日本読書新聞1955年5月2日の記事「児童雑誌の実態 その四」(良いものを探す)

 悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
 日本読書新聞1955年5月2日より。
 前のテキストはこちら。
日本読書新聞1955年3月21日の記事「児童雑誌の実態 その一 お母さんも手にとってごらん下さい」
日本読書新聞1955年4月4日の記事「児童雑誌の実態 その二」(少女系雑誌)
日本読書新聞1955年4月18日の記事「児童マンガの実態 その三 マンガ・ふろく・言葉など」

児童雑誌の実態その四
 
 この特集もすでに三回、今日の児童雑誌の実態として、欠点の指摘を中心にすすめてきたが、今回は、どこかに良い点はないか、すくなくとも“良い芽”は見られないか、という立場から検討してみた。
 本誌の記事は各方面の共感と反響を呼び、各界も活発な動きをみせはじめているが、これは一時の流行に終らせてはならないものだ。業界の反省はもとより、すべての親たち、現場の教師たちが、強い愛情とたゆまぬ努力によって、子どもたちに即して、この問題を解決してゆくほかない。
 そこで、では具体的にどうすればよいのか、実地に当ってどういう方法が可能なのか--実態調査と二、三の指導実例をあげて、考えてみることにした。
 
 本号は従来通り本誌学校図書館欄担当の各氏(菱沼太郎、森久保仙太郎、久保田浩、菅忠道、真船和夫、岡田日出士)のほか、藤田博(野方小学校)藤本一郎(京橋小学校)両氏の協力をえて本紙編集部がまとめた。なお、今回は特に全国各地から様々の資料、意見などを沢山の方々からお寄せいただいたので、それを使わせていただいた。
 
マンガと子ども
 
 大阪氏の某小学校の調査(同市指導主事尾原淳夫氏提供)によると、
 
▽マンガに対する家族の見方
 
「叱る」三〇名、「とめる」六六名、「無関心」一五四名、「ほめる」七名。

▽好きなマンガの内容

一年 二年 三年 四年 五年 六年
冒険もの 12 26 11 20 27 7 103
探偵もの 15 20 20 22 29 14 120
怪奇もの 1 1 3 13 9 0 27
架空もの 3 1 7 4 5 10 30
ユーモア 12 1 14 11 9 2 49
頓智もの 5 14 17 19 31 2 88
お伽もの 6 7 6 4 14 0 37
友情もの 2 2 2 6 14 5 31
悲劇もの 4 11 14 20 18 19 76
風刺もの 0 6 1 1 1 1 10
生活もの 2 3 2 8 10 3 28
歴史もの 5 9 9 23 23 23 79

 
どのように導くか
現場教師の記録
 
 現場の教師の記録を見る前に、読者の投書から二つの意見を紹介しよう----
「小学校の女先生も母親も、学習雑誌という名に信頼して子どもに与えっぱなしにしているが、それでよいのか」(山口県岩国市・葛原白葉氏)という声。もう一つは「最近東京近郊で急激な流行を見せている貸本屋と、地域子供会とが手をつなぎ、一体となって読書指導をしていったらどうだろう」(三鷹市・秋山礼孝氏)という提言。--前者は世の母親・教師たちがもっと子どもの雑誌に関心をもって“手にとって読んでほしい”ということを、後者は貸本屋さんたちの反省と協力を切望している。いずれも真剣に考えるべき問題であろう。
 東京神田の淡路小学校六年生の児童に、これらの雑誌を読ませてその感想からまとめてみると----1・恐迫感がある 2・妄想癖をつくる 3・絵に対する美感をゆがませる 4・映画スター・流行歌手へのアコガレを抱かせる 5・服装をマネたがる 6・類型的な割り切った見方をうえつける(事実を曲げて小説的にみるようになる)----というような心配されている通りの結果が出た。
 
計画的な読書指導
 
 三重県亀山市亀山小学校の松村安雄先生の場合----
「本校において男子の最も好むものはマンガである。マンガのうちでも西部劇は余り好まれず時代物、柔道、レスリングのマンガが特に好まれている。女子の最も好むものは少女小説である。男子、女子ともに、どちらも物語の筋などは大して問題でない。子どもの言うのには、全体を読み返すということはまずないらしい。しかしええとこだけは何べんも読むというのである。ええとことはチャンバラの場面、化ける場面、類型的な感情を煽ることば、といったところである。……子どもが、マンガや少女小説から高度なものに進むきっかけは、母姉兄が買ってきた、読書会に出席するための準備によみだした理由のものが多い。結局、家庭の教育的関心と、学校における読書会等の計画的な読書指導のための方法が、大きな役割をしているといえる」。(なおこの先生からは六年の児童三人に「読書の歩み」を書かれて送られてきたが、これはいずれ紙面に掲載したい=編集部)
 
漫画から脱け出る
望みたいたゆまぬ努力
 
 千葉県松戸市の高木第二小学校の鈴木喜代春先生の場合----
 マンガを足場に子どもの読書を高めてゆこうとして、まず子どもたちと一しょにマンガ本をどんどん読み、ついに子供たちも「うあ、このあいだ見たのと同じだな」といった調子で、マンガに対して批判的な空気を教室内に作っていった。そして一年たらずのうちに、この先生のクラスの子たちは、雑誌『青い鳥』(季刊児童文学雑誌・福音館書店発行)をつぶすなという声とともに「青い鳥子ども会」をつくった。そして二十一人の児童が『青い鳥』を買うようになった。そして読書会が生れ、めざましい発展をとげつつある。そして鈴木先生はいう----
「マンガ----まったくおそろしいことです。でもマンガでも読んでくれたら望みがあります。出発はここからです。それにしても、あまりにもひどい商業主義にあきれます。より子どもに親しまれるような作品、子どもを勇気づけるような作品の、本当に少ないことを痛感します。しかし、これらはお互いにせめあうのではなく、現場の教師と、作家と、手をとりあっていくこと。現場の教師は商業主義に負けずに、子どもを守り、もうければよいという方々も、反省してもらいたいものだと思います。お互にケンカにつらなり、取締法などの法律では、ものを解決したくないものです。」(なお、本号六面「本を読んで」欄参照のこと)
 
教師に望むこと
 
 出版界の反省を求めることが第一だが、教育者の力にまつところも極めて大きい。そして教師として考えねばならないことは----
1・社会悪の結果だから仕方がない、われわれは毎日の教室での学科の学習にせい一ぱいだ、などと言わずに、現状に対して少しでも抵抗していく態度をとること。
2・そのために教室で読書指導を計画的に、先ずやること。継続してやれば、必ず効果があがる。
3・ただ感想文を書かせるというように形式にとらわれず、いま子どもが一番多く接している雑誌やマンガなどをどう読むかということを、実物について学習させること。
4・教師対児童の教室内の学習活動として限定せず、母親たちと協力する方法をとり、大人の問題に発展させることで、PTAの組織など忘れてはならない。
 しかし、どんなに努力しても、クラスの中にいる一〇-一五人位の読書力のおくれた子は、雑誌やマンガから離れられない。その子どもたちのためにも“本当によいマンガや雑誌がほしい”と願わずにはいられない。
 
伸ばしたい良い芽
余りにも少いが
 
 三十誌をこえる児童雑誌の中から賞めるべき作品や記事を探すのはなかなかむつかしい。この特集を始めた当初から、そのつもりで各誌を見てきたのだが、正直にいって、良い点を見出すのに苦労した。以下紙面のゆるす限り拾ってみた。
 
低学年に良いもの
 
 いわゆる“学習雑誌”と自他ともにゆるしている小学館の学年別雑誌を見てみよう。
『小学二年生』『小学三年生』などの低学年向は全体として大体よいといえよう。『二年生』のつづきどうわ「ろばものがたり」(西山敏夫文・沢井一三郎画)は二年生にもわかるようかけており、絵も良いが、色の工夫がさらにほしい。童話「あめさんふっとくれ」(住井すえ)は、畠と田で働く農家の母と、雨とをむすんで、農業の仕事を教えながら、母の日の心を語りえていよう。つづきえものがたり「いえなき子」(槙本楠郎文・谷俊彦画)は、色の美しい絵でこの名作をやさしくよませる。りかどうわ「いもむし」(平井芳夫文・安泰画)は童話の形式をもって、自然に対する目を開かせうると思う。
『小学三年生』では、四月号のめいさくよみもの「きえたせん人」(槙本楠郎・井口文秀画)は芥川の「杜子春」の話を絵を中心としてかいており、大体あやまりなく子どもに杜子春を印象づける。スチーブンソンのおはなし「山のはつめい少年」(白木茂文・沢井一三郎画)は三年生むきの伝記として清潔である。しかしほんの小さなエピソードで、一号分では、伝記として断片的によまれすぎよう。連載第一回「とおい北国のはなし」(小川未明文・松野一夫画)は、めずらしいほど純粋な物語といえるが、三年生が果して、これに興味がもてるか(子どもむきの私小説的作品の今後はどうか)という疑問が出る。それは「そらのおうし」(和田伝文・武田まさみ画)も同じだ。四月号の短編「三ちゃんのケンカぐも」(北川千代文・黒崎義介画)は中間童話といったものだが、こんな段階から純化へむかうのもよいと思う。あまり観念的・高踏的なものより、まずこの辺から、という感じである。
 マンガにはこれといって良いものがない中で、「ししがりのタルタランさん」(せんば太郎)は新しい形式で注目されよう、色はよくないが、コマにしばられないところがよい。
 この雑誌では「ホロホロチョウのまだらはなぜできた」(八波直則文・森やすじ画)、中国むかしばなし「ありの国」(平井芳夫文・林義雄画)、つづきよみもの「トムのぼうけん」(西山敏夫文・谷俊彦画)なども比較的よいものだ。
『小学四年生』では、世界名作絵物語「アラビアのガラスつぼ」(土家由岐雄文・池田和夫画)は文章にケレン味がなくてよい、絵もまずまずといえる。文芸読物「おかあさん物語」(鶴田知也文・滝田要吉画)は清らかで美しい話だが四年生に感動を与えうるかどうか疑問。朝鮮昔話「ほととぎすになった男」(平井芳夫文・花野原芳明画)はおもしろいものになりそうな作品。同じく四月号の友情小説「星はいつまでも」(園田てる子文・松野一夫画)は清潔で面白い。
『小学五年生』では、連載小説「良太とみちる」(田中澄江文・沢田重隆画)は意欲のある本格的な少年少女小説といえよう。だが純粋ということは子どもにとって高踏的になり易い、どこかに生活とそれを結びつけるカギはないものか。連載小説「火を吐く富士」(沙羅双樹文・伊藤彦造画)は上代に取材した注目される作品。名作絵物語コーカサスのとりこ」(平井芳夫文・池田かずお画)、キュリー夫人伝「四等車のマリー」(大屋典一文・石井達治画)、映画物語「路傍の石」など、まずまずというところ。四月号のユーモア小説「ヨタじいさんのヨタばなし」(平塚武二文・鈴木信太郎画)は良かった。
 
おもしろくする工夫
 
 さてここで、学習的な記事について触れてみよう。『小学五年生』四月号を例としてあげると、「楽しい名画展」「目で見る社会科」「絵で見る日本史」などであるが、これらはいずれもぜひ育てて行きたい企画である。目でみる社会科「火山の国日本」は七頁にわたる記事だが、もう少し生活の面を出してほしかった(火山地帯の村の生活など)。こうしたページが、あまりに事典的になるので、子どもたちが興味をもたないのだ。絵で見る日本史「ほろびゆくマンモスと生きる人間」は、良い試みだが、五年生になったばかりの子にはむずかしすぎる。
 マンガや小説にアッピールすることを一生懸命に考えている編集者たちが、こうしたページになると急に子どもの興味や理解度に無神経になるのはどうしたことだろう。
 特集読物「私たちの児童会」もおもしろい試みで賛成できる。だが、以上あげたようなページは、このままでは子どもが喰いついて来ないだろう。マンガや小説のページに比べて、ずっと読みづらい(組方、割付、頁数などの点)おもしろくするために、いろいろな工夫をしてほしいところだ。
 
生活の問題に切込め
 
『女学生の友』にゆくと同じ小学館と思えぬくらいガラリと変る。『中学生の友』では、時の話題、世界の話題、科学の目、日本の文化のあゆみ、国旗の知識、科学の話題などがあるが、いずれも二頁みひらきで、おそえものの観。これだけがいいというのではないが、突っこめば、もっと正しく中学生にアッピールするのではなかろうか。“知識の袋”ではなく、生活の問題に切りこみ、面白くしてゆけば、科学記事などは殊に喜ばれると思う。
 
希望もてる紹介ぶり
 
 学習研究社の『一年ブック』では、特に取りあげるものはないが、マンガ「らんどせる」(秋玲二)は軽いユーモアでよいが画面がくらい。にほんむかしばなし「おいもころころ」(鈴木寿雄画)で、日本昔話をこのぐらいに紹介できるなら、間もなく子どもに入ってゆけそうだ。『三年ブック』では残念ながら賞めたい頁はない。
 
