「日中記者交換協定」ってお前らそれを本当に見たことがあるのか(lovelove中国)

 見出しは一部演出です。
 中国に関する報道については、もう毎度疑問に思ってることとして、こんなのがありまして、
政府、チベット情勢注視…日中関係への影響懸念し - 自動ニュース作成G

(前略)
[#9] (mswcf) 欧米に歩調を合わ「せざるを得ない」って、、。絶好のカードを捨てようとするなんて、関係者はハニートラップにでもかかってるのか?
[#10] (zvlix) 日中記者交換協定とか絡んでるんじゃないの?
(後略)

 この「日中記者交換協定」って、今でも有効に働いている「協定」なのか、ということなのですね。
日中記者交換協定 - Wikipedia

日中記者交換協定(にっちゅうきしゃこうかんきょうてい)は、日本と中国の間で取り交わされた、日中双方の記者を相互に常駐させる取り決めのこと。正式名は「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」。
(中略)
・日本政府は中国を敵視してはならない
・米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀を弄しない
・中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げない
すなわち、中国政府(中国共産党)に不利な言動を行なわない・日中関係の妨げになる言動を行なわない・台湾(中華民国)独立を肯定しないことが取り決められている。違反すると、記者が中国国内から追放される。これらの協定により、中国に対する正しい報道がなされていないと批判がある。
(後略)

 ただ、この「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」には、「日本政府は中国を敵視してはならない」云々とは何も書いてないのですね。

1974年1月5日には両国政府間で日中貿易協定が結ばれ、同日には「日中常駐記者交換に関する覚書」(日中常駐記者交換覚書)も交わされた。

 とあるので、これと混同しているテキストが多いのかな。
 はてなダイアリー・キーワードのこの記述はどうかなぁ。
日中記者交換協定とは - はてなダイアリー

正式名を「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」と言い、当時、中日友好協会会長であった廖承志氏と自民党の松村憲三衆院議員らとの間で1964年に交わされた協定。

 ↑少し直してみたけど、もう編集合戦は面倒なので、直したテキストをここに置いておきます。

正式名を「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」と言い、当時、中日友好協会会長であった廖承志氏と自民党の松村憲三衆院議員らとの間で1964年に交わされた協定。
1968年3月6日に、「日中覚書貿易会談コミュニケ」(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)が発表され、それにあわせて次の項目などが付帯された「記者交換に関する取り決め」の修正もおこなわれた*1

一 双方は、記者交換に関するメモにもとづいて行われた新聞記者の相互交換は双方が一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則を遵守し、日中両国民の相互理解と友好関係の増進に役立つべきものであると一致して確認した。

 この「会談コミュニケに示された原則」として、以下のものがある。 

  1. 中国を敵視しない。
  2. 二つの中国を造る陰謀(=台湾独立)に加わらない。
  3. 日中国交正常化を妨げない。

 
これにより、日本の新聞は中国に関して自由な報道が大きく規制されることになったとする者が多い。当初、朝日新聞毎日新聞・読売新聞・産経新聞日経新聞共同通信西日本新聞NHK東京放送(TBS)の九社に北京への記者常駐が認められたが、「反中国的な報道をしない」という協定が含まれているために、国外追放される報道機関が相次いだ(何があっても親中的な報道を続けた朝日新聞だけは大丈夫だったようである、と推測する者もいる)。

また、これは本来新聞のみを対象としたものであったが、その後の新聞とテレビとの資本交換による系列化の強化で、事実上テレビに関しても適用されることになった。
 
ただ、この「取り決め(協定)」が、日中国交回復後もどの程度有効なのか、疑問を呈する者もいる*2

 太字の部分が、だいたい直したところ。
「疑問を呈する者」のテキストはこんな感じ。
NEWSPAPER CRITIQUE No.13:インターネット評論の危うさ―中国アジア局長の日本メディア批判発言をめぐって

 まあ推論だらけのでたらめな評論である。40年以上前に交わされた記者交換協定なるものに日本の特派員が縛られていると勝手に思い込んでいる。現在の日本人特派員でこの協定を知っている人がどれほどいるだろうか。私自身見たこともないし、実際、そのメモなるものを、東大の田中明彦研究室のデータベースでやっと見つけたが、「中国を敵視しない」といった条項はどこにも含まれていない。ましてや「三点を守れないマスコミは、中国から記者を追放する」なんてしばりもない。(資料1)
 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19640418.O1J.html
 大体、国交正常化前のこんな協定にどんな意味があるのか。いまや平和友好協力条約が締結され、敵視するもしないもないだろう。全く時代背景も考えない短絡的な発想である。
 ところが驚いたことに「日中記者交換協定」をキーワードにネット検索をかけると、出るわ出るわ、このでたらめな「はてなダイアリー」を基にした、中国と日本のマスコミに対する罵詈雑言の山である。協定で日本のマスコミが服従しているのなら、アジア局長がわざわざ冒頭のような発言をすることもないだろう。
 インターネットは非常に便利でもあるし、マスコミと違って、利用者の側も大いに発信できるというメリットもある。しかし、ネット上にあふれる情報を疑わず、実情と検証してみるといった作業を怠ると、とんでもない暴論をはびこらせることになる。暴論の側は、意図的にやっているから、なかなか自ら退出することもない。日中関係だけでなく、ネットは厄介な存在となりつつあると思う。

