、自分が「反逆者」であることを商品価値にしようとする。本当にその「悪」を糾弾するジャーナリスト魂なんかないんだ。ただ、仮想的である権力と戦ってる自分のがカッコイイだろというポーズだけ作りたい。

そういうバカが、まともなフリージャーナリストの中に混じって、自己表現の場にしようとするから嫌われるんだよ。自由報道協会の中でも、明らかに「ちゃんと現場を踏んで取材した事実から意見を抽出する記者」と「他人の受け売りを垂れ流すだけのパクリ屋」と二手に明確に別れてきてるでしょ? 誰とは言わないけど…ハゲとカエルね(笑)。後者の彼らにとって、事件はファッションであって、まともに取材もしないで、思いつきだけの、ちゃんとした分析でも何でもないお題目を、声高にわめくだけ。

結局、ジャーナリストという職能を隠れ蓑にしてるだけで、正味は自分に注目してくれる他人を求めてるだけなんだろうと思うな。人に情報を伝えることが主体なんじゃなくて、声高に他人を批判して、アラをつつくことで自分が目立てるから、記者をやってるという。本来の職能と逆転した発想なんだけど、自分がゼロから何かを創りだす才能がない目立ちたがり屋にとって、そんないい隠れ蓑はないんだろうな。昔で言うと喝采期待症候群、あるいは演技性人格障害の類なんだと思う。

 
 で…。
 いくら「警察と戦った俺、美しい」と思っていても、ウィキペディアの記述はこんな感じ。(2011年10月15日現在)
烏賀陽弘道 - Wikipedia

警察と烏賀陽弘道

2010年12月24日、東京/築地の交差点において、他者所有のベンツもしくは路上に唾を吐いた容疑で築地警察署に事情聴取を受け、その状況を烏賀陽弘道の視点でTwitterを使い呟く。

 いくら「大手マスコミと戦った俺、美しい」と思っていても、ウィキペディアの記述はこんな感じ。(2011年10月15日現在)
烏賀陽弘道 - Wikipedia

讀賣テレビ放送烏賀陽弘道

2011年4月24日、烏賀陽弘道は、南相馬市ハイヤーで取材し、食べ物屋の領収書を「よみうりテレビ」の名前でもらった人物がいる、という未確認情報をネットで流し(「よみうりテレビ」という名称を使っている会社は、2011年4月には存在しない)、さらに2011年9月30日、「読売テレビ(正確には讀賣テレビ放送)」の広報室長に抗議を受けたことを、伝聞情報として語る。

 きっと何者にもなれない烏賀陽弘道に告げる。ウィキペディアのアカウントを手に入れるのだ!(とは言っても、まさか匿名で自分に関する記述を書き直すなんてことは、烏賀陽さんに限ってはないですよね?)
 参考。
ノート:オリコン・烏賀陽裁判 - Wikipedia

「和解」であるにも関わらず、烏賀陽側の「勝訴」などと主張しているのは、当事者である烏賀陽烏賀陽の出身の朝日新聞だけである。