美しい実話など
 
 講談社の『少年クラブ』五月号では、少年感動小説「ラッパの亀」(氏原大作文・林唯一画)と、ほんとうにあった話「感謝の捕物」(高村暢文・矢車涼画)の二つがとれるものといえよう。前者は、頭のおかしくなった亀という男が、比較的ヒューマンに書かれており、後者は美しい実話で、もっとくわしく紹介してもよかったのではなかろうか。
 その他では連載「風雲児義経」(沙羅双樹文・山口将吉画)は、山口の絵は古いし、文も闘いを中心にしているが、義経を中心として、まっとうな戦記ものである。しかし特に推奨するほどのものではない。少年詩「ぼくらの五月」(サトウ・ハチロー)も清潔だが、コトバのリズムに流されないようにしてもらいたい。プロレス「遠藤幸吉選手物語」(永見七郎)は半生の概要が比較的要領よく紹介されており、生活の上でも強さと正義をもつことが押し出されている。
 偕成社の『少女サロン』ではユーモア小説「コケコッコ物語」(森いたる分・武田将美画)と連載明朗絵物語「ペコちゃん」(北町一郎文・かじかんいち画)、マンガでは「おねえさん」(若月てつ)の三つが、比較的いいものとして推せる。
 光文社の『少年』では中扉の「○月の絵ごよみ」がいい。少年映画館「一五〇〇メートル快勝」「ふろたき大将」はもっと大きく取り上げても良いのではなかろうか。
 
一応成功した読物
 
『少女』の「私のグチ日記」(森いたる文・石田英助画)は健全な読物といえよう。生活の中の、ありそうな事実に親しみを感じさせ、一応ユーモア(言葉の)も成功している。実際に子どもたちに読ませて見たところ、「読んでいて気持がいい」という感想が多かった。これは“健全さ”への子どもの関心の現われと見ることができよう。この作品の言葉のユーモアには、たぶんに駄ジャレ的な面もあるが、一般マンガよりはいい。実際に子どもたちが面白がったところを左にあげてみると----
「綿貫先生のアドバルーンみたいなおかおながめて…」。電車が混んで「おまんじゅうだったら、とっくに、アンコがはみだしててよ」。忙しく夕食の支度をするところで、「お米といでちょうだい」「おとうふ、買ってきてね。それから…」。主人公の愛子が女中さんと間違われて怒り、スリコギを振りあげたら「ワァ、おそろしく、気のつよい女中だ」……。赤ちゃんのため、オムツをぬってあげたら「まあこれじゃ、ぞうきんだわ」と、ねえさんに笑われ、「じぶんだって、ざぶとんみたいなおむつ、つくってるくせに」。
 
こうしてほしい
 
 以上を検討してきて、結論めいたことを言ってみれば----
1・北条誠大林清小松崎茂などの既成作家に編集者がよりかかりすぎているのが欠陥である。意欲的な新人にある程度の紙面を解放してはどうだろう。
2・映画物語などは決して悪いものではない。取り上げ方に工夫がいる。映画会社の広告(予告篇)じみた取上げ方から脱して、長いもの(相当ある)を、もっと丁寧に取上げるべきだろう。できれば鑑賞のカン所なども取上げて見ては?
3・学園ものが、あまりにも学習くさい。先生根性がまる出しであり、しかも子どもの現状に不感性である。
4・全体の編集に統一がないのが問題だ。もっと企画に力を入れ、子どもたちのものにすべきである(現状では編集者の勉強不足が明らかだ)。
 
各界の反省たかまる
批判に応えて努力
「児童雑誌編集者会」誕生
 
 児童雑誌批判の声が十把ひとからげの域から具体的なものになるにおよんで、雑誌編集者側もようやく具体的に動き出した。組織的な動きとしては日本児童雑誌編集者会(代表・小学館浅野次郎氏)の誕生があげられる。同会では今後、雑誌をよくして行くために大いに反省勉強し、評論家に編集者側の意見もきいてもらうようにして行くという。
 この会としての動きは今後にあるわけだが、すでに各社の編集者たちは、それぞれの編集会議において反撥したい批難はあるにしても反省、自重しなければならない点は大いにあることを認め、何とか努力しようという動きをみせている。秋田書店などは、滑川道夫氏を囲んで研究会を開くという熱心さである。
 
編集者の意見
 
 また「東京児童マンガ会」の編集者と話しあう会、「日本子どもを守る会」主催の出版社、母親、作家の懇談会(四月二十日)や、「七日会」主催で行われた編集者、さしえ画家、絵物語作家の懇談会にも、各社編集者は多数出席、いろいろ意見をのべている。二十日の会で出た編集者側の主な意見をひろってみると----
 グロテスクな絵、ちなまぐさい絵はできる限り書きなおしをしてもらうようにしているし、一般に、画家の選定には慎重を期している。(集英社・石橋氏)
 わるいものを駆逐できなかったのは、よいものを出し、よいものを育てる努力が足りなかったのだと反省している。編集者、作家、批評家の三者が一致して、面白さにおいて、現在の強い刺激に十分代わり得るようなものを育てて行きたい。(小学館・長田氏)
 批評家に不良文化財と烙印を押されることより、子どもがどう受けとっているかがわれわれの問題で、子どもが満足しているならそれでいい。現在の傾向はやはり、社会的環境から来ている。面白さは必要だ。ただ娯楽ものを読むためにあまり時間をとるのは心配だ。フロクをへらして、よいものをつくって行く努力など、協定すればできると思う。(秋田書店・森田氏)
 編集者としてもいやな仕事をしなければならないこともあるが、現状では一社だけよくしたらつぶれてしまう。ひんぱんに、こういう懇談会をひらいて欲しい。(少年画報社・山部氏)
「子どもがとびつくものであれば子どもに支持されているので、それだけが児童雑誌の身上である」という考え方がまだあるのは遺憾だが、とにかく現状ではいけない、何とかいいものにして行こうという気持を全部が持っていることは、それだけでも心強いことだ。
 
積極的に動き出す
 
 五日後に開かれた「七日会」の懇談会では、編集者側は一様に、こんど、本紙をはじめ全国のジャーナリズムが児童文化を多くとりあげはじめたことを、非常にいいことであり、むしろおそかったといっている。批難への説諭や希望はあるが、批評の対象になり得なかったことが低俗化を招いたことを思えば、対象にされはじめたことは喜ぶべきことだ。今後とも文化時評的にとりあげてほしい。たたくばかりでなくほめることもしてほしい。マンガや絵物語、時代もの、冒険ものはみんな悪いというのではなく、テーマが問題なのだから、面白さの質を研究しあって向上させて行きたい。編集者の集りもできたし、団結して行き過ぎにあたって行きたい。等々、よい方向へ持って行くために建設的な批評を望む積極的な態度がみられた。
 
もっと意識を高めよう
教師・父兄・子供の話しあいを
 
 父兄、母親の関心もようやくたかまり、編集者、作家との懇親会では、お母さん方が編集者の痛いところを突いたし、地域によっては“買わない”運動もおこり出しているが、一般には、母親の意識はまだ低い。ひどい絵やことばにびっくりして、すぐ法で取締ってくれと云い出す母親が多い。「残虐ものには顔をしかめても、スターものや戦争ものは悪いと思わない人もいる」(志水慶子氏)という。
「雑誌は今の社会の子どもには必要なものとして存在している。この認識の上にたって、母親が手を結ばなければどうにもならないということ、学校でも学習時間に雑誌をとりあげてほしいなどの声が出はじめた。
 
教師への大きな期待
 
 この父兄の希望に応え得る教師はどれだけいるだろうか。不幸にして読書指導はまだまだ“課外”という観念しか持たない教師が多いようだ。まして一番よまれている雑誌をとりあげて正しく指導している教師は非常に少いのが現状だ。
 日教組の「第四次教育研究全国集会」でも雑誌や、マンガの読書指導の体験から討論が行われ、具体的に子どもは何に心をうばわれているかを知り、親も含めて、目を開かせるためにねばり強く話しあいを重ねなければいけないという反省が出た。
 
職人根性を捨てよう
絵物語・挿絵画家も動く
 
 作家側では、まずさしえ、絵物語作家の集り、「七日会」の動きがあげられる。同会では二十五日編集者との話しあいを行ったが、会員外の無関心な画家にも呼びかけ、職人的な気持をすて、芸術家として、人類の明日の幸福につながるよい仕事、独自性ある仕事をして行こう(鈴木御水氏)という反省と共に、やはり具体的な批評がくり返しなされることを望んでいる。(山川惣治氏)逆コース、戦争への道には断固反対すべきだという声(永松健夫氏)も出ている。
 
漫画家も反省
 
「東京児童漫画会」では、現状について、編集者にも罪があるという見解にたって、謙虚に意見をきき、編集者との協力で雑誌の質を向上させようと、四月十一日各社編集者との懇談を行った。続けて、漫画家同志遠慮のない批判ができるような空気をつくり、学校の子どもや先生の意見もきく機会をつくりたいといっている。
 その他、作家松井みつよし氏は「刀やピストルが出てくるから問題なのでなく、取材がよいところにあることが問題である」と発言。加太こうじ氏も「執筆者に無関心な者があまりにも多く、再軍備につらなる好戦ものを書くのもこういう人だから、無関心派を批判すると共に、反対に、逆コースに抵抗、努力している者には励ましを与えてほしい」といっている。
 
【七日会】会員約五十名。主要メンバーは山川惣治、梁川陽一、清水御水、水松健夫、古賀亜十夫、中村猛男、前谷惟光、中村英夫、武田将美氏ら。
 
【東京児童漫画会】会員四十名、会長・島田啓三、福会長・秋玲二、原やすお。主要メンバーは入江しげる馬場のぼる、太田二郎、福原芳明、山根一二三、松下井知夫手塚治虫、吉沢日出夫。
 
各団体の動き
 
 東京都出版物小売業商組合中野杉並支部では、小売商といえどもやはり売れればいいではすまされない、文化指導の一端を担うものとしてすすんで、よいものを店頭に並べお客にすすめたい、あまりひどいものは“売らない”運動にまでもって行きたい、という声が出ている。
 また出版団体連合会を中心として出版倫理化委員会ができ、出版社、取次店、小売店三者が一体となり、近く出版物浄化の声明を出すというし、全国出版物卸商業協同組合(理事長・松木善吉)では浄化声明を出し、「エロ・グロ的艶笑雑誌の絶滅を期し、発行責任者の住所と氏名を明記していないものは取り扱わない」旨発表。
 中央青少年問題協議会に設けられた「青少年に有害な出版物、映画等対策専門委員会」では、関係各界の自粛運動と、よいものを育成する運動をおこすこととし、今回は取締立法化は今後の研究課題として、見送ることに決定する見込み。

 …なんかあんまり「良いもの(作品)」で読みたいもの、ない…
 今となっては俗悪とされていたものも、良書として推奨されていたものも、そのほとんどが消えてますけどね。
 
 日本読書新聞の話は、もうあと少しで終わります。
 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

日本読書新聞1955年4月18日の記事「児童マンガの実態 その三 マンガ・ふろく・言葉など」

 悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
 日本読書新聞1955年4月18日より。
 前のテキストはこちら。
日本読書新聞1955年3月21日の記事「児童雑誌の実態 その一 お母さんも手にとってごらん下さい」
日本読書新聞1955年4月4日の記事「児童雑誌の実態 その二」(少女系雑誌)
 今回は「児童マンガの実態」となってますが、元記事の通りです。

児童マンガの実態 その三
マンガ・ふろく・言葉など
 
“児童雑誌の実態”は残虐・戦争もの(三月二十一日号掲載)および少女もの(四月四日号掲載)に続き、今回はマンガ・ふろく・言葉その他の点についてその実態を分析してみた。例によって本紙学校図書館欄担当の各氏の協力と読者諸氏の投書を参考にして本紙編集部がまとめた。
 次回(五月二日号)では、これら低俗化した児童雑誌からいかに子どもを守ったらよいか、その対策について実例を挙げて考えてみる予定である。読者の皆さんからの資料・意見の提供と協力をお願いします。
 
推せん者の責任も
 
 児童雑誌の中の二、三には、大学教授などの推せん文がのっている。ひどく抽象的な推せん文だが、おそらく具体的に内容を検討した上での推せんではあるまい。児童雑誌をここまでに低俗化させてしまった責任は、こういう大学教授の態度にみられる大人たち、教育界全般の、無関心さにもあったことを、商業主義を責める前にもう一度反省してほしい。
 
漫画でない漫画
量も多いが内容がひどい
 
 まずマンガが本誌(ふろくは別として)総頁中のどの位の量を占めているかは左表の通りである。(いずれも五月号)マンガ専門誌とうたっている『漫画少年』は別としても、多いのになると『二年ブック』五五・四%、『三年ブック』四四%、『一年ブック』四二・三%がマンガ頁となっており、(最も少ない『少女サロン』が一一・七%)児童雑誌全体で平均をとると、マンガ頁が全誌面の二割以上を占め(四月号は二五%)各誌平均一〇篇のマンガが入っていることになる。
 
