『先生とわたし』(四方田犬彦)----深酒と孤独には気をつけようと思った
ものすごく面白い! 一気読み。
- 作者: 四方田犬彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 単行本
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幻想文学に興味のある人は、牧神社という名前をあわせて知ってたり、由良君美の本(著作)を何冊か持ってたりするはず。
→由良君美 - Wikipedia
由良 君美(ゆら きみよし、1929年2月13日 - 1990年8月9日)は、日本の英文学者、東京大学教授。
2007年、四方田による回想記「先生とわたし」(『新潮』3月号)が話題を呼んだ。ただし、この回想には四方田による憶測と誇張、過去の美化が含まれていることを関係者・同級生(鈴木晶など)が指摘している。
ということで、こんなのがネットにあった。ネットも面白いですな。孫引用。
→四方田犬彦「ハイスクール1968」を斬る
→四方田犬彦「ハイスクール1968」を斬る:【参考】大法螺吹き「四方田犬彦」と鈴木昌氏
【参考】大法螺吹き「四方田犬彦」と鈴木昌氏
四方田犬彦の東京教育大学附属駒場高校時代、それは学園紛争の時代であったが、を活写した『ハイスクール1968』で「友人」とされた鈴木晶がホームページの日記で次のように書いていた。2004年3月3日(水)
四方田犬彦の『ハイスクール1968』(新潮社)が送られてきた。高校時代の回想録である。とくにバリケード封鎖の前後のことが克明に書かれている。彼と私は中学高校ずっといっしょだから、当然ながら私も登場する。
あまり愉快な本ではない。四方田が大法螺吹きであることは、業界では知らぬ者はない。私も慣れている。
彼と私はともに由良君美門下生であるが、学生時代に、あるとき四方田から「相談ごとがある」と言って呼び出された。何かと思ったら、「由良先生に、おれが鈴木に剣道を教えてやった、と言ってしまったので、そういうことにしておいてくれ。頼む」というのだ。別にかまわないよ、と答えた。私は剣道部の部長だった。彼もたしかに一時剣道部に所属していたのだが、運動神経ゼロなので、ぼかすか打たれているばかりだったため、一ヶ月くらいでやめてしまった。
万事がそういう調子。
「私は生まれる前から映画をみていた」とか書いているけど、中学1年のときに映画に連れていってやったのは、この私である。
同級生に取材して書いたにもかかわらず、その同級生たちのことをわるく書き、自分だけは憂いを帯びた哲学的な高校生として描いているのだから、まったく呆れる。本人を知っている人なら、「また始まった」で済むのだが、知らない読者は信じてしまうのだろうなあ。
昨年、文芸誌「新潮」に掲載されたが、その後、2年先輩の矢作俊彦から新潮社に「でたらめを書くな」と抗議があり、彼に関する部分は全部削除したそうだ。同級生だった金子勝も怒っているらしい。
小説なら許せるが、あたかも実録のように書いているから、たちがわるい。ほとんど嘘なのに。しかし、もし小説家だったら、自分がいかにカッコイイ高校生だったかを世間にアピールしたくて、こんなものを書いたりはしない。そんな小説家は見たことがない。こういうものを書く神経が、私には理解できない。
私自身も登場人物のひとりとして、まったく事実無根のことを書かれているのだが、友達だし、まあいいや。笑ってすまそう。
鈴木昌鈴木晶氏の日記の元テキストが見当たらなくてすみません。どなたかご存知の人がいましたら、リンク先など張り替えます。
で、ちょっと興味を持ったのは、以下のテキスト。
1・由良君美氏によるT.S.エリオット追悼・批評の論文「T・Sエリオット または石の生涯」(『日吉論文集』5号・1966年9月)
これについては、四方田犬彦は次のように書いています。p59
