リトルロックの9人について

 ちょっと以下の情報に興味を持ちました。
 人のブログからですが、
gachapinfanのスクラップブック:今日から明日以降にかけてのBSドキュメンタリ

[eirene][番組]50年目のリトルロック 〜アメリカ 消えぬ人種差別〜 

本日の夜、午後11:10〜午前0:00、BS1で放映です。

http://www.nhk.or.jp/bs/bsdoc/

今からちょうど50年前、アメリカ南部リトルロックの高校に全世界の注目が集まった。黒人と白人の共学をめぐり地元州政府と連邦政府が対立、軍隊が高校を占拠するなか黒人生徒9人が初登校を果たした。公民権運動史上に名高いリトルロック危機である。9月には50年目の記念式典も行われるこのセントラル高校が、実はいま深刻な人種問題に直面している。黒人生徒が半数以上を占めるにいたったものの両者が口をきく機会はほとんどない。自動車を乗り回し有名大学に進学する白人生徒と対照的に、黒人生徒は校内で暴力ざたを起こし、就職のメドすらたたない。無関心をよそおう白人生徒と嫉妬と憎悪を深める黒人生徒達。学校側では、黒人生徒のための特別クラスの設置や生活指導などの対策に校長以下が取り組んでいるものの効果はあがっていない。アメリカ社会の格差の拡大も両者をいっそう引き離す結果をもたらした。白人はより裕福に、黒人はより貧しく追いつめられている。対立は半世紀を経たいま、より根深いものとなっているのだ。番組ではセントラル高校を300日にわたって取材。生徒の心の奥深くにくすぶる思いと、アメリカ社会でよりいっそう深刻化する人種問題の実態に迫る。

 本日の夜、というのが「2007年の11月」という、いったいいつのブログを見てるんだよ、みたいな感じですが。
 そこからここに行って、
50年目のリトルロック 〜アメリカ 消えぬ人種差別〜 - G★RDIAS
 こちらへ。
Little Rock Nine - Wikipedia, the free encyclopedia

The Little Rock Nine were a group of African-American students who were enrolled in Little Rock Central High School in 1957. The ensuing Little Rock Crisis, in which the students were initially prevented from entering the racially segregated school by Arkansas Governor Orval Faubus, and then attended after the intervention of President Dwight Eisenhower, is considered to be one of the most important events in the African-American Civil Rights Movement.

 日本語だとこんなサイト・テキストが。
リトルロック暴動

リトルロック・セントラル高校>
 アーカンソー州における人種共学への取り組みは、先ずリトルロック・セントラル高校というごく普通の子供たちが通う学校から始まることになっていました。この選択で、もし富裕層の通う学校を選んでいたら、問題はそう大きくならなかったかもしれません。しかし、白人支配層が共学を嫌がったため、そうはなりませんでした。そのことが、白人貧困層の反発を買う原因になったとも言われています。
 そうした状況の中、黒人専門で伝統のあるホラス・マン・スクールという高校から9人の生徒たちが選ばれ、セントラル高校へ転入することになりました。もちろん彼らは自らの意志で転校を望み、危険は覚悟のうえでした。どんなに厳しい状況におかれても自分たちが入学、卒業することで、後に続く黒人たちにチャンスが広がることを彼らは自覚していたのです。
 ところが、彼らの入学を阻止しようと考えたフォーバス知事は、9人が入学する日に人種差別主義者による暴動が起きるというニセ情報を流し、その鎮圧のためと称して州兵を出動させ、学校を封鎖してしまったのです。おまけに州兵たちは白人学生は中へ通すものの、黒人の入学生が中に入ることを許さず、なおかつその場に集まってきた人種差別主義者による騒ぎを見過ごしていました。
 そのことを知らずに現れた一人の黒人少女は州兵によって学校から追い返され、行き場を失った彼女は群衆によってリンチされそうになってしまいました。幸いにして、彼女は危ういところを取材に来ていたニューヨーク・タイムズの記者によって救い出されました。その記者は彼女を混乱の中から救い出す時、こう言って励ましたそうです。
連中に泣き顔を見せてはだめだ!
<「神の目」は見逃さず>
 結局この日、黒人の転入生たちは学校に入ることができませんでした。そんな状況の中、彼らはあまりに無力でした。このままでは到底入学は不可能と誰もが思ったようです。しかし、神はそんな白人差別主義者たちの非道をしっかりと見ておられました。それどころか「神の目」はその非道をあまねく世の総ての人々に知らしめたのです。
 それは当時やっと全国ネットが完成しようとしていた新たなマス・メディア、テレビの全国版ニュース番組のカメラでした。このニュース番組のカメラと電波によって、アメリカの田舎町で起きている非道は全米へ、さらには全世界へと伝えられることになったのです。か弱い黒人少女が白人の醜い暴徒たちに取り囲まれ、罵倒されているシーンが全国に流されたのです。
 こうして、フォーバス知事はたった一晩で全米の大衆を敵に回すことになったのです。しかし、それだけでは現状は変わりませんでした。もともとアーカンソーに住む選挙民の支持を得られれば良いと考えていた彼にとって、よそ者たちの批判など痛くもかゆくもなかったのです。

史跡めぐり・セントラル高校の人種統合

9月4日の初登校日、黒人生徒たちはNAACP(全国黒人地位向上協会)役員や白人司祭等と共に団体行動で登校することになったのですが、家が貧しく電話のないElizabeth Eckford(エリザベス・エックフォード、15歳)には連絡がつかず、彼女だけは単独で登校しました。彼女は少しでも可愛く見えるようにと、この日のために手製のスカートを作り、アイロンも念入りにかけていました。バスを下り学校に近づくと、並んでいる州兵が「あっちへ行け」という仕草をしました。彼女は素直に通りの反対側へ移り、学校の正面玄関に向います。Elizabeth Eckfordを発見した白人生徒を含む群衆はゾロゾロと彼女について歩き、口々に"Nigger!"(クロンボめ!)、"Go back to Africa!"(アフリカへ帰れ!)などと罵りました。このワン・ブロックは彼女にとって生涯で一番長い距離だったそうです。正面玄関へと続く小道の近くの州兵たちは冷たい目付きで彼女を睨み、銃剣をかざして通せん坊しました。彼女はTV報道で州兵がいることは知っていましたが、「州兵は黒人の生徒を守ってくれる役目」だと思い込んでいたので愕然とします。Elizabeth Eckfordは途方に暮れ、ふと目に入ったバス停のベンチを目指します。罵声や憎しみの目に囲まれ、彼女の膝はガクガクし、やっとの思いでベンチに到達。数人の親切な白人の助けでバスに乗り、母の職場へ駆け込んで泣き崩れたそうです。

 ほかにもいろいろ検索。
リトルロック セントラル高校 - Google 検索
 アメリカというのは大変な国だったんだなぁ、と今になると思えます。今は今で、大変な格差社会だ、という感じなのですが。
 ちなみに、セントラル高校というのはビル・クリントン元大統領の出身校としても有名です。
 こういう、ネットで拾ったネタが何か「物語」のヒントにでもならないかとひねくり回してみようとするのですが、ノンフィクションのほうに興味を持ってしまってどうにもです。