育てよう良いマンガ
 
 しかしマンガで問題になるのは今の場合量よりも内容だ。(量が多いことは必然的に作家の乱作という結果を招く訳だが=別項参照)。例えば大部分がマンガの『漫画少年』(学童社)には、残虐・殺人・闘争ものはほとんど見あたらないし、読者のマンガ投稿の頁も豊富でいいものを集めており、何でもマンガ物語にしてしまう近頃の傾向を廃して読者と共に健全な、おもしろいマンガを育てようと努力しているのは注目していいことだ。
 マンガという形式そのものは、元来排撃すべきものではなく、むしろ視覚教育の点からもっと有効に使われていいはずのものだが、現在児童雑誌にみられるマンガはマンガの良いところをまるで失っている。マンガの特長である“誇張”を悪用して、極端な破壊・暴力を痛快にすりかえていること、絵物語と同じように熱血・闘争もの、時代ものが圧倒的であること、どんな物語もたちまちマンガ化されているなど、今やマンガ本来の面白さとは全くかけはなれた低級なマンガがはんらんしている。
 
考える力を奪う
 
 マンガで、絵の側に説明・会話が書いてある形式は、ほとんどなくなり、みんな“吹き出し”(絵の中の人物が吹き出している形式)になっている。その方が苦労なしに読めるからだが、これと一しょにあげられるのは、マンガ絵に説明の擬音が多いことだ。キセルでたばこをすっている画面には「プカリ」という語、ころんだ絵には必ず「ステン」しょげた態度として「シオシオ」にらみ合った二人の視線がぶつかり、星が出て「カチッ」馬がはしっていれば「パカパカ」矢がとべば「ヒョーッ」ひきずっていけば「ズルズル」投げた弾があたれば「ボーン」当てられた方は「ぶあ」切りあいや格闘の場では必ず「やー」「トーッ」「タッ!」
 これはもちろん絵のまずさを補うものでもあるが、こうして何一つ考えずに安易に読めるマンガばかり見ている子どもたちに説明のない絵をみて理解する力、考える力が養われるはずはない。事実、サイレント・マンガ「クリちゃん」の面白さを理解できるのは五、六年生でも少いという。
 
貧困さをごまかす
 
 さし絵、マンガに盛んにみられるクローズアップは、やはり物語の盛り上りではなく、絵のものすごさで内容の貧困を補おうとするものだといえる。クローズアップのほかにも、マンガには映画の手法-カメラアングルやカットバックが盛んにとりいれられている。
 絵の問題ではほかにもある。一般にあくどい色彩、顔をそむけたくなるグロテスクな絵が多いことはすでにのべたが、アメリカ通信社との特約で、原色のひどい絵の闘争ものをのせているのがある。(『漫画王』『太陽少年』)アメリカの子どもたちがこれらの読みもののために、どんなに害われているかは、アメリカでも問題になっている時、“特約”“提供”と得意げにひどいものを輸入してもらいたくないものだ。現に輸入もののまねとみられる類の絵が一番ひどい。ピストル・殺人の原色絵を外国から買うより、こちらのいいものを育てる努力こそ必要ではないだろうか。
 
怖るべき時代マンガ
 
 マンガの中、時代ものの占める量は相当なものだが、特にマンガの場合は、時代ものといっても服装や道具だての一部だけがチョンマゲ時代で、ほとんどがパチンコ屋を登場させたり、城を出て行くさむらいが電気アイロンやラジオをかついでいたり、空にはロケットが飛んでいたり、トニー谷が一しょに槍持ちと歩いていたり----そういう時代ものでも現代でもない“無時代もの”だ。家康とか、秀吉とか、歴史上の人物が登場するものがたまにあっても、ただ筋を進行させる道具として登場させているだけで、史実とは何の関係もない。
 例えば、まぼろし城に家康がのりこんで、まぼろし党を味方にし、白頭巾が活躍する。大阪方は何もしらない。「天下をねらう家康の魔手はのびる----パチンコ姫、よわいのすけのかつやくは?」という具合である--『痛快ブック』四月号「パチンコ姫」若月てつ--
 トニー調や、パチンコなどで時代ものマンガも、まるで現代の感覚だし、スムースに子どもの中に入るだけに、子どもたちはチョンマゲを現代のものとしてうけとっている。西部劇に出てくることが現在もあるのだと思っている子どももたくさんいるというから、あまりにふざけた時代マンガの洪水にはバカにできないものがある。
 
名作マンガの弊害
 
たけくらべ」「家なき子」「二十四の瞳」「ああ無情」など多くの名作が、マンガになっている。ある名作マンガ「家なき子」の一こまに、母を探し歩いている子どもが街角でバナナの皮にすべってステンところぶ場面があったところ、「『家なき子』のお話を知っていますか?」という先生の問に「ああ、バナナをふんでステンところぶお話でしょう」と答えた子どもがいるという。
「名作マンガ」については、それを糸口に子どもが名作に親しんで行くというのが出版者のいい分だが、あまりに末梢的な部分のみ印象的にした名作マンガから、どれだけ原作に近いものを受けとれるか疑問だし、事実、一度、マンガで名作に接した子どもたちは、長い作品にとり組む意欲をなくし、あの話はもう知っているといって、リライトされたものでさえ読もうとしないのが大部分である。父兄はまた名作ものならば有害なものとは認めず安心して与えているのだから、安易な名作のマンガ化は考えてほしい問題だ。
 
ふまじめな生活態度
荒唐無稽・非科学性はザラ
 
 荒唐無稽、非科学的な箇所もかなりある。例えば、アメリカのフォード会社製のどれい型ロボットが、若がえりのガスをぬすみに工場へ侵入したり、薬をのんだサルが、往来でローラーをさしあげてなげたり、原子薬Bをのんだ類人猿まがいの原子男が出てきたり、ガマが胃袋を出して洗ったり、目をつぶされた浮寝丸がネコの目を入れたら夜でもみえたり、----こういう類は無数にある。
『少年』連載「少年ザンバ」(阿部和助・四月号では別冊ふろく)はアマゾンにすむ日本の少年がビラモン山にあるインカ神殿にどれいとなっている。そしてそこに出てくる動物はみんな中生代のものだが、これだけ道具だてがそろっていると、本当にアマゾンにおこっていることと思いこむおそれもある。
 現に東南アジア、アフリカ諸国に対する認識は“未開地一般”というものでしかない児童が多いのは「少年ザンバ」に類する読みものからの知識によっているのだ。
 猛獣密林もの、空想科学・冒険ものに多い無国籍ものも、子どもの日本と外国に対する正しい認識をさまたげている。
 
ふざけた生活意識
 
 ふまじめな生活態度は至るところにみられるが、『小学五年生』四月号「パピプペポちゃん」(入江しげる)では、五年生になった女の子が「かおりたかきロマンチックな本」を読もうと志し、「クラスのあこがれのまと」になることをめざす。「もう弟などとはあそべないのエヘン」という古い年齢意識をひけらかし「おしとやかに」なろうと気どって歩く。オセンチな詩をかく。そして制服をきて髪をおさげにすることをもって女学生(作者は女学生という今やふるめかしいことばをつかっている)の理想としているかのごとく感じさせる場面を出し、ひとに笑われて「まるで悲劇の主人公みたい」となげく。「やさしくなぐさめてくれるおねえさまがほしい」という。こういうたぐいのものは少女ものにかなりある。何ともなげかわしい生活態度が多すぎるのは、みのがせない問題だ。
 このほか、貧乏な主人公が、じみちに働いてお金を手に入れようとはしないで、賞金をあてにして拳闘に出、もらったお金であわれな子どもを救う話、家が貧乏だからスターになってお金持になる話も多い。
 買収されて客にしびれ薬をのませた茶屋の娘は、小判をもらって「オッホッホ ちょいとやって小判が一枚か、わるくないわね」といっている。----『痛快ブック』五月号「鬼面山谷五郎」(武内つなよし)----
 強くなる薬をのんで柔道や拳闘の試合に勝ったり、試合場の下から釘をうち、それで相手をひるまして「チャンスざんすね」とうちこむ「トニー谷の拳闘王」などフェアでない態度も沢山みられる。
 児童雑誌の中に正業にたずさわっている人間、現実の生活の中で生活している人間を見出すことはまず無い。
 少女ものに見られる“あこがれのお姉さま”式の、上級生との関係は、中学が義務教育となり、大部分が共学の現在、まさに、少女雑誌のためにだけある感がある。
 共学の中学が舞台になっているマンガが少なく“女学生”が沢山登場するのは、現実生活に根をもっていないマンガの姿をよく示している。
 
ここにもトニー調
逆行する「ことば」の問題
 
「ことば」の問題では、まずヤクザ言葉、トニー谷調の言葉が、あまりにひどくとり入れられていることと、それにもからまるが、問題をまともに考えることをさせないで、事実からそむけさせるような言葉のもてあそびが多くみられることが指摘できる。
「フン 大きな口をきくじゃねえか、だれだ、てめえは」「こどもあいてにドスをぬくようなチンピラどもに名のるひつようはないようだな」「フフフ 松、手をひくんならいまだぞ」----『痛快ブック』連載マンガ「パンチくん」(福田福助)----「おーい、みんな手をかせ、玉が逃げたぞう」「ほざきやがるな」----『野球少年』連載小説「ぼくらは負けない」(田村泰次郎)----
「げんこつ和尚」(夢野凡天『野球少年』)という時代もの連載マンガにはトニー谷が登場する。志水港をおとずれたげんこつ和尚と槍持とトニーは、次郎長のところでマンガ家にあう----「先生、あっしもわすれちゃいやザンス」。先生は同誌連載マンガ「森の石松」をかくのでいそがしい、じゃまにならぬよう帰れと言われて、
「おやまかちょいちょいゆであずき」「だんなあすこの宿へとまるこそよけれけれ」「ここが石松のうまれた家ざんしてね」「アチャ」。
 トニー谷は登場しなくてもトニー調は盛んに使われている。例えば
「やつを買収することはできんか」「おだめざんすね、アトムはあれでしっかりしていますからねえ」----『少年』連載マンガ「鉄腕アトム手塚治虫)----
 しかし一番ひどいのはやはり『少年画報』四月号別冊ふろく「トニー谷の拳闘王」(前谷惟光)だろう。これはザンス調だけでなく他にも沢山の問題をもっている。拳闘でフラフラになっているのに「つらいざんすね……ホホホ、だいじょうび。」投げられて塀を突き破って頭から出てきたトニーは、まだ止まらないまま「おこんばんわ----ここはどこざんす」といった調子。
 
新語・珍語ぞくぞく
 
『小学四年生』四月号別冊ふろく「松山たぬき合戦」(えとう・ふみお)の中では、税金にあえぐ民家のやせた子どもの一人が言う。「あさおかゆ、ひるもかゆ、ばんもかゆ、それであたしはやせたのかゆ?」
 驚くことにぶつかっても、おどろいている人間のセリフは「ヒャーツなんじゃらほい」とか「アジャア」とか「おどろきもものきさんしょのき」といった式である。「ござりやす」「おそかりしか」「あじゃ」「フギャーざんねん!」というようなものも実に多い。
 このほか『野球少年』五月号の「風の弥太郎」(竹内つなよし)には葡萄の新しい技として「たつまきなげ」という語を、『少年』五月号「ダルマくん」(田中正雄)では「つじなげ」という語を作っている(つじなげというのは明治時代の柔術がよくやった柔道のつじぎりのようなものだと説明している)。
「かくてちちうえは、ひごうのさいごを…」「ジュン真ヒゾク」というような今の子どもには解らないような古い言葉も(しかもカナ書きにして)見うけられる。
 人間の解放は言葉の解放とともにあるという線で、戦後の教育は素朴な感動を言葉にすることに力をそそいできたはずなのに、一方こういう言葉遣いが雑誌の中にはんらんしているのでは情けない。
 
影響は現れている
 
 こうした言葉の影響は、読者のページや、連載ものに寄せられた子どもの投書に、さかんに現われている。
「『花いつの日に』を読むたびにかなしくなってないちゃうんだけどやめられないわ」
「二月号のふろくの“人気スター劇場”よかったわ。大好きな中村の錦ちゃんや東のおにいちゃまが沢山出ているんですもの。一ぺんでいいから錦ちゃんにだいてもらいたいナー。アジャーネ(エヘヘ……)」----『少女の友』四月号より----
「ぼくは、まぼろし天狗が大好きです。悪人をやっつけるあのかつやくぶりはすごいですね。」
「ぼくは柔道三段で黒帯です。『一二の三太』がんばれ!!」
「百太郎がんばれ!うしお先生がんばれ!漫画王もがんばれ!」----『漫画王』五月号より----
 