1970年代のあるとき、わたしはこの論文を図書館で発見して、由良君美に読後感を語った。彼は「僕はあのおかげで、もう少しで日本英文学会を永久追放されかかったよ」と苦笑いをしながら語った。
もうひとつは、
2・『國文学』1988年2月号に掲載された、四方田犬彦の手紙、およびそれに対する由良君美氏の「罵倒に近い注釈」(p173)テキスト
この2つはネットで探しても出てきそうにないので、いつか図書館に行く機会があったらコピーして引用してみよう。前者に関してはかなり長めかつ専門的っぽいので、あまり面白くないかもしれないですが。
(追記)
鈴木昌→鈴木晶(すずきしょう)氏、でした、どうもすみません。
こんなテキストも見つかった。
→Sho's Bar
→diary0703
3月5日(月)
1週間ほど前、朝日新聞の文芸時評(2月26日)で、加藤典洋が四方田犬彦の長編評論「先生とわたし」(新潮)を評していた。
四方田の評論は、読んでいないが(読む気がしない)、読まずとも、内容に関しておおよその予想はつく。その評論は「学生時代の恩師である高名な英文学者との交流」を描いたものだそうだ。
その恩師が由良君美先生であることは、読まずともわかる。私もまた由良先生の「不肖の弟子」のひとりであるから。もっとも、私は文字通り末席を汚していただけで、清水次郎長一家ではないが、私の上座には大政・小政みたいな、富山太佳夫、高山宏といったすごい人たちがいた。四方田は、まあ味噌っかすであった。
私は秋山さと子先生の「秘蔵っ子」でもあって、由良先生は秋山先生に対しては頭が上がらないところがあったおかげで、私は由良先生からは大事にされた。言い換えれば、それほど親しくならなかったということでもあるが。
加藤さんは「400字詰め原稿用紙400枚を一気に読ませる筆力には感嘆する。面白く読んだ」ともちあげておいて、「欧米の最新の文学思潮に通じ、高踏な趣味人であった恩師が、やがて心身のバランスを崩し、弟子に嫉妬をおぼえ、関係を破綻させていくという背景に、著者自身が、恩師の年齢に近づくにつれ、気づいてきた、と独白されるその物語には、もの悲しいね、という感想が湧く。欧米の最新思潮に通じる学者にとっての老年は、それほどまでに貧しいものなのか」と、四方田に共感を示すような感想を素直に書き記した後、「内田樹が一昨年だったか『先生はえらい』という本を書いた。たとえどんな人士であろうと先生は『えらい』」という、じつにまともな指摘をしたあと、最後に、「弟子の『えらさ』ばかり伝わってくるのが、この卓抜な評伝の弱点である」と断じている。たいへん控えめで上品な言いまわしだが、私から見ると、これはまさしく「一刀両断」である。
四方田犬彦を少しでも知っている人なら、この評価に深くうなずくことであろう。そう、彼は自分がいかに偉いかを書きたいがためにものを書く物書きなのである。自分が「えらい」ことを示すために、わざわざ恩師の評伝を書くような人間なのだ。
彼が高校時代のことを書いた『ハイスクール1968』もまったく同じで、私を含め、大勢の同期生が登場するが、彼の言いたいのは自分がいかに偉かったか、ということだけなのだ。そうでなかったら、宮沢さん(矢作俊彦)や大谷さんのような先輩や、金子勝をはじめ、同期生たちがどうして一人残らず怒っているのだろうか。「先に書いたほうが勝ち」という気持ちは、わからなくもないが、どうせ書くなら本当のことを書いてほしいものである。わざわざ「これは小説ではなく、事実だ」と書いているんだから。
私たちの怒りは、自分たちの知られたくない過去を暴かれたとか、弱点を鋭く描かれたという怒りではない。自分が偉いことを示すためだけのために、嘘までついてまわりの人間を貶めるから、みんな怒っているのだ。
どうしてそんなことをするのかは、あらためて説明するまでもないだろう。
もう少し自信を持ったらいいのに。恩師について書くのなら、それはオマージュでなくては「意味がない」。
おもしれー。