20世紀に消滅した国/【意外史】岡田英弘の中国論【妻も敵なり】

最近の世界史板@2ちゃんねるの100越えスレッド。秀>優>良>並>駄、というのが目安です。荒れ・乱などというのもあり。
 

20世紀に消滅した国(普通に面白い良)

「シッキムとか」(1)「消えた経緯も書けやゴルァ!」(12)「ベナン  ビアフラの傀儡国家として独立するも翌日にナイジェリアに併合される」(17)「アチェ王国。1903年にスルタンが破れ、1912年にはオランダに対する組織的抵抗が消滅」(20)「自由インド仮政府アンダマン諸島を統治していた」(22)「トゥバ共和国」(23)「75年までの所謂「南ベトナム」が「ベトナム共和国」。サイゴン陥落から翌年の併合まで存在した北ベトナムの傀儡国家が「南ベトナム共和国」。これは北ベトナム、正しくは「ベトナム民主共和国」が正当性を持たせるために併合手続きの間存続する南ベトナムの正式名称に「南」の字を入れさせた。ちなみに1976年の南北併合で国名が「ベトナム社会主義共和国」になったから、ベトナム民主共和国も20世紀で消滅したことになる」(24)「沿海州共和国 1918〜22」(34)「ハシーム家のヒジャズ王国アラビアのロレンスの活躍等で有名。イギリスの後押しで1920年独立するも、わずか5年で滅亡w ハシーム家はメッカ・メディナの本地をサウド家に奪われ、イギリスからイラクとケラクに所領を譲ってもらい存続。思えばこれが、イギリス中東政策躓きのはじまり。イラクのハシーム家も第二次大戦後に革命で滅亡。現在ハシーム家はケラクのみ。歴史の流れが違えば、アラビア半島イラク・シリアにハシーム・アラブ王国が建国されていたかもしれない」(47)「バルティクム 帝政ドイツ軍によるバルト地方占領に際して、バルト諸侯たちは、クールラント、エストニアリヴォニアを統合して、一つの国、「バルティクム」として独立しようとした。1918年4月13日、バルティクム国民会議は主権宣言を行い、自分たちの国を王国として、その王冠をプロシア国王に捧げることとしたが、プロイセン王はその王冠を受けるのを躊躇い、その後直ぐにドイツが崩壊したことで、1日だけ存在した幻の王国となった」(50)
スレッド紹介では、あまり知られていない国を中心に切り抜いてみました。
 

【意外史】岡田英弘の中国論【妻も敵なり】(キャラ立ち良)

漢民族黄巾の乱で絶滅したとか指桑罵槐とか面白いんですけど 中国史に詳しい人から見てどうなんですか?」(1)「夫婦ともにモンゴル史研究家」(3)「お杉様=モンゴル帝国プロパー 岡田=北元〜ダヤンハーンあたり 宮脇=オイラトジュンガル 本田・志茂=フレグウルス 赤坂=ジュチウルス チベット学者多数=ホシュート部 なんだかんだ言って日本のモンゴル史学はバランスよく研究者がいるよ。さすが老舗。宮脇のオイラトジュンガルは地味だけどもっと評価されていいと思うけどね」(6)「明代モンゴルの森川哲雄先生を忘れるな」(8)「岡田英弘が北京で知人と一緒にタクシーに乗って、目的地に着くまで日本語で会話していた。降りるときに正確な発音の北京語で運転手に話しかけたら「あれ、日本人だったんですか?」とやっと気づいた・・・という話だったと思うが」(35)「「中華帝国商業利権のネットワーク」てのを最初読んだ時はへぇーと思った」(36)「2ちゃんには時々岡田英弘が元ネタの知識を自慢げに披露する痛いウヨが出没します」(41)「内藤湖南応仁の乱より前の歴史は知らなくてよい」宮崎市定西周なんて時代は存在しない」岡田英弘漢民族五胡の乱で絶滅した」独創的な学風の大先生の大胆な断言は楽しいです。注意:小児は半量服用のこと」(42)「「日本で武家政権というモノが700年も続いたことは、その途中での明皇帝による足利義満日本国王承認による正当性獲得がなければ有り得なかったであろう」岡田先生が以前、世界史のはじまりという本で書いていた。これ以来この人を信用していない 」(43)「「妻も敵なり」に出てくる台湾人の宴会の様子は読んでるだけで疲れる」(45)
面白い、というか個性的な先生のようです。