付録は“別冊”の全盛
 
 児童雑誌というとすぐ「ふろく」が問題とされるが、ひところ騒がれた金属性のデタラメな玩具などはさすがに(鉄道輸送制限などのためもあって)影をひそめ、それに代って「別冊」全盛時代となった。二九誌のふろく数の合計と、そのうち別冊の占める数は次の通り。
     ふろく  別冊
四月号……九一点……五一冊
五月号……八八点……五〇冊
「ふろく」すなわち「別冊」である。一誌あたり三-四点のふろくをつけるのが普通だ。(ただし例外として『漫画少年』の如く皆無のものもある)。
 ここで見逃すことのできないのは、子供たちがなぜ「ふろく」に惹かれるか、ということだ。第一に別冊ふろくには驚くほど立派なもの(外見)がある。例えば『ぼくら』の長編漫画「川上選手物語」『なかよし』の名作まんが物語「牧場の少女」『少年クラブ』の怪獣映画絵物語ゴジラの逆襲」『少女クラブ』の世界名作「家なき子」(以上全部五月号)など、すべて堅表紙で単行本なら市価一〇〇円はするほどのシロモノだ。これが“本誌つき”で一〇〇円前後で買えるのだからたしかに安い。だから子どもたちの間で別冊ふろくの売買が行われるという事態を生じてくるわけである。
 
罪ふかい玩具フロク
 
「ふろく」には別冊以外にどんな種類のものがあるか----。
 ブローチ、スター・ブロマイド、時間表、壁かけ、カード、きりぬき、双眼鏡、組立カメラ、紙かばん、ボール紙製ピストル、忍術巻物、マンガ巻物、シネラマ・ブック、三色ノート、がくぶち、ボール紙製モデル・ピアノ…。
 といったぐあい。題名だけだと一寸したものに思えるが、手にとって見るとガッカリするようなものばかりだ。組立式のものは、大てい“出来ない工作”ものであり、全く駄菓子屋のオマケと変らないといわれても仕方のないような“子どもダマシ”ものが大部分だ。
 表面だけを飾りたてた〈イミテイション文化の象徴〉ものを、粗略にあつかう習性を子どもに植えつけてゆく、という悪い影響も考えられる。一、二度使うと壊れてしまうような安手な玩具などは最も非教育的で、メンコや忍術巻物などよりも、かえって罪がふかいともいえよう。
 
学習フロクにも問題
 
 学習的なふろくにしても、その意図は一応わかるが、それらを検討してみると色々問題がある。特に社会科ものについては次のような点が指摘できる。
1・逆コース的な社会科の主張にいちはやく便乗し、子どもにものしりになることが社会科の学習だと考えさすようなものを作ったり(地理・歴史のダイジェストもの) 2・誤れる現状肯定の社会解説をしたり 3・古い資料を平気でのせたり 4・まちがった統計表をのせたり 5・不正確な地図やグラフを粗製したりしているものがほとんどである。ことにこれに○○大学や国立付属の先生が執筆(?)しているのが大問題である。
 いずれにしても、これだけの努力と資材を本誌にまわして、本誌自体を立派なものにしてほしいという意見は正しい、という結論にならざるをえない。
 
マンガ頁の占める割合
各誌とも五月号(「漫画少年」を除く)
 

誌名 総頁数 マンガ頁 篇数 総頁数とマンガ頁との%
一年ブック 78 38 8 42.3
二年ブック 148 82 17 55.5
三年ブック 182 80 19 44.0
小学一年生 128 23 4 18.0
小学二年生 182 30 6 16.5
小学三年生 252 57 7 22.6
小学四年生 296 51 10 17.2
小学五年生 338 63 8 18.6
小学六年生 346 49 8 14.2
幼年クラブ 202 56 10 27.7
ぼくら 224 49 11 21.9
なかよし 220 46 8 20.9
少年 250 65 26 26.0
少女 248 40 11 16.1
おもしろブック 256 56 12 22.7
冒険王 234 55 9 23.5
野球少年 220 38 9 17.3
漫画王 218 65 15 29.8
少年画報 254 50 9 19.7
痛快ブック 216 49 11 22.7
太陽少年 200 34 6 17.0
少年クラブ 350 71 12 20.3
少女クラブ 278 54 11 19.4
少女の友 272 42 7 15.4
少女サロン 274 32 6 11.7
少女ブック 246 46 11 18.7
女学生の友 306 39 6 12.7
中学生の友 340 43 5 12.6

『パチンコ姫』『少年ザンバ』『トニー谷の拳闘王』ちょっと読みたいです。しかしトニー谷、当時はそんなに人気あったのか。
 このあたりの『鉄腕アトム』というと、「1955/02-1955/09 若返りガスの巻(原題:生きている隕石の巻)」かな?
 アメリカで低俗児童文化を思想的に批判したテキストとして、手塚治虫が挙げているものに、A・E・カーン『死のゲーム』というのがあるんですが…。
 なんと、元テキスト(英語)全文が以下のところで読めます。
Shunpiking History WAR ON THE MIND ALBERT E KAHN, The Game of Death.
 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

日本読書新聞1955年4月4日の記事「児童雑誌の実態 その二」(少女系雑誌)

 悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
 日本読書新聞1955年4月4日より。
 前のテキストはこちら。
日本読書新聞1955年3月21日の記事「児童雑誌の実態 その一 お母さんも手にとってごらん下さい」

児童雑誌の実態 その二
 
 児童雑誌の実態・その一(漫画・闘争・戦争もの)=三月二十一日号=に続いて、今回は“少女もの”に焦点をあててみる。少女雑誌『少女』に例をとると、全二五四頁のうち、人気スターを扱ったものが六五頁、少女おセンチものが六九頁を占めている。すなわち少女雑誌は人気スターの記事とおセンチで全体の約半分がうずまっているわけだ。そこで、これらの雑誌が人気スターをどう扱っているか、少女小説はどんな内容なのか、さらにそれが読者である子どもや少女にどんな影響をあたえるかを分析してみた。今回対象とした雑誌は、少女ブック(集英社)なかよし(講談社)少女(光文社)少女の友(実業之日本社)少女クラブ(講談社)少女サロン(偕成社)の六誌である。
 この記事は、本誌学校図書館欄担当の各氏、本誌編集長の共同作業に基づいて樋口太郎氏(解読不能)がまとめた。
 
ずらりと少女歌手 かくて作られるミーハー族
 
 大半の表紙が、赤をバックに、けばけばしい色彩で、少女歌手のバストを出す。これらの少女歌手は、各誌共、内容として約二十頁にわたりグラビヤにも使われる。その度合いはざっと別表の通りである。
 その扱われ方をみよう。『少女クラブ』では「百年後の学校」「つよいぞフェンシング」「義太夫一日入門」、『少女サロン』では「私の春のスタイル」「ひばりの桃太郎」、『少女の友』では「もしも童謡内閣が生れたら」、『少女ブック』では「お花見珍道中」「巡礼おどり」、『なかよし』では「さいたさいた=舞妓」「こんな学校見たことない」「これはびっくり=商店がスポンサーのページ」等。
 これらはすべて、少女歌手が本来の歌をのけものにして、珍妙な、娘義太夫、巡礼、舞妓などになったり、はめを外した馬鹿さわぎの様を表わしたものである。
 義太夫、巡礼、舞妓などを美化している----『なかよし』の「なつかしの舞扇」----こと自体、問題であるが、これにおどらされる少女歌手自身、もしこれで得々としているなら、彼女らは、すでに心の健康を失った人間のいたましい形骸であり、これを敢てする出版社および成人の、人間侮じょくと搾取はにくみてもあまりある。
『なかよし』の佐伯千秋「花うつくしく」は「とつぜん映画スターになった市川和子さんのかなしく美しい」スター物語。これによると「あたし、試験をうけたい」という勉強への切なる願いは「じぶんでやろうと思ったことは、やりぬかなければいけません」という母によって、「手にトランクをもたせ」られ、ロケにおし出されて、はなはだ暗示的だ。
 しかし、これらの写真をみた読者の多くは、ノド自慢に出て、あわよくば……というはかない望みをいだき、さらにその服装をまねて、一歩でも近づきたいと望む。同時に、どうせ私なんかという劣等感をもっているものも多いことは見のがしえない事実である。
 そんな心理に対しては、愛読者代表として、これらのスターに接し得る機会を抜目なく与えている----「こんにちは八千草さん」(少女クラブ)「わあうれしい」(少女)など。「モシモシ鰐淵晴子さんですか」(少女)の記事もその例に洩れない。
 ちょっと趣向を変えると、小説の主人公をテーマにして“ミス・さつきさん”を六八七名の応募者中から選抜して発表する手などもある(『少女の友』)。いったい「さつきさん」(梅田晴夫)とはどんな生態をもつのだろうか
 中学三年、エトワール女学院の人気もの、おてんばで、おひめさま気取り、夏、海で知りあった、アルバイト学生を従者の如くしたがえる。パパとママが「おけいこごとでもさせてみよう」と悲願を立てる。ママにつかえるパパは娘(さつき)にむかっても「君は、やって見るキモチがあるかどうか」というふうにオドオドたのむ。娘は「あたし、やって見てあげる」と答える。ブルジョアの浪費娘が完全に肯定的な形で、スターとして描かれているのである。その“ミス・さつきさん”なのだ。
『平凡』『明星』に通じる、これら少女雑誌のスター登場は、とにかくスターを出せば事足りるので、内容はどうでもいいのである。だから、マンガに顔だけ人気子役の首を写真ですげかえたグロものが登場したり(『少女』)マメ写真とマンガと抱き合わせたりする。ミーハー族の映画観は、こうして作られていく。次のような、小説の主人公のスター見立てもある。
「わたし、配役をきめてみました、王女ナスカ鰐淵晴子、白ゆり少女のさゆり近藤圭子……」(『なかよし』投書らん)編集部が答えて「きっと、すばらしい映画になるわ、みなさんにつたえておくわね」
 
少女小説は類型化 期待の押売りする虐待小説
 
 連載少女小説・小糸のぶ「花いつの日に」(少女クラブ)で、主人公梅原ゆかりのたずねる東京の母と、事故死した父とのいきさつは、明らかでない。読者の子どもたちは「そんなこと、どうだっていいのよ」という。育ての母の、育てた理由も同様。その養母が、ゆかりを助ける少年秀夫の継母として登場するいきさつ、理由も問題でない。要するに、「先生、はやくしあわせにしてやってください。わたし、かわいそうで、なみだが出ました(千葉市、O子)(『なかよし』)なのである。
「花いつの日に」は、善意の人が多く登場するのだが、主人公自身が、つまらない、あさはかな考えで、自ら、不幸を求めるような形をとる。一方、ねたみ、ひがみ、あるいは何という理由なしに、主人公を虐待するものが出る。自虐、他虐、少女小説は虐待小説である。そして、小説の最後には、本文よりも涙をさそい、心わかせることばを羅列して、期待の押売りをする。
『なかよし』の連載マンガ「白雪小僧」に「白雪小僧って錦之介さんに似てるわね」(近藤圭子)とあるのが事実なら、何十万かの愛読者を代表する一つのタイプがまさに逆襲(?)男子だと見てもいいだろう。少女スターたちを身ぐるみはいで、なお骨のずいまで利用し尽くす商魂のたくましさも然ることながら、完全にそのとりこになっている哀れむべき少女たちヒューマニストならずとも、リツ然とせざるを得ない。
 
馬鹿な子に仕立てる
 
 少女小説の一つの型に“瓜二つもの”----「ナスビ女王」「星はゆれるよ」と“双生児もの”----小旗風彦「花の輪にいのる」大林清「あかい花、しろい花」(四つとも同一誌=『少女』=にあるとは?)がある。
 双生児ものは、必ず姉妹が順々にしかも、富貴にわかれて、金持の方が虐待されるということになるらしい。西本妙子「ふたつの花」(なかよし)は、一方は金持ちの美女になり、他方は似顔画家として生活する。「神さま、秋ちゃんをお守りください!! あたしたちをあわせてくださいませ」と、事情をきかされた金持ちの養女はかく祈る。これが「かなしい写真物語」なのだが、こんなものは警察へたのめばすぐ見つかるはず
 このように、ちょっと考えれば読者のだれでもが気づくものを、写真・挿画・ことばの魔術にひっかけてハラハラさせる。つまり、読者を考えさせまい、類型的な感情だけに訴えよう、バカな子どもに仕立てようというのが少女小説・雑誌のミソなのだ。
 北条誠「星も泣いてる」(少女の友)杉本苑子「涙のアルバム」(少女サロン)二反長半「虹よほのかに」(少女クラブ)同「母を呼ぶ鳥」(なかよし)大林清「星に誓いし」(少女の友)同「涙の母子鳥」(少女サロン)等の題名、あるいは主人公の名----感傷に震えること専門の感がある。それを具象化したのが挿画だ。
 