 以下のところはだいぶ役に立ちそうです。
日中関係資料集
連絡事務所の設置および新聞記者交換に関する高碕達之助,廖承志両事務所の会談メモ
 ↑これがいわゆる「日中記者交換協定」の初期バージョン。
日中覚書貿易会談コミュニケ(日本日中覚書貿易事務所代表・中国中日備忘録貿易弁事処代表の会談コミュニケ)

中国側は,中日関係における政治三原則と政治経済不可分の原則を堅持することを重ねて強調した。日本側は,これに同意した。

 ここで言及している「中日関係における政治三原則」というのがうまく見つからない。ご存知のかたは教えてください。
 以下のようなテキストはあったけど、これは「談話」だし、「対日貿易3原則」だし。
周恩来中国首相の対日貿易3原則に関する談話

両国政府の関係については,劉寧一同志が東京に滞在中,すでに非常にはつきりとのべたとおり,やはり,これまでわれわれがのべてきた政治三原則を堅持するもので三原則は決して日本政府に対する過酷な要求ではなく,非常に公正なものである。すなわち,第一に,日本政府は中国を敵視してはならないことである。なぜなら,中国政府は決して日本を敵視していないし,さらに,日本の存在を認めており,日本人民の発展をみてよろこんでいるからである。もし双方が話し合いをすすめるとすれば,当然日本政府を相手方とするものである。だが,日本政府は中国に対しこのような態度では臨んでいない。かれらは新中国の存在を認めず,これとは逆に,新中国を敵視し,台湾を承認し,台湾が中国を代表するとのべている。また日本政府は新中国政府を会談の相手方にしようとはしていない。第二は米国に追随して「二つの中国」をつくる陰謀をろうしないことである。米国で今後大統領が民主党から当選するにせよ,また共和党から当選するにせよ,すべて「二つの中国」をつくることをたくらむであろう。香港にある台湾系の新聞の報道によると,共和党の「二つの中国」をつくるたくらみは消極的で,待つて見ていようとするものであり,一方,民主党が政権をとれば,「二つの中国」をつくるたくらみが積極的であり,主動的であろうとのべている。これはある程度道理にかなつていると思う。米国がこのように行ない,日本がこれに追随すれば,われわれはもちろん反対である。第三は中日両国関係が正常化の方向に発展するのを妨げないことである。われわれのこの三原則はきわめて公平であり,これを裏返してみればよくわかると思う。

 前に言及した「記者交換に関する取り決め」の修正は以下のところ。
記者交換に関するメモ修正取決〔一九六四年四月十九日の新聞記者交換会談メモ修正に関する取りきめ事項〕
 
 あと、以下のところから、引用の引用。『中国を追われたウイグル人』(水谷尚子・文春新書)あとがきより。
世界連邦において警察力の行使は戦争になる - 猫を償うに猫をもってせよ

私の書くものは「保守派」「愛国者」から受けがよいが、「敵の敵は味方」的な発想から「中国叩き」の材料に使われることが多いのを懸念している。ネット上でも「ウイグル人を救おう」などという運動をしている若者がいるが、民族問題の背景を理解せず、「正義」を主張しようとする姿勢が感じられる。日本の「進歩派」メディアは「日中記者交換協定」のために、中国政府に遠慮してそういうことを報道しないというのがネット上での定説になっている。しかし97年のイリ事件に関しては朝日新聞の清水勝彦記者が多くの記事を書いているし、『世界』に質の高い論考が載ったことがある。

 
 なんかテキスト的にややこしくなったので、うまくまとまらないんだけど、
1・1964年4月18日の、通称「日中記者交換協定」の初期バージョン(連絡事務所の設置および新聞記者交換に関する高碕達之助,廖承志両事務所の会談メモ)では「中日(日中)関係における政治三原則」的なものは入っていなかった。
2・1968年3月6日に、それの修正バージョンが作られ、その中には「一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケに示された原則を遵守」するというテキストがある。
3・「一九六八年三月六日に発表した会談コミュニケ」の中には「中日関係における政治三原則と政治経済不可分の原則を堅持すること」の双方の合意がある。
4・「中日関係における政治三原則」は、「周恩来中国首相の対日貿易3原則に関する談話」と関係がある。
5・しかしこれ、いずれも日中国交回復以前のものなので、今はいったいどうだろう。
 
 私的には、中国の情報がうまく日本に伝わってこないのは、中国側の報道規制と、日本人記者で中国語にくわしい人があまり多くないせいもあるんじゃないかな、とか思いました。さすがに現地の記者は中国語できないわけがないとは思いますが。
 同様の理由で、日本の情報も多分、うまく中国に伝わっていないと思います。報道の規制はなくても記者クラブ制度はあるし、日本語にくわしい中国人記者がそんなにいるとは思えない。
 で、実は1974年1月5日に交わされたという「日中常駐記者交換に関する覚書」(日中常駐記者交換覚書)の元テキストがどこにあるか、すこししらべてみたのですがうまく見つかりませんでした。ご存知のかたは教えてください。
 だいたい、

日中国交正常化を妨げない。

 なんて一文が、日中国交正常化以後の「日中記者交換協定」みたいなものに含まれているとは、ぼくにはとても思えないのですが。日中国交が正常化していない、という現状認識が一部の人にはあるんでしょうか。