無性格な少女の画
 
 口が二つも入りそうなデカい目、三白眼、そして、ほほのあたり、胸の前にウロチョロと、不安、あこがれ等を表すような、病的な手があしらわれる。画家は変っても、その無性格ながは、みんな同じだ。人物のアクセサリーで、かろうじて見分けられる程度。ある読者はいみじくもいう。「みんな同じ形になっちゃうから、いろいろ手を」あしらったのだと。
 この挿画の影響はばかにならない。学芸会で早速、そのポーズが利用されているからである。
 現にこれらを愛読している子どもが、卒業式の練習に涙をあふれさせ、他人の卒業に、率先して号泣したという実例があった(東京下町の某小学校)。あらたかな現示である。そして、身にふりかかる問題には、すべてお手あげの形となる。いたずらな涙腺刺激の反射が急になるだけだ。これでは、人生の真実は見きわめられない。いや、人生からの逃避、思い余れば家出し、よいおばさんの出現をユメ見たり、あるいは自殺にまで、という傾向に走らせる危険性もないとはいえまい。
 
処世観をゆがめる
 
 少女小説には、また一つの型がある。“母の秘密”をテーマにするものだ。北条誠「星も泣いてる」(少女の友)富沢有為男「山のさっちゃん」(少女クラブ)大庭さち子「白ゆり少女」(なかよし)などがそれ。
 これらは恋愛の取扱いにつながる大きな問題である。
 青年の恋愛を戯画的にとり入れた「春のマンガ劇場」、先生の恋愛をからませた野呂新平「聖しろバラ女学校の鐘」(ともに『少女』)などはあくまでも恋愛を皮相的に、むしろ大人の眼で、一は皮肉に、一は表面的にとり入れているのだが、こうした大人の世界へのチン入は、「アンミツ姫」以下いくらもある。このようなものは、子どもにとって、人生の真剣な問題を皮相的にかいま見させ、ゆがんだ処世観を与える結果になる以外の何ものでもない。『少女の友』のストーリー解説では、「マイラも夜の女の群に加わって」いった時に、ロイに再会する。「後悔のおもい」「ロイを愛すればこそ、自分の過去がゆるせ」ない。そして死。----という中で、読者の少女に、どこをわからせようというのであろうか。
 
ほしい生活的な面
 
 また、人気歌手を登場させた「のんき裁判」(なかよし)「わたしたちは女代議士」(少女)など、裁判官の権力的ことば遣い、国会乱闘のマネなどさせてみたり、その態度たるや、今日、討論や社会科学習の進んでいる学校からみれば、愚にもつかないナンセンスで、子どもも笑うに笑えない現状だ。そればかりではない、これらは、真面目に考えさせるべき、社会機構なり、成人の世界をチャカしてみるくせをつける恐るべき教材でもある。
 雑誌が、真に子どものためを思い、読者のプラスになるように考えられているならば、それは、子どもが現実に生きることの支えにならなくてはなるまい。
「グチ日記を読んでいて思わず涙が出ることがあるの。おかあさんがいないときは、かならずグチ日記を読むの。同じところを、何回くりかえして読んだかわからないのよ。…福井県、○子より」これは『少女』の「私のグチ日記」(森いたる)によせられた読者の手記である。少なくも、ここには現実の生活にいくらかの支えをはたしていることが語られている。それではこの「私のグチ日記」とはどのようなものであろうか。
 日記体の女の中に、毎日のありふれた生活がえがかれ、周囲の人々とのからみあいにおこる、わずかなグチを、ユーモラスに書いたものだ。
 ここではグチとなってはいるが、それは一つの自己主張であり、幾分でも生活的な面をもつとすれば、正しく読者はくり返し読むこともありうるだろう。他に代るような生活的読物がないからだ。子どもはあくまで健康な芽をもっているのだ。これをのばすことが出版社の重大な責務であり、ここに誌面革新の一つのメドを見出してもらいたいものと切に願う。
 子どもの健康な生きる力を、くさった成人の固定概念のわくの中にしばりつけようとすることなく、のびのびと健康なユメをもたせるように切りかえてもらえるのはいつの日のことだろうか。官僚統制のきざしはすでにあらわれている。こうした反動の動きに乗ぜられることのないよう、子どもの文化史の中に光りかがやく雑誌を作るように重ねて祈ること切である。
 
お願い
 
「児童雑誌の実態」の次回は“マンガ”と“コトバ”の点について分析いたします(四月十八日号の予定)。さらに、それにひきつづき、これらの児童雑誌からいかに子どもを守ったらよいか、また児童雑誌はどうあらねばならないか、などの対策を考えて見たいと思います。
 そこで、子どもたちに「こういうように導きながら児童雑誌を読ませている」というような実例、または「このように導いてゆきたい」という意見がありましたら、お寄せ下さい。そのほか、子どもたちが児童雑誌の「どういう点に興味をもち、どういう反応や希望を示しているか」などの調査があれば、その資料を提供していただきたいと存じます。(日本読書新聞編集部=東京都文京区小日向水道町六)
 

歌手・誌名 少女ブック なかよし 少女 少女の友 少女クラブ 少女サロン
松島トモ子 4 4 5 1 4 1 19
近藤 圭子 2 2 4 2 1 2 13
上田みゆき 3 2 1 0 2 3 11
小鳩くるみ 1 3 2 1 2 1 10
伴 久美子 1 1 1 1 1 4 9
古賀さと子 1 1 2 1 1 2 8
鰐淵 晴子 1 3 2 0 1 1 8
安田 祥子 1 2 3 1 0 1 8
岩田佐智子 1 1 3 0 1 0 6
美空ひばり 0 2 2 0 0 1 5
畑中香代子 1 1 2 0 1 0 5
島野世紀子 2 0 2 1 0 0 5
佐藤 茂美 1 1 1 0 0 2 5
田端 典子 1 1 0 1 1 0 4
川田 孝子 0 2 1 1 0 0 4
白鳥みづえ 1 1 2 0 0 0 4
21 27 33 10 15 18 134

 
各誌四月号、大人以上のコミで出ているものを除く

 いろいろものすごく読みたいけれど、どれも今では難しいようです。
 しかし、批判のポイントがなんかズレてて妙な感じです。
 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

マンガの神様=手塚治虫の起源

 多分これじゃないかと思う。週刊朝日1964年2月21日号の開高健のテキスト。誤字とか読み間違いはお許しください。
 連載ルポルタージュ「ずばり東京」の21回目。
 現在読める(書籍化されている)『ずばり東京』(光文社文庫版)には入ってない。多分「東京」ネタじゃないんで外したんですかね? 他にも書籍化・再編集の段階で何本か抜かされたりしていると思うけど、いちいち調べるのは面倒くさい。
 ちなみに、この時代の編集長は、10年前に手塚治虫を取材した足田輝一さんだったみたいです。手塚治虫の漫画作中でもかなりひどい顔に描かれてます。

マンガの神様・手塚治虫
大人がすでに忘れた言葉で
子供たちに答えてくれる男
開高健
 
 ここ一週間ほど、私は毎日マンガ本ばかり読んでいた。傑作も駄作もおかまいなく、手あたり次第に読んだ。机や寝床のまわりに散らばっているのを積みあげてみると七十四冊になった。そのうち手塚治虫さんのだけでも二十六冊ある。
 おかげで仕事らしい仕事はなにも手がつかず、頭がすこしボワッとなった。おでん屋で人を待つあいだも徳利にマンガ本をたてかけて読んでいた。あまり夢中だったので、いくらか気味わるがられたらしく、
「お酒おくれ」
 というと、
「いいんですか、お客さん」
 おっさんがこちらの眼をしげしげとのぞきこむようにするので、薄弱者と思われかけている*1のがわかった。私はだまって千エン札を徳利のあいだにおき、おっさんを安心させておいて、マンガを読みつづけた。
 忍者物、家庭物、宇宙物、少女物、チャンバラ物、野球物、柔道物、戦記物、西部物、ギャング物、三国志物、戦国物、ありったけ読んでみたが、九〇%までが愚作、駄作、凡作、劣作であった。読後の感触はおびただしい浪費感と、ぬれたボロ雑巾で顔を逆撫でされたような気持だった。絵具と擬音調のぬかるみに首までつかったような気がした。ガーッ。ダダダダッ。ギャアオッ。ハッ。トウッ。ドカン。ギュウ。ボイーン。ピシッ。ヒャアッ。ズズズズズウン。ヒタヒタ。BANG! BOON! ムギュ。ウーッ……。
 
読者にツメアトは残さない
 
 大人の世界で流行したものが半年おくれて子供の世界で流行するのだそうだ。かならずそうなるという。柴田錬三郎五味康祐の剣豪小説がヒットしてから『赤胴鈴之助』がヒットした。『ララミー牧場』があってから西部物が流行した。プロレスがあたってからイガグリ君が登場した。宇宙物がしばらく不振の時期があったがガガーリンで浮きあがった。子供マンガの作者は週刊誌をよく読んでなにが流行しているかを観察し、半年さきを目あてに作品を準備するようにしたら、だいたいまちがいがないとのこと。そして一つの流行は三年を周期として回転しているという。(文壇では十年周期説になっている)
 パルプ週刊誌が身のほども知らぬおごそかな口調でしきりに劣悪マンガの流行に警告を発している*2が、自分を切ることをとんと忘却つかまつっているので、お子様にバカにされるだけである。目苦素が鼻苦素を笑うという図ではないかと思う。私はもともとマンガ無害論者である。子供は吸収力が速いのとおなじ程度に排泄力も速い。忘れっぽい。弾力性に富んで新陳代謝がはげしい。劣悪マンガにひっかかってクヨクヨ考えこむのは、たいてい大脳皮質が象皮病になりかけた大人だけである。
 御多分に漏れず私もマンガでうつつをぬかした。のらくろ冒険ダン吉。タンクタンクロー。仔グマのころ助*3。団子串助。蛸の八ちゃん。長靴三銃士。夜も昼もなく読みふけりアメ玉やメンコ(大阪では“ペッタン”といった)と交換に友達を口説きおとすのに苦心工夫をこらしたのである。けれど、現在、私の内部にそれら愛すべき空想と行動と哀愁の小英雄たちがどれくらい影をおとしていることだろうか。
 むしろマンガの影響がのこらないということをこそ嘆きたいようなものである。子供マンガの影響が大人になってものこるくらい澄明な社会でこそマンガの善悪についての議論が空論でなくなるだろうが、現代日本ではほとんどとるに足らないことではないかと思うのである。よいマンガもわるいマンガとおなじように泡となって消えてゆくのだから、困るのではないか。どの国どの時代でもマンガは一種の“時代の歌”とでもいうべきものであろう。傑作であれ劣作であれ、読者にはほとんど爪跡や後遺症というものをマンガはのこさない。とどのつまりマンガは作者の血と汗にもかかわらず“読みすて”られる。
 東京を震源地とする劣悪マンガの大津波に日本の子供は砕かれ、流されてしまっただろうか。パルプ週刊誌や象皮病教育家たちのおごそかな糾弾にもかかわらず、ここに一人、手塚治虫さんは十数年間たえず選ばれつづけた神様であった。無数のけたたましい泡の群れのなかで、彼は消えることがなかった。つねに求められ、選ばれ投票されつづけてきた。この事実が、なによりも雄弁に子供の軽薄きわまる嗜好の変化のうらにひめられた鑑賞力と識別力の鋭敏さを語っているように、私には思えるのである。
 
つねに一貫した主題
 
 子供マンガの人気の消長というものは大人の文壇や画壇や学界とちがって、作者の資質と実力だけがモノをいう世界であるらしい。むきだしギリギリに純粋で冷酷であることは勝負師やスポーツ選手と同じである。おつきあい、先輩後輩、義理人情、出版者に対する思惑、仲間ぼめ、肚芸、打算、挨拶、文士劇、ゴマすりなど、にやにや脂ぎって酒臭くヤニ臭い、あるいはキラキラと澄んで速くうごく利口な眼ざし、博学、同情、気まぐれの暗示など、なにひとつとして通用しない。たった一つのキメ手は子供が買うか買わないかということ。それだけで決せられる。目もなく耳もない、多頭多足の子供大衆という怪物が相手なのである。猥雑で、軽薄で、冷酷でまったく自由であり、鋭敏である怪物である。それを相手に十六年間たえず首位を占めつづけてきた手塚さんの何十万枚という努力は私などには異様なものに感じられる。“天才”というほかないのではないか。(『ジャングル大帝』七巻だけでもじつに十六万枚になるのである!……*4
 彼の作品を二十六冊もまとめて読むのは、はじめてのことであった。子供が友達から借りてきたものや床屋や医者の待合室などにころがっているものなどをちょいちょい盗み読みしておぼろげに楽しいものだと思って感心していたのだったが、今度通読してみて、あらためて感嘆させられた。そしてまた、ほかの無数のマンガと読みくらべてみて、どれだけ彼が傑出した人であるかということもよくわかった。
ジャングル大帝』、『Oマン』、『ロック冒険記』、『ナンバー7』、『宇宙空港』、『白骨船長』、『狂った国境』、『おれは猿飛だ』、『鉄腕アトム』、そのほか、いくつとなく彼の長編を読んでみると主題がつねに一貫していることに私は気がつく。
 それは、ひとことでいえば“対立”である。強国と強国、強民族と強民族、人間と機械、文明と文化、原始と現代、機構と個人、空間と時間、人口と面積、理想と現実、科学と道徳、父と子、すべてのものがそれぞれの衝動において局部肥大して対立しあい、抗争しあう。核実験競争や国境紛争やクーデターや資本の謀略や陰謀者同士の内部分裂や人種偏見や未来時代の楢山*5官僚主義独裁制奴隷制や植民地収奪などがさまざまのイメージを変えつつこの“対立”の表現となってあらわれてくる。つねに対立と機構は避けようなく陰謀と打算を生みつつ肥大し、発展し、破局的な大衝突にいたる。
 人類はついに賢い愚行の果てに自滅しあうであろう。強者はつねにたがいを試しあってたがいに殺しあうであろう。そして小さな中立者をもかならずその破滅の淵にひきずりこまずにはおかぬであろう。変れば変るほどいよいよおなじである。ノアの洪水時代も、鬼子母神の古代インドも、イソップのギリシャも、つねにおなじであった。一九六〇年代も、未来もまたおなじであろうか。
 彼のマンガは複雑怪奇きわまる冷戦と軍拡競争と謀略と植民地主義と大量虐殺の大人の二十世紀をそのまま描きだすのである。要素化し、単純化し、奔放な空想において黙示録の破滅を描きだす。そして大破滅の戦前か戦後かに、ごくごくひとにぎりの子供や動物や人間の弱さに価値をおく科学者などが危機一発*6、地球を脱出して新しい衛星に向うか、陰謀者と機械の群れを破壊するかで、九死に一生の救済を得るのである。誇りと偏見と機械とにとりかこまれた大人たちの硬直の世界のなかで、子供たちはつねにシジフォスの役を負わされる。たえまなくころがりおちつづける石を山頂へ運びあげようと永遠の徒労をかさねつづける。優しい心を持った、孤独な苦役人が手塚治虫のマンガの主人公である。
 チャプリン*7や、ハックスリーや、オーウェルなどを眺め読むように、私は彼の漫画を、眺め、また、読むのである。
 
この世の原理原則をえがく
 
 人種偏見のない世界、国境のない世界、資本の謀略のない世界、人を殺す機械のない世界、人を殺す理論のない世界、階級のない世界、国家のない地球、小国の積極的中立主義の生きる世界、誇りの硬直のない世界、愚者と弱者が賢者や権力者や強者と同格で肩を並べられる世界、寛容と同情の世界それが彼の主張する世界像なのである。お読みになってごらんなさい。大人の世界では石器時代以前にとっくに御破算になってしまったこれらさまざまな理想の言葉を彼がどれだけ率直に、簡潔に、むきだしに、誰憚ることなく、機智と哀愁と人生智をもって語っていることか。
 私たち“大人”が複雑さと分裂に疲れ果てて率直に語る勇気を失ってしまったことを彼は一人で子供マンガの世界でぶちまけているのである。子供マンガの世界でしかそれらが述べられていないという事実に私たちはあらためて自身の象皮病の深さを発見するのではないだろうか。両親や兄姉たちが口ごもって答えてくれないことを彼一人が子供たちに答えてやっているのだ。しかも大人の言葉で、本気になって、親身で、うちこんで、答えてやっているのである。そしておどろくべきことには、じつに十六年間、何十万枚となく、えんえんと彼は一貫して描きつづけてきたのである。剣豪物ブームだの、柔道物ブームだの忍者物ブームだのという泡の群れとはなんの関係もなく、ただ彼は、中野重治風にいえば“もっぱら腹の足しになる”、そして大人たちが慢性下痢を起してただくだしにくだしてしまっているところのものを、この世の原理原則というものを、汗水流して描きつづけてきたのであった。
 以上は私が読んだ彼の二十六冊の本(彼の全著作ではない)について、その主題の発想であり、骨組であり、構造である。けれど、この世には、美しい感情をもって書かれた退屈な作品というものも無数に存在するのである。手塚治虫の感情がどれほどすぐれていても彼の描く絵や色の意味が理解され、すぐれていなければ、どんな立派な思想も骸骨の骨格見本でしかないだろうと思う。
 子供たちが彼のマンガを選ぶのはこの世界の現状についての大人たちの説明のいいかげんさに絶望する気持と、もう一つは、彼の描きだす線そのものの持つ楽しみや、くつろぎや機智や、爽快さからなのである。
 この部分はつねに説明不足で、暗黙のうちに理解されており、“批評”では重視されず、愛着の最初のものであり最後のものでありながら、誰も口にだそうとしないものである。教育家たちの批評のしらじらしさは、たいていそこからでてくるようである。人間をレントゲン写真で眺めて鬼の首でもとったみたいな気持でいるいい気さかげんが、私をしらじらしくさせバカバカしいとも思わせてしまうのである。
 
ユーモアをもっている「線」
 
 彼とならぶ人気を持つといわれる白土三平の『忍者武芸帳』や横山光輝の忍者物や石森章太郎の作品などとくらべてみると、クッキリとめだつ相違が一つある。三平は荒乱陰湿、光輝は流暢軽快、それぞれの差がある。ウデの上下はしばらくおくとしよう。けれどこれらの人びとと治虫の描きだす線とのあいだには、クッキリとめだつ一つの相違がある。それは、ひとことでいえば「ユーモア」である手塚治虫は線そのもののなかにすでにユーモアを持っているのだ。ほかの人たちは、ほかのダイナミズムとか秩序感などで彼よりすぐれた美質を部分部分で持ってはいるものの、この一点をまったく欠いている。私にいわせれば「ユーモア」の感覚は人間の本能の知恵なのである。この知恵を汲むことのできない人びとは、ほかのあらゆる美質にもかかわらず私を和ませないことで能力ひくく洞察力またひくい人であると思わせられる。ユーモアは現象を分析すると同時に一瞬に総合して批評の決裁をくだす知恵である。手塚さんの描く線にはどの一瞬にもそれがこめられているので私はうっとりしておでん屋で我を忘れてしまったのである。くそまじめな日本の陰湿な風土ではこれがひどく育ちにくいこと、文学界、学界、すべて同様である。(まじめであることと、くそまじめであることは全く別物である。これがあまりにしばしば混同されるので私は憂鬱である)
 手塚治虫さんがマンガを発表しはじめてからもう十六年になる。この十六年間に日本の子供たちは何十人のマンガ家を生み、育て、殺していったことだろうか。その貪欲さと軽薄さはこれに乗じて失敗したり成功したりアミーバー状脳細胞の出版社員の嘆きや畏れと私はおなじである。子供は冷酷である。けれど、それと同時につねに彼を選び求めてきた、大人に犯されない嗅覚の鋭さという一点で私は拍手を送りたい気もするのである。低能マンガは華々しくバカバカしい。けれど、ついにそれらは、泡にすぎないのだ。子供のほうが大人よりよく知っているのだ。
 手塚治虫さんよ。
 ガンバッてくださいね。
 誰も眼をキョロキョロさせて口にだすのをはばかっていることをあなた一人が叫んできました。地上にあなたの世界はしばらくありませんけれど、叫ぶことはやめないでください。
 あなたは儲けることをあまり考えないで儲けてしまったのですけれど、そんなこと、どうでもよろしい。昔のような作品をどんどん書きつづけてくださいね。あなたは私に会ったとき、“もう筑波山の上から見おろしているような気持ですよ”と早口にマンガ界の現状に対する自分の位置を述べましたが、そんな老けたことはいわないでください。私は自分の子供にあなたの作品を読むことだけすすめたのです。

 16年で神様ですか。CLAMPも23年ぐらいやってるんで、神々様(女神々様)と呼んでもいいですかね? 日本は多神教の国なんで、手塚治虫以外に複数神様いてもいいと思う。
 個人的にはこれ、開高健にしてはちょっと物足りない。漫画について何か言うことって難しいですね。
 あと、手塚治虫の「ユーモア」というか、ギャグの入れ具合って、今の漫画に慣れてる人にはつらいかもしれない。昭和30年代の漫才ぐらいの感覚だと思う。
 ということで、光文社文庫版にリンク。

ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)

ずばり東京―開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)

 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

*1:これ、多分直ってない。ひどい。

*2:どの雑誌だか不明でした

*3:正確には『こぐまのコロスケ』のようです。

*4:この部分の誤記はさすがに削られているようです。ふたケタぐらい間違ってる。

*5:出典は深沢七郎楢山節考』かな?

*6:元テキストのままです。

*7:チャップリン」表記のテキストもありました。

デマです→「ベクレルの単位 「Bq/kg」 は150倍が世界基準」(「nanohana ナノハナ | 地球と7代先のこどもたちを元気にしてゆく情報発信サイト」はクソブログ)

 また面白いものが釣れました。
ベクレルの単位 「Bq/kg」 は150倍が世界基準 - nanohana ナノハナ | 地球と7代先のこどもたちを元気にしてゆく情報発信サイト

例えば福島市郡山市南相馬市で計測されている1,657,934Bq/kgという数値だが、これを「Bq / m2」に換算すると、なんと1億776万5710Bq /m2というとんでもない数値になる。

 そもそも、南相馬市はもちろん福島市郡山市のどこからも、「1,657,934Bq/kg」は計測されていませんが? この数値はどこからどうやって計算したものか、ご存じのかたは教えてください。
 南相馬市の黒い粉に関しては、野良測定が出てるけど、

セシウム合算:1,089,612 Bq/Kg (神戸大山内教授測定)

 どこにあるかは検索してみてね。
 とりあえず「1,657,934」で検索しても、伝聞情報以上のものではないものしか見つからない。
 でさ…なんでざっくり65倍するかって言うと、100×100×5立方センチの土は、ざっくり1kgの65倍放射性物質持ってるからじゃないのかな? 150倍になるのは、その量が3倍になるから! 元の量が多くなれば、ベクレルなんて大きくなるのが当たり前。10Bq/kgのがれきが1万tあったら、1億ベクレルだよ、すごいね!
 世界中のどこを探しても、「100万Bq/kg」の土が平方メートル単位で広がっているところには多分人間住んでない。グラム単位で存在しているところの可能性は否定できない。
 ざっくり、「100万Bq/kg」の土が10〜100gあるところを考える。周りはちょっと多めに100Bq/kg。
100万/100+100*65=16500(より少し少ない)
100万/10+100*65=106500(より少し少ない)

で、これを282000で割ると、μSv/hが出る。なんでかっていうと、以下のサイト見てね。
6/8 Bq/kg→Bq/m2→μSv/hの変換についての簡単なまとめ | 3.11東日本大震災後の日本

するとだいたい、
0.058510638297872340425531914893617μSv/h
0.37765957446808510638297872340426μSv/h

環境放射線モニタリング(南相馬市・2012年4月30日)
 南相馬市だと、1とか2μSv/hあるんで、それよりも低いですかね?
 だいたい、Bq/kgという単位で測らないと、食品の計算無理やん。平方メートル単位で干しシイタケ食べるのお前ら?
 1000Bq/kgの干しシイタケを100*100*5cm(干しシイタケ軽いから、20cmぐらいにしないと駄目?)に敷き詰めると、65000Bq/kgぐらいの謎地面が多分できるけどね…。
 
 今までのクソブログは以下のところなど
デマです→「島田市「放射能汚染深刻」環境省認める」(「福島県は「死灰の街」となった」(新名:放射能汚染から逃げるしかない)はクソブログ)
「すべては気づき」というブログのデマ釣り(釣られ)ぶりと『FOOD ACTION NIPPON』(食べて応援)について
 
 けっこうツィッターのデマ人(デマジン)に隠れて見えてこないけど、福島原発に関するデマブログも出てきてるみたいなので、時々名前入りで取り上げて、俺のブログテキストがgoogle検索で上位に来るようにしたいと思います。
 
 こちらにまとめました。
デマです→「ベクレルの単位 「Bq/kg」 は150倍が世界基準」 - Togetter
 そもそも、単位としておかしいのでは? みたいな話。

57年前の母の日、5万冊の「悪書」が処分されました

 悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
 読売新聞1955年5月8日夕刊より。日曜日なんですが、当時は日曜日でも夕刊が出てました(東京では)。

母の日
好天の日曜
多彩な催し
 
悪書五万冊ズタズタ
悪書追放
 
“悪書追放”にたち上がった東京母の会連合会のお母さんたちは「きょうの私たちの日を意義ある仕事で…」と朝から都内一斉にリヤカーや荷車をひいて各家庭にしまいこんであるエロ本、あくどいマンガや少年少女雑誌類を集めて歩いた。
 五十支部余り約三十五万人もの会員をもつだけに“供出”された本の数もおびただしく神田母の会、三河島母の会、小松川母の会などうす暗い午前六時ごろからタスキ、エプロン姿でとび回り正午ごろまでには各支部長宅側に約五万冊の“悪書の山”が築かれた。そのままクズ屋や古本屋に売ったのではまた売りさばかれるとお母さんたちは本が運ばれるそばから切断機で刻みコマ切れにしてからクズ屋に渡すという慎重さ。宮川母の会連合会会長も「これは母の日に子供たちに贈るお母さんたちの最大のプレゼント」とほほえんでいた。

 ということで、引き続き「悪書」というと漫画・児童雑誌に限定したものではない感じです。むしろエロ本がメインかな?
 57年前は今の俺らみたいにエロ本を家庭に隠す場所もなく、性行為も子供に丸見え、おまけに子供もたくさんいる、という家庭環境があったりするので、今の認識で当時を判断・批判するのは難しいです。
  
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

日本読書新聞1955年3月21日の記事「児童雑誌の実態 その一 お母さんも手にとってごらん下さい」

 悪書追放運動当時の新聞テキストから。誤字とか読み間違いはお許しください。
 日本読書新聞1955年3月21日より。
 これは「新聞」という形を取っていますが、まあ週刊誌みたいなもんだと思います。本(読書)に関する専門の新聞。だもんで多分発行日の日付も実際に出た日より少し早いはずなんだけど、昔のことなんであまり気にしない。
 社会的影響力もどの程度あったのか皆目不明ですが、朝日・読売よりは全然少なかったと思う。資料としては面白いです。

児童雑誌の実態 その一 お母さんも手にとってごらん下さい
 
 この特集は本紙の学校図書館欄を担当する先生を中心に検討のうえ編集部がまとめたものです。特に今回は菱沼太郎(神田淡路小学校)久保田浩・森久保仙太郎(和光学園)氏らのお世話になりました。なお今後とも読者諸氏の御協力・意見をお寄せ下さい。
 
 “不良文化財から子どもを守れ”という声の高まりとともに、業界でも自粛への積極的な努力が始まりかけている。だが一方、法律によって取締ろうという動きも見られる。かかる法律が、やがて乱用され言論弾圧となって、どのような結果をまねいたかは人々の記憶に新しい。このような時に当って本紙が、ここに逆用される危険をおかして、あえて児童雑誌の実態分析を特集する理由はあくまでも、世の親たち・教師、そしてこれらの出版社、編集者、執筆者たちに児童雑誌の行き方について真剣に考えてほしいためである。
 ただ二、三の悪例を見て、直ちに法に頼るような軽々しい世論を作るよりも、真に子どもを愛するならば、自らの手で、これら出版物の内容をじっくり検討し、どのように悪いのか、どういうふうにしたら良くなるのかを正しく見きわめ、そして力をあわせ、厳正な態度でこれらを善導してゆくようにするべきであろう。その励ましによって、出版社・執筆者も自主的に、このような状態に終止符を打たねばなるまい。
 
 児童雑誌の低俗化はたしかに昨年の夏ごろからヒドクなった。いわゆる専門家や識者も盛んに指摘しているが、あたまからバッサリとやる式のものが多いようだ。だが、根深い商業主義に貫かれているこれら雑誌が、その程度の批判で簡単に良くなりはしない。そこで、今日の児童雑誌はどうなのかを概括し、それがもつ多くの重大な問題の中から、今回は“残虐-闘争-戦争”といったテーマのものに焦点をしぼって、忌憚のない分析を試みることにした。
 
七五〇万人が読む 各誌とも数十万部の売行き
 
【主な児童雑誌】大型判=野球少年、痛快ブック(芳文社)漫画王、冒険王(秋田書店)、太陽少年(太陽社)少年画報(少年画報社漫画少年(学童社)おもしろブック、少女ブック、幼年ブック(集英社)少年、少女(光文社)少女サロン(偕成社)ぼくら、なかよし(講談社)一-三年ブック(学習研究社)幼年クラブ(講談社)◆普通判=少年クラブ、少女クラブ(講談社)少女の友(実業之日本社)小学一-六年生、中学生の友、女学生の友(小学館)このほか市販されていないものに=ぎんのすず(松濤書房)一-六年の学習(学習研究社)一-三年の友(東邦出版KK)などがある。
 これら児童雑誌の販売推定総部数は七五〇万部に達するという(出版ニュース社調べ)から大変なものである。各誌の発行部数は「幼年ブック」「小学一年生」「少女」「おもしろブック」「少女ブック」「冒険王」などが四-五〇万部、「少年」「ぼくら」「なかよし」「少年クラブ」「少女クラブ」「幼年クラブ」「漫画王」などが二-三〇万で、少い所でも一〇万部を下らない。
 
マンガ絵物語が大半
 
 雑誌の大きさも、戦前には見られなかった大型判(B5判)が大流行だが、これは“見る雑誌”の影響であろう。右にあげた市販雑誌の平均をとって見たところ、いわゆる“見る”頁は全誌面の五二%をしめている(写真グラビア六%、マンガ二五%、絵物語二一%)。
 多いのになると、例えば「痛快ブック」四月号は全二一六頁のうち写真グラビア一九頁、漫画五七頁、絵物語一二四頁(計二〇〇頁)で、ほとんど全誌面が“見る”要素である。大型の雑誌はたいてい六〇%以上がグラビア、マンガ、絵物語でうずまっている。
 少い方では、さすがに学習雑誌と銘打つ「小学六年生」になると二二%しか占めていない。いわゆる小説(絵よりも活字の方が多いもの)などは(小型誌以外では)ほんのわずかしかない。学習的な記事も、せいぜい一行知識ぐらいがあるていどだ。小学館の学習雑誌になると約二割近い学習記事が入っている。
 平均頁数二四二頁、定価一一〇円なのだから、たしかに安い。だが児童雑誌の頁数(ノンブル)の振り方は独特である。表紙から始まり、折り込みは一枚の紙でも四頁に数え広告頁でもなんでもちゃんとノンブルを振って、総頁数の多さを誇っている。
 
フロク即単行本
 
 どの雑誌も連載ものが大部分で一篇の頁数は少く、どれもコマギレ的だ。予告篇的に本誌であつかって次号で別冊付録にするという手を使っているのも多い。従って付録は、単行本なみの別冊が圧倒的に多い。これらの別冊フロクが子どもたちの間では、単行本なみに売買されているところもある。変った付録としては、忍術巻き物が二つ現われた(「野球少年」「三年ブック」)。学習的な付録(例えば理科年鑑、国語辞典、英語辞典など)は人気が悪いというから良心的であろうとする出版社も辛いところだろう。
 他誌に比べたら学習的な小学館がその傍系の集英社から、また真面目な「X年の学習」を出している学習研究社が「X年ブック」というような、いずれも低俗ものに属する雑誌を堂々と出していること、そこにも見逃し得ない商業主義がみられる。
 
時代ものも増える
 
 左表(注:引用テキストでは最後にあります)でみる通り冒険・探偵ものが実に多い。西部活劇もの全盛の数年前にくらべると、時代もの・捕物などがぐっと増えてきたのも世相を反映している。小学館の学年別雑誌が示すように、低学年にはこの種低俗物が少いが四年生以上になると急激に増えている。これは低学年の場合は母親が買い与えるからであろう。
 
問題は沢山ある
 
 表紙は内容にくらべると、まだまだ良い方だ。ひとたび中を開くとギョッとする。あくどい色彩の絵(『漫画王』の「いなずま童子」。『冒険王』の「砂漠の魔王」。『太陽少年』の「黄金バット」)や、文章以上に輪をかけた残虐・グロテスクなさし絵(これは数えればきりがない)、カタナ、ヤリ、ピストル、ドクロなどがあふれている。
 言葉の問題もある。ことにマンガにおける言葉遣いのひどさ、語イの少なさは“話し合い無用”の傾向とあいまって、考えなければならない点だ。
 言葉の問題ともつながるが、やたらに泣かせるだけの少女おセンチものの本質も、その型にはまったさし絵の問題と共に、検討して見る必要があろう。
 更に子ども向でない残虐怪奇な映画でもおかまいなしに紹介していること、本文に関係のない壮烈(?)な戦争画を自論に使っていること、同一の作家が同工異曲の作品を書きなぐりしていること、相当名前の通った文壇作家、探偵作家がヒドイ作品を書いていること、など大きな問題がいくつもある。懸賞、読者の質など、細かい問題は限りがない。
 
まさに百鬼夜行
 
 各誌とも怪物、魔物、超人でいっぱいだが、ここに、その例をさがしてみよう----
 大魚人、大翼人、ゴリラ、チンパンジー、獣人魔、古代動物大トカゲ、大巨龍、全身に鉄ウロコがはえ口は耳までさけ大きなキバをもった怪物、地獄の炎からうまれた怪人悪魔王、白衣のガイ骨男、夜光鉄仮面、龍、黄金バット、人間をのせてとぶほどの大昆虫、大ヒトデ、船をひっくりかえす大蛸----いつまで挙げてもきりがない。まさに百鬼夜行である。
 
一冊に三百本の刀
 
 ヤリをかいこんだ中村錦之助を表紙にした某誌の三月号一冊で何本カタナが出てくるか数えてみると、おどろくなかれ二八二本(抜き放った白刃だけ)、ピストルは四〇ちょう。このほかヤリ、鉄砲、手裏剣、くさり鎌、毒矢等々、どの頁を見ても武器また武器。残虐さを増すための“道具建て”も実に多い。
 また“必殺のかまえ”とか“これが空手だ”式の絵入り伝授が各誌にずいぶん載っている。“殺す”という語「殺してやるぞ」という言葉も何と多いことだろう。「ギャーツ」という断末魔の叫びもよく使われている。
 
残虐の限りを尽す 娘の生血を吸う老婆も登場
 
 まず第一にあげられる“残虐性”の問題をみると“全誌全篇これことごとく残虐性”といってもよいほどで、例を挙げ出せばきりがない。(左にあげるのはあくまでも一例であって、その雑誌だけにかぎらない)。
「キャーツ! 人殺し……」春はまだ浅い江戸の夜。しとしとふる雨のなかから、おそろしいさけびがあがりました。わかい女がかさをなげすてて、くるしそうにのけぞっています……あっ! せなかから前につらぬいているのは矢です!(「怪人猫目男」の書き出し=『痛快ブック』三月号)
 ……窓をこじあけると、すーっと、部屋のなかへしのびこんだ。しばらく、ふたりのねいきをうかがっていたが、やにわに、きらり、ナイフがひらめいたとみるや、ぐさり……少年と少女のねている毛布のうえから、ちからいっぱいつきたてた。ぐさり、ぐさり……つづけざまの一撃に、なんでたまろう、あわれや兄妹ふたりは、うめきのこえをたてるひまもなく、そのまま石のようにうごかなかうなっていた」(「黒豹の爪」=『野球少年』三月号)
 ぬっと黒ふくめんがあらわれた。「おい小むすめ、ここは人間の生き血をすいとる、ひとだま御殿じゃ」……痛快太郎は、ここまできたとき、とつぜん猛犬にとびつかれた。「ふふふ、あの小僧、猛犬にかみころさせてやるのだ」(「痛快太郎」=『少年』三月号)
 ……船牢にうつされた一郎は、はだかにされると荒なわでしばりあげられて、その肌にべっとりと蜂蜜をぬりつけられた。その上に無数のアリがまかれた。アリはチクリチクリと一郎の肌をさす……メトロスネーク団の残虐きわまる迫害なのだ。(「恐怖の暗黒街」=『痛快ブック』三月号)
 ----「うひひひ……まむしの生血のかわりにおまえの生血を吸うのじゃ ひひひ……」「おまえの血を吸うとわしの妖術にききめがでるよ さあ おいで」まむしの血がたりないおばばは体がよわっている。(「夜光鉄仮面」=『痛快ブック』三月号)
 
まだあるヒドイ例
 
 このほか、怪血鬼(ゴリラ的魔人)によって役人が土中に生き埋めされて殺されるところ(「白虎仮面」=『冒険王』三月号)、獣人魔に刑事が首をしめられるところ(「獣人魔島」同)、人間の皮を腰にまいている西部の王者青仮面(「拳銃無敵」=『冒険王』三月号)、自動ノコギリで人間を丸太のようにひききろうとするところ(「怪魔団」=『太陽少年』三月号)、駅のホームの天井に下っている時計の中に首をつっこまれて、中吊りにされて殺される悪漢(「ワンダーくん」=『おもしろブック』三月号)----といったぐあいで、人間が考えうる限りの残虐さを網羅している。
 
平気で殺し合い
 
 物語の中には必ず、やっつけてしまわなければならない“敵”がいる。しかも、なぜ悪人なのか、なぜ敵とみなさなければならないのか、なぜ、やっつけなければならないのかは、殆ど問題になっていない。理由にならないような理由で一方が“悪玉”ということになると他方は殺されても切りすてられてもかまわない“敵”になってしまう。そして激烈なたたかいが展開され、争いは争いをよんで、物語の流行と共に残虐さを増して行く。いつのまにか、闘争そのものだけがのこされ、クローズアップされる。その間、善玉も悪玉も、共に残虐な手段を用い、殺したり、殺されたりするわけだが、そこに一貫してみられるのは善玉である味方が“敵”をたおすためならどんな行為も許されるし、どんな犠牲もはらわなければならないという考え方だ。こういう考え方をもとに、残虐性ははっきり肯定されている。
 
破壊すなわち痛快
 
“残虐性”ほどは目立たないが、見逃してはならないのは、多くのマンガにみられる“簡単にものをこわす”傾向である。植木鉢をこわす。たいこを人間に投げつけてこわす。椅子をなげる、畳をはがす。石燈ろうがひっくり返っている。チョンマゲを切る。柱を切る。大木を切る。洋服を破る。ころぶ。おっこちる。スパッ、ガチャン、ビリビリ、ストン。それが面白さの要素になっているところが非常に多い。これは怪力、強力、巨人が横行して、やたらにものをうちこわすことが痛快として扱われているのと同じだ。懸命になってみつけても、建設的な要素が少しもみつからないということはおそろしいことだ。
 最大の破壊は戦争であったということを前の戦争を通してわれわれは学んだはずだ。
 
いきなりケンカを ゆがめられたスポーツ精神
 
 スポーツものも各誌に相当でてくる。レスリングと柔道と空手が圧倒的で、そのほか拳闘、剣道があり、野球は案外少ない。特に力道山と木村の選手権試合があった後でもあり、いろいろ扱われているが、正しいスポーツ精神を養うようなものは一つもないといっていい。ほとんどのスポーツものには、ただ“勝ち負けを争う精神”だけが横溢している。話し合って理解し、解決しようなどというところは出てこない。いきなりケンカを始める。やむにやまれぬ暴力なら良いんだ、と思わせる。(北条誠「僕は男だ」=『おもしろブック』が好例)そこで便利な舞台として、飯場の土方部屋(タコ部屋)を登場させる(「花も嵐も」=『冒険王』三月号)。
 
力道山も“怪物”に
 
 力道山なども、マンガや物語の中に“超人”として登場してくる。一種の怪物、魔物として扱われるわけだ。また、このようなスターが“力”の象徴として善玉群の中に入れられ、さらに“力は善なり”にスリ代えられている。そしてしばしば“力”が法律や秩序に勝っている。
 
さかんな戦争もの 太平洋戦や昭和三十五年戦まで
 
 “やむにやまれぬ暴力ならばよいのだ”とか“相手が悪人ならばかまわない”とか、あやしげな正義感を巧みに利用して“闘争”を肯定していることは見逃してはならないことだ。この闘争肯定が戦争肯定に簡単に移行しやすいものであることは、太平洋戦争を体験した大人たちは十分に知っているはずだ。
 かつて“鬼畜米英”というコトバが使われたが、なぜ鬼畜なのかはっきりしなかった。このことを思えば極めていい加減な理由で悪玉を仕立てて、それをただひたすらに倒すことばかり出てくる現在の児童雑誌は太平洋戦争に国民をひきずりこんだ時と同じ傾向を早くも見せているとはっきり言えよう。真に寒心にたえない。
 
おそろしい無知
 
 また、西部密林もので、いわゆる未開人を登場させ、これを人間として待遇せず、きわめて無知ドウモウなものとし、それへの殺リクを当然なこととしているが、これなどは無知からおこる戦争(ことに日本が過去においてアジア人を無視したためにおこった)への危険を感じさせる。
 チャンバラや空手のマネをすることも、困ったことだが、こういう問題は、もっともっと重大な過誤を生み出すものであることを特に強調したい。
 
再軍備・戦争肯定も
 
『太陽少年』に小松崎茂「旭日は沈まず」という“大ひょうばん冒険絵物語”が連載されている。主人公は少年航空兵である。太平洋戦争たけなわ(三月号では)の昭和十九年六月、“敵アメリカ戦艦が、とつぜん海上からサイパン島にむけてはなった一発の砲声によって、ここに南太平洋のしじまは、ふたたびやぶられることになった。そして食うか食われるか! 攻める敵が勇敢なら守る日本軍もまたひっし。サイパン島は敵味方が国の運命をかけた大激戦となった”“が、しかしサイパン島を守っていた三万の日本陸海軍は、敵がおどろくほどにはげしくていこうし、世界にくらべものがないほどのがんばりをみせて、さいごの一兵までも戦ったのだった。”
『少年画報』にも“太平洋戦争中におこった、なみだと、かんげきの物語!”と銘打った連載感激小説「血に染む日の丸」(花村葵(?))がある。
『少年クラブ』には「燃える大空」(棟田博)がある。----“血しぶきあがる大空の決戦場に、花房直人のはばたく目はせまっている!”と冒頭にある。予科練たちの生活をあつかったものだ。主人公である花房直人たちの班長は「勇気と祖国愛と戦友愛」を説く。だが、真の勇気、正しい祖国愛というものを教えようとするのに、予科練に取材することは危険なことだ。まして愛する班長が出撃してゆく悲しみに打ちかった少年兵たちに“きさまと おれとは 同期のサクラ 同じ三重空の庭にさく さいた花なら ちるのはかくご”のあの歌をうたわすのだからあきれる。しかも、読者の投稿で「ぼくらも花房直人たちのように毎日毎日をはりきってすごそう」というのが載っているが、ぞーっとさせられる。知らず知らずのうちに、戦争を肯定し、さらに戦争を謳歌するようにならないと誰が保障しえようか
『冒険王』にも「燃える大空」(萩原孝治)という連載航空絵物語がある。台湾基地からヒリッピン奇襲の渡洋爆撃に参加した少年航空兵の物語。紙面の都合上、文中から二、三の言葉だけを拾ってみよう----敵艦とさしちがえて。すばらしい武勲をたてて。いつか近い将来に南海に散る覚悟をかためながら。整然とおこなわれる敵前上陸のすばらしさ。----いずれも大人には聞きなれた言葉である。十数年ほど前に。
 
国連否認も出る
 
 戦争ものでは、もっと悪質なものがある。『少年画報』の連載マンガ「ビリーパック」(河島光広)には、こんな文句が出てくる----「諸君らの若い命もようしゃなくいただかねばならん!」「戦友のかたき、うわッ!」そのうえ、あきれるのは「そうですとも、これで国連のかん隊もめちゃくちゃだよ」という文句。国連否認だ。
 
“滅私奉公ガンバレ”
 
 まだある。時代ものだが、漫画「清水次郎長」(土屋一平『冒険王』三月号)に----「バッキャロッ、質より量だ」「一たん子分となったおまえたちだ。滅私奉公大いにがんばれ」とある。滅私奉公とは、開いた口がふさがらぬ
 戦争ものでも、太平洋戦争肯定からさらに一歩を進めて、完全な再軍備を認めたものが出はじめている。またしても小松崎茂えがくところの“大評判の科学絵物語”「大暗黒星」(『少年』連載)だ。時は昭和三十五年四月(三十五年という数字に御注意)日本の誘導弾基地での物語で、さすがに仮想敵はアメリカでもソ連でもないが、主人公は立派な少年兵。この少年兵なかなか勇敢で“大雪のようにふる原子灰”の中を、上衣を頭上にかざして(!)格納庫に走り、ジェット機をうごかし、その排気噴流で、死の灰を吹きとばして上官の危険を救ってやる。そして「この死の灰を吹きとばす方法をソ連アメリカにも教えてやれ」とまじめでいっているクダリを読むとおかしくなってくる。だが笑ってばかりはいられない。この健気な少年兵は昭和三十五年の少年兵なのである。この雑誌の読者が丁度少年兵になれる年齢に達する頃の話だ。
 五年後には日本は完全な軍備をもち、そして君たち少年は、かように立派な少年兵になるのだ…といわんばかりではないか。
 
落下傘部隊訪問
 
 再軍備をしらずしらずのうちに子どもの頭にたたきこむようなものもある。『おもしろブック』三月号に「大空の孫悟空」というのがある。題名は極めてロマンチックだが、なんのことはない、内容は九州博多のパラシュート部隊訪問記だ。しかも訪問者は東京の小学五年生を使っているという念の入りようである。かつての予科練訪問者が南海の藻屑とはかなく消え去ったことを思うと、このようなことを不用意にやっている編集者・出版社の良心を疑いたくなる。反省してほしいことの第一だ。それとも、このような記事掲載を、すすめられたのだろうか。
 
ゆかいなせんそう?
 
 ある雑誌に何か変ったものが出ると、翌月号では一斉に各誌がマネをするのが、角逐はげしい児童雑誌界のきまりである。四月号では“戦争もの”がぐっとふえた。前に挙げた例のほか、太平洋戦争に取材した「絵物語」として『ぼくら』に「もゆる南海」(吉田光一)というのが始まった----“だいたんふてき、パラオ軍港の入口で、日本空母をたおしたアメリカ軍の潜水艦”----という書き出しで始まる“熱血絵物語”がそうである。“熱血”即“戦争”を意味する。熱血ものだけでなく“科学冒険”絵物語というのも正体は大てい戦争ものだ。『痛快ブック』の「海底兵団」(山田保徳)がそれだ----某国の飛行機で沈められた日本の駆逐艦には重要な秘密兵器設計図が載ってあった。それを引きあげるために少年兵曹勝彦は水中に潜り、うまく成功する。……そしてこの物語は次のような言葉で結ばれている----“勝彦少年が、二階級特進のくん章を胸に、にっこり笑っているのだった”。
 熱血とか科学とかに名を借りずに、はっきり“戦争絵物語”と銘打ったものもあらわれた。(『少年クラブ』四月号「空飛ぶ戦艦」萩原孝治)
 絵物語だけではない。マンガにも戦争ものがある。これは沢山ありすぎて例をあげるのは大変だ。ただ幼年ものから一つ。『二年ブック』(この雑誌社は他にかなりまじめな学習雑誌も出している)に「ゆかいなせんそう・どんがらじょう」という見開きマンガがある。絵そのものはあくどいものではないが、“ゆかいな”例として“せんそう”を出す必要はあるまい。こんな小さなうちから戦争と愉快などという言葉を結びつけて示すことの罪は決して小さくあるまい。【図は各誌さし絵より】
 ◇  ◇
 かさねて、教師・父兄・読者にこれら実物を一冊でもよいから手にとって読むようお願いする。現状を放任することがいかなる結果を招くか、そのおそろしさをじっくり考えていただきたい。そして出版元・その関係者たちへの強いよびかけを起そう。
 なお次回(四月四日号)は、いわゆる“少女もの”の中から、おセンチもの、お涙ちょうだい式のものの実際、人気スターの扱い方などについて分析する予定。
 
児童雑誌の娯楽読物の内容(各誌四月号のよみものの内容を分類しその篇数を表にした。勿論各種の要素を交ぜたものが多いが最も多い要素の項に入れた。)
 

雑誌名/種類 野球少年 痛快ブック 漫画王 冒険王 太陽少年 少年画報 漫画少年 おもしろブック 少年 少女 少女サロン ぼくら なかよし 二年ブック 三年ブック 少年クラブ 少女クラブ 小学一年生 小学二年生 小学三年生 小学四年生 小学五年生 小学六年生 少女の友 中学生の友
冒険空想科学 3 1 3 4 2 4 9 6 1 4 - - 2 2 1 1 5 4 1 2 8 3 2 4 1 11 84
探偵・怪奇 1 9 5 2 2 1 1 2 4 3 1 2 1 2 3 4 2 2 - - - 1 2 1 1 - 52
西部活劇密林 2 1 - 1 1 1 1 1 - 3 - 1 3 - 2 4 - - - - - 1 - 1 1 - 24
時代・捕物 7 4 10 5 12 7 5 7 6 6 2 4 5 5 7 6 8 1 - - - 4 4 1 5 - 121
熱血もの 4 5 2 11 4 3 1 5 - 3 - - 2 - - 1 4 - - - - - 2 2 - 1 51
戦争もの - 1 - 1 - - 1 - - - - - 3 - 2 - 1 - - - - - - 1 - - 10
伝記・立志 1 1 - - 1 1 3 - - 3 - - 1 - - - 4 1 - 1 1 1 1 3 - 4 27
少女おセンチ - 1 - - - - 1 - 6 - 8 5 - 2 1 - - 6 - 1 1 3 4 3 6 2 49
映画小説 - 1 2 - 2 1 - - 2 3 2 3 3 1 - - 1 2 - - - - 1 1 3 1 29
人気スター 1 1 4 3 - 1 - 1 4 3 6 2 1 2 - 2 - - - 1 - - - - 5 2 39
漫画ユーモア - 2 4 1 2 5 9 4 5 3 20 5 6 3 4 2 5 - 2 5 7 7 5 5 6 1 118

 ということで、あと何回か「日本読書新聞」のテキストを紹介します。
再軍備の懸念」というのが、今振り返ると「なんで漫画にまで?」という疑問が沸くばかりですが、まあ多分当時はそういった時代だったんでしょう。自衛隊ができたのは1954年7月1日のことでした。同じ年の秋にゴジラと戦ってます
 昔の漫画読んでみたいけど、紹介されているほどは面白くない気がする…けど読みたい。
 
「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。